あの小説家も、子育てに悩んでいる。作家による珠玉の「育児エッセイ」

小説家たちが自身の“育児”について綴ったエッセイ本の中から、読み応えのあるものを3作品セレクトしました。『母ではなくて、親になる』(山崎ナオコーラ)や『きみは赤ちゃん』(川上未映子)など、小説家たちによる珠玉の“育児エッセイ”の魅力をご紹介します。

「小説家の日常」と聞いて、みなさんはどんな様子を頭に思い浮かべますか? 原稿がなかなか進まず悶々としたり、物語のネタを探して各地を渡り歩いたり……。そんな、個性的ですこしアウトローな生活を想像する方も多いのではないでしょうか。

しかし、実際には小説家たちも、あるときは会社員、あるときは主婦(主夫)として、家事や育児に忙しい毎日を送っています。今回は、小説家たちが自身の“育児”について綴ったエッセイ本の中から、読み応えのあるものを3作品セレクトしました。小説家たちによる珠玉の“育児エッセイ”を味わってみてください。

『母ではなくて、親になる』(山崎ナオコーラ)


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『母ではなくて、親になる』は、『人のセックスを笑うな』『美しい距離』などの代表作がある作家・山崎ナオコーラによるエッセイ集です。

社会派の作品を数多く発表していることで知られる山崎ナオコーラ。山崎はエッセイにおいても小説においても、介護や夫婦生活、家計の問題といった、これまであまりスポットを当てられてこなかった領域について、真摯かつストレートに記してきました。本作もまさに、そんな山崎らしさを味わえるエッセイです。

本作の冒頭で山崎は、

“なぜ赤ん坊を育てたいのか? その問いについて深く考えることのないままここまで来てしまったが、寂しいからと子どもを欲しがってはいけないのは重々承知しながら、やはり寂しさから逃れたかった。”

と率直な心情を吐露します。自身を“内向的な世話好き”と称する山崎は、生まれたばかりの赤ん坊の細々とした世話には喜びを感じると綴りつつ、“赤ん坊に対して、自分らしくないことをする気はない”ときっぱりと言います。

“妊娠中に、「母ではなくて、親になろう」ということだけは決めたのだ。
親として子育てするのは意外と楽だ。母親だから、と気負わないで過ごせば、世間で言われている「母親のつらさ」というものを案外味わわずに済む。
母親という言葉をゴミ箱に捨てて、鏡を前に、親だー、親だー、と自分のことを見ると喜びでいっぱいになる。
親になれるなんて、とてもラッキーだ。”

女性が「赤ん坊の世話を焼くことを楽しんでいる」と言うと、“母性”や“女性らしさ”といった固定概念を押しつけられてしまいがちです。しかし、山崎は自身が小説家としてデビューしてから“「女性作家」という職業に就いたつもりはないのに、「作家」ではなく、「女性作家」として社会の中で扱われてしまう”ことに辟易したと語っているとおり、性別にことさら重きを置かずに活動を続けています。本作は、そんな山崎のフラットさも相まって、とても風通しのよいエッセイ集となっています。

流産の経験や妊娠生活、保育園探しなど、赤ん坊が1歳になるまでのできごとを仔細に綴る山崎の筆致は軽やかでありながら、理解や共感を呼びたいのではなく、ただ事実について書くという力強さも同時に感じさせます。世間から“母親”として見られることに疲れた方はもちろん、妊娠・出産や子育てにまったく関心がないという方にも、一作家のリアルな生活を知る手がかりとして読んでいただきたい1冊です。

『一緒に生きる 親子の風景』(東直子)


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『一緒に生きる 親子の風景』は、歌人の東直子によるエッセイ集です。月刊誌『母の友』での連載エッセイを中心に構成された本書は、イラストレーター・塩川いづみによる繊細な絵も相まって、瑞々しく端正な1冊となっています。

東は、自身や先人たちによるさまざまな詩や短歌を引用しながら、長い期間の子育てを経て、子どもが成人するまでの日々を綴ります。東は、オリジナルの短歌が初めて雑誌の投稿欄に載ったときの思い出をこう振り返ります。

“はじめて雑誌に掲載された短歌のことを、今でも覚えている。

 子供らが散らかした部屋を抜け出して何を探そうとしていたのだろう

選者の林あまりさんによる、厳しくもあたたかい選評とともに、自分の名前が、作品があった。うれしかった。一日中、赤ん坊としか話をしないような閉ざされた世界にいたので、自分の言葉が活字になったことで、社会と自分がつながっているのだという実感がやっと持てたような気がしたのである。拙い作品だが、「何を探そうとしていたのだろう」という問いは、切実なものだった。逃避したいような気持ちと、今をもっと大切にしたいという気持ちがないまぜになっていた。その遠い昔の問いに対する答えは、いまだに見つかっていない気がする。”

子育てをしていて、そのあまりの過酷さに、「ここではないどこか」に逃げ出したいという気持ちを抱いたことのある親はきっと多いはず。東は自身の率直な気持ちを綴りつつ、いままさにそんな過酷さの中にいるであろう読者に語りかけるように、やさしい筆致でメッセージを送ります。

“子どもがやりたいこと、それは、本能の赴くままに好きなことをやる、という一点につきる。子どもがやりたいことをどんどん好きにやらせたら、子どもからの不満は起こらないだろう。が、そういうわけにはいかない。親は、子どもが人間として生きていくための先導者でなければいけないのだ。当然、時にはやりたいことを禁止し、やりたがらないことをやらせなければいけない。嫌われることをしなければ、親になれないのだ。
でも、大丈夫。なにしろ、一番そばにいて、ごはんを食べたり、遊んだり、眠ったり、抱きあったり、子どもが一番うれしいことを一番一緒にできる存在なのだから。一番嫌われることをしても、一番好かれることをしているのだから、大丈夫なのだ。”

また、本書で時折引用される、高浜虚子や河野裕子といった俳人・歌人らの作品はどれも、生活に密着した、温度を感じる俳句や短歌ばかりです。東の柔らかい語り口もあり、読みながらすっと肩の荷が下りていくような、心地よい安心感を味わえる作品集です。

『きみは赤ちゃん』(川上未映子)


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『きみは赤ちゃん』は、『乳と卵』『夏物語』などの代表作がある芥川賞作家・川上未映子によるエッセイ集です。川上は口語混じりのリズムのある文体を駆使した作品を書きますが、本作の中でも、その独自の文体はきらりと光っています。

川上は、『陽性反応』という冒頭のエッセイで、妊娠が発覚したときのことをこう振り返ります。

“産婦人科へ行ってちゃんと妊娠しているかどうかを確認してもらわないといけない。あべちゃん(夫です)と激こみの産婦人科にでかけてゆき、じつに3時間じりじりと待ちつづけ、診察室に通されると女性の初老のやさしい先生が「いるかなっ、いるかな~っ」といいながら、あちこち探してくれるのをモニターで、はらはらしながら一緒に確認すること数分。
「あっ! いた!」と先生が叫んだので、「どこですかっ!」と思わずわたしも叫んでしまった。
それはなんか、どこからどうみても黒い点というか、小さなまるでしかないのだけれど、「いますいます!」という先生のあかるい声をきいたその瞬間に、いきなりぶわっと涙がでてきてしまった。「おったですか!」と何度もいいながら、モニターをみつめてみると、もっと涙がでてきて困った。命とか誕生とかそういうのじゃないんだけれど、なんか、これまで自分が知らなかった部分をどん! とつかれて、世界がぐらっとゆれて、やっぱりこれまで知らなかった場所に、ぽんとでたような、そんな感じがしたのだった。そしてそこがものすごくあかるい場所だった、ということに、とても驚いたのだとも思う。”

長いけれどひと息で読めてしまうような臨場感のある報告を通じて、川上がまだ“黒い点”でしかない赤ん坊との出会いに、いかに感激したのかが伝わってきます。川上はその日の帰り道、未知の妊娠生活を思って理由のないネガティブさに襲われますが、のちにこのようにも記しています。

“あんたのさきどりネガティブさなんかまじですこぶるファンタジー。まったくぜんぜん、なめてるで、と。

じっさいの妊娠生活は、わたしの想像をはるかに超えた、過酷かつ未知すぎるものだった。わたしの想像力なんか三段跳びでスキップしてみえんくなったなーと思ったら脳髄に突き刺さってたわ、みたいな、そんな現実のてんどんの日々が待ちうけているなんてそんなこと、黒いごまのような影をほくほくみつめるわたしには(あべちゃんも)、知るよしもなかったんである。”

その言葉のとおり、ひどいつわりや味覚の変化、子どもを迎え入れるにあたっての途方もない準備など、川上が綴る妊娠生活は非常に過酷なものに感じられます。しかし、そんな大変さの中にあっても、“未来にむかって明るく光ってみせるものが自分のからだに起きている”ということを思うと、不思議なほどにふつふつと力が湧いてきたのだとも語ります。

自身の体の変化や心情の変化を取り繕わず赤裸々に公開する川上のエッセイを通じ、どこか勇気づけられるような気持ちになる読者は多いはず。川上の小説の愛読者の方にもおすすめしたい、異色の出産・育児エッセイです。

おわりに

今回ご紹介した3冊の育児エッセイは、どれも女性の書き手によるものですが、「女性ならではの子どもへのやさしい視線」や「母親と子どもの結びつきの尊さ」のようなものは、これらの作品には見られません。むしろ、妊娠生活の過酷さや子育てのストレス、パートナーや子ども、社会へのフラストレーションなどをストレートに綴った、等身大の作品ばかりです。

しかし、そういったつらさの裏で子育ての中の美しい一瞬にフォーカスが当てられるとき、読者は思わず微笑んだり、涙したりしてしまうはず。作家それぞれの言葉を駆使した珠玉のエッセイ集に、ぜひ手を伸ばしてみてください。

初出:P+D MAGAZINE(2022/11/28)

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