【映画化】綾野剛&松田龍平ダブル主演!『影裏』をめぐる3つの“謎”

第157回芥川賞を受賞した、沼田真佑による短編小説『影裏』が2020年2月に映画化されます。原作小説の魅力を、“3つの謎”に焦点を当てて紹介します。

2017年に第157回芥川賞を受賞した、沼田真佑しんすけによる短編小説『影裏』。突如姿を消した親友の“別の顔”をめぐるこの物語が、大友啓史監督によって映画化され、2020年2月14日に全国公開されることが決定しています。

主演を務めるのは、綾野剛と松田龍平。盛岡の街に移り住んできた主人公・今野を綾野剛、今野の唯一無二の親友となる男・日浅を松田龍平が演じます。

本作の映画化は、大友啓史監督が沼田真佑の原作小説に惚れ込んだことで実現したと監督本人が語っています(※映画公式サイトより)。美しく静謐な文体で書かれた本格派の純文学作品でありながら、ヒューマンミステリーの要素も併せ持っている『影裏』。今回はこの作品の魅力を、“3つの謎”に焦点を当ててご紹介します。

【1つ目の謎】ある日突然姿を消した親友・日浅の行方は?

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『影裏』の舞台は、自然豊かな岩手県盛岡市。長らく東京近郊に住んでいた30代の男・今野が、親会社からの異動によって盛岡に移り住むところから物語が始まります。人付き合いに積極的ではない今野が唯一親しくなったのが、同じ会社の別の部署に勤める男・日浅でした。

今野と日浅は、同じく釣りを趣味にしていること、酒を飲むのが好きであることから自然と距離を縮め、一緒に釣りに行ったり山菜を採ったり、頻繁にドライブに行ったりと、“親友”と呼べるような仲になってゆきます。

しかし彼と親しくなって1年ほどが経ったある日、今野は職場の同僚から唐突に、日浅が退職したと聞かされます。携帯電話を持っていなかった日浅とは会社の立ち話以外に会話をする手段がなく、今野は突如として親友と音信不通になってしまうのです。

少し水くさいとわたしは感じて、二月が過ぎ、三月になって渓流釣りが解禁になっても、同行する相手がいないのでくすぶっていた。

と今野はもどかしさを感じながらも、

だがこの先四十になり五十になって日浅がなお庫内の職務に従事している姿を思い浮かべることのほうが、わたしにとっては困難なのだ。(中略)わたしの目には日浅はどうも、時代を間違えて生まれたように見えるのだ。江戸中期にでも生まれていたらと、よく勝手に空想したものだ。磯に小舟を浮かべて海岸線を計測したり、鳶や鴉を飼い馴らし、村の通信の用に役立てたりなど、何か一風変わった独自の仕事に打ち込んだんじゃないだろうか。

と、内心では日浅の退職に納得もしていました。日浅の行動には常にどこか唐突かつミステリアスなところがあり、今野はそれを彼の魅力とも捉えていたのです。

日浅はそれから4ヶ月後、今野の住むアパートに突如現れ、外回りの仕事ついでに寄ったのだと語ります。退職後にすぐ冠婚葬祭互助会の会社に転職し、いまは互助会の訪問型営業をしていると語る日浅。それから今野と日浅はふたたび一緒に釣りに行くようになりますが、2011年3月11日の震災を機に、またもや日浅は姿を消してしまうのです。では、日浅はどこへ行ってしまったのか? ──というのが、『影裏』の物語の中心となる1つ目の“謎”です。

【2つ目の謎】今野が知らなかった、親友の“別の顔”とは?

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地震の被害は幸いにも受けなかった今野。しかし震災後、日浅と連絡がとれなくなってから数ヶ月が経とうとしていたある日、今野は職場のパートの女性・西山に呼び出されます。彼女は、今野が日浅と親しくしており、ずっと日浅を捜していることを知っていました。西山は今野に、日浅は“死んじゃったかもしれない”と告げます。

日浅は、互助会の仕事のノルマに苦しみ、何口か契約をしてくれるよう西山に懇願してきた、と西山は語ります。彼女は仕方なく契約に応じたばかりでなく、日浅にまとまったお金も貸していたというのです。連絡がとれずしびれを切らした西山が日浅の会社に連絡をすると、日浅の上司にあたる人物が、彼は震災の日に釜石市で釣りをしており、その後行方不明になっている、と告げます。

あの日早朝から家を出て、午前中は契約を求めて釜石市内の住宅を回り、けれど振るわず、あるいは首尾よく契約をもらって安堵した日浅が、さてここからは自由時間だと海岸沿いに車を走らせる。ありそうなことだ。十四時四六分。ソイやアイナメ、マコガレイなどではち切れそうなクーラーボックスに腰をおろして日浅は海を見ている。ふと凄まじい揺れを、足もとから全身に感じて立ちあがり、思わずいったん、顔を空に向ける。

西山の話を聞いた今野は呆然としながらも、日浅が震災の日、最期の瞬間に見たかもしれない光景を詳細に想像し、やりきれない気持ちになります。

調べども調べどもそれ以上の情報を得ることができず、今野は意を決し、日浅が父親と二人暮らしをしていた実家を訪れます。説得を重ねても、なぜか息子の捜索届を出そうとしない日浅の父親。そこで父親から聞かされたのは、日浅は大学の学歴詐称をしており、4年間にわたって父親を騙していた、という事実でした。

息子のことを詐欺師であるかのように語る日浅の父親。唖然とする今野に追い打ちをかけるように、日浅の父親は言うのです。

「息子なら死んではいませんよ」

果たして日浅は本当に詐欺師だったのか? そして、今野もまた日浅に騙された人間のひとりに過ぎなかったのか? ──今野が抱く疑問はそのまま、大きな謎として読者にも投げかけられます。

【3つ目の謎】著者が意図的に“語り落としている”こととは?

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前述した2つの大きな謎のほかにも、本作にはベールに包まれたささやかな“謎”が点在しており、それがこの物語を非常に魅力的で味わい深いものにしています。たとえば、日浅が詐欺師のような男であるということを日浅の父親が今野に語る際、父親は日浅の幼い頃のこのようなエピソードを挙げます。

息子の前には、あれでどういう遊びをするのだか、今もってわからんのですが、黄色いアクリル製の巨大な茸のような遊具がありましてね。ほとんど水平に開き切っているその傘の上に少女が三人、棒立ちに立っておるんです。三人とも息子よりずっと年上の、そう小学四年生くらいのお子さんでしたな。傘の中心に背中を向けて手をつなぎ、みなさんぼんやり口を開いていましたよ。息子はといえば一心不乱に何やら数をかぞえあげながら、爛々と目を輝かせて彼女たちを下から見あげているんです。おぞましいものを感じましてね。

注意深く読んでみても、ここでは結局日浅がなにを数えあげていたのかがわからず、父親が感じたという“おぞましさ”の理由も直接的にはわかりません。そもそも、少女たちが遊んでいたという“巨大な茸のような遊具”も、どのようなものなのかイメージが湧きづらいままです。

また、作中には日浅の行方がつかめなくなったあと、性別適合手術をおこない女性になった和哉という元恋人と今野が電話をするシーンがあります。和哉とのエピソードにより、今野のセクシュアリティはゲイであることが仄めかされますが、たしかにそうだとは明示されません。今野が日浅へ抱いていた思いも、恋心であったのか友情だったのか、あるいはそれ以外のなにかであったのか──がわからないまま物語は幕を下ろします。

『影裏』が芥川賞を受賞した際、選考委員のひとりである小説家の堀江敏幸は、本作をこのように評しました。

故意の言い落としで語りのバランスが語りのバランスが崩れるのを承知で、よく計算されて書かれた一作だ。

この選評の通り、『影裏』には非常に“故意の言い落とし”(著者があえて書ききっていないこと)が多く、この“言い落とし”が多様な読み方を受け入れる一因になっています。本作は“震災文学”、あるいは“LGBT文学”や“青春小説”とさまざまな枠組みで捉えることができるだけでなく、日浅という男の正体も、生粋の詐欺師であったともひとりの貧しい若者であったとも捉えられます。

そのように、ひとつのできごとや人間の多面性が丁寧な筆致で重層的に描かれているのが本作の最大の魅力です。“影裏”という言葉のとおり、光が当たる場所には必ず影もできるということを改めて感じさせられるような作品です。

おわりに

著者の沼田真佑は、この『影裏』で2017年に小説家デビューを果たしました。芥川賞受賞の際には、自身の心境を「ジーパン1本しか持っていないのにベストジーニスト賞をとってしまった」と語ったことでも話題になりましたが、芥川賞受賞後は、アルバイト暮らしをする中年男性の姿を描いた『廃屋の眺め』などの小説を文芸誌に発表し、マイノリティの視点から生活を見つめるような作品を一貫して執筆し続けています。

映画『影裏』の公開は2020年2月。謎に満ちたこの作品がどのような映像になるのか、いまから楽しみでなりません。

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初出:P+D MAGAZINE(2019/11/24)

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