『美しい星』が実写映画化!原作小説の魅力と時代背景を徹底解説。

2017年5月26日に公開される映画、『美しい星』。三島由紀夫がUFOや異星人をテーマに描いた異色のSF作品を原作に、吉田大八監督が現代風にアレンジを加えたことで話題を呼んでいます。なぜ、三島はこのような作品を書いたのか……昭和のオカルトブームを時代背景とともに解説します!

三島由紀夫の名前は、「美」という問題から金閣寺放火を描いた小説『金閣寺』、ギリシャの抒情詩を下敷きに若者たちの恋愛を描く小説『潮騒』などの小説作品から、また東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地でクーデターを企て、割腹自殺をした「三島事件」から、強烈な印象とともに人びとに記憶されています。

純文学作家としての、また政治活動家としてのイメージの強い三島が描いた作品の中でも特に異色の輝きを放つものとして挙げられるのが、「空飛ぶ円盤」や「宇宙人」が主題として扱われる小説『美しい星』(1962年)。

この作品は2017年5月26日、『桐島、部活やめるってよ』が、代表作である吉田大八監督によって映画化されます。舞台を東西冷戦時代から現代に、主人公である重一郎の職業を無職からテレビ気象予報士に変更するなど、大胆な脚色が加えられた今作は、公開前から大きな注目を集めています。

ここでは、一見するとその作家イメージから遠いようなこの小説の魅力とは何なのかを、その時代背景とともに探ってみたいと思います。

 

1.核危機という状況と文学

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『美しい星』は埼玉県飯能市に住む大杉一家が、ある日突然自分たちは別々の惑星からやってきた宇宙人だと自覚し、一家そろって空飛ぶ円盤の観測を試みることに始まります。一家は自らの人間の身体に「宇宙人の霊魂」が宿って「その肉体と精神を完全に支配」したと自覚し、人類の救済を自らの使命として認識して行動を始めます。

彼らは人類を何から救おうとするのか。それは核戦争による滅亡の危機からでした。

当時、世界は東西冷戦のただなかにありました。特に前年の10月にソ連によって行われた50メガトン級水爆実験の実施は世界に衝撃を与え、62年の11月にはキューバ危機が生起するなど、世界の破局のリアリティがきわめて高くなっていた状況だったのです。

三島は1962年のエッセイ「終末観と文学」で、以下のように述べています。

水爆戦争をそのカタストローフとする終末観はあの概括的概観的なメカニックな世界認識を前提としてをり、もし文学がこのやうな世界認識を受け入れたら、その瞬間に文学は崩壊してしまふ

つまり、水爆による核戦争とそれによる人類滅亡の現実味が増した状況の中で、小説の持つ価値自体も問われていくことについて三島は気づき、それを問題化しようとしていたのです。

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この問題を中心とする『美しい星』で、火星人という自己認識を持つ大杉重一郎は、宇宙から飛来する円盤に世界救済の可能性を見出す同志を募って「宇宙有朋会」を結成し、世界の滅亡危機を説く講演会を実施します。重一郎の娘で、金星人の自己認識を持つ暁子は、フルシチョフに対して水爆実験に抗議する手紙を送るなど、きわめて地道な活動を行います。

そのような彼らの前に敵が現れます。それは仙台からやってきた大学教授の羽黒真澄ら、白鳥座出身の宇宙人の自己認識を持った3名です。彼らは人類の滅亡を願い、政権与党の有力政治家と関係を持ち、物語後半で重一郎との間に大論争を繰り広げます。

つまり、人類の差し迫った危機について宇宙人たちがその存亡を争う小説が、この『美しい星』なのです。ではなぜ、この問題を扱うのが当事者としての人類ではなく、宇宙人たちでなければならないのでしょうか。その理由は同時代のSFの流行に求められます。

 

2.SFの流行と俯瞰する視点

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同小説の発表された1960年の前後は、宇宙に対する想像力が高揚した時期でした。1955年に新井欣一を中心に、日本で最初のUFO研究団体、日本空飛ぶ円盤研究会(通称JFSA)が発足します。そのメンバーには、徳川夢声むせい、石原慎太郎など各界の著名人が名をつらね、最盛期には1000人以上の会員を擁していました。またJFSAは1957年に創刊された日本初のSF同人誌『宇宙塵』ともメンバーの多くを共有し、同雑誌は小松左京や星新一らがSFの理論と実践を提示してSF界を牽引しました。まさに日本におけるSF小説の草創期に『美しい星』は生まれたのです。

このようなSFの流行状況の下で、三島由紀夫もJFSAに会員番号12番として所属し、同会の主催による円盤観測会にも参加するなど積極的に会の活動に加わっていました。『美しい星』の大杉一家が空飛ぶ円盤と出会う前に、それらに関して知識を持ったのも、UFOによる飛行機撃墜事件としてSF的想像力を掻き立てた1948年のマンテル事件に関する書物を読んだことに端を発しており、まさに同時代日本におけるSFの流行が背景として描きこまれてもいます。

では、これら空飛ぶ円盤や宇宙人には何が期待されたのでしょうか。JFSAの創設者である新井欣一は、UFOという地球外の存在が実在していることがはっきりすればたちどころに戦争はなくなるのではないか、と言明しており、また心理学者のユングは1958年の段階で空飛ぶ円盤を心理学的な「元型」ととらえて、冷戦下の状況ゆえに生まれた心理的現象として位置付けています。

これらの言説についておそらく三島は十分に目配りをしていたと考えられます。それゆえ小説『美しい星』には地球という場所を俯瞰的に見つめ、そこに何らかの超越的な解決をもたらす存在として、宇宙人とそれにかかわる空飛ぶ円盤とが設定されていたのです。

しかし、この小説の宇宙人たちは、よくみるSF小説などにありそうな、宇宙人として決定的な何かを行うということはありません。三島自身「これは宇宙人と自分を信じた人間の物語りであつて、人間の形をした宇宙人の物語りではない」と自作解題で書くように、彼らは徹底して人間に可能なことを行うだけなのです。彼らは本当に宇宙人なのでしょうか。

 

3.『美しい星』の語りの魅力

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その答えを出すことは極めて困難となります。なぜなら、『美しい星』の語り手は登場人物が宇宙人なのか、単に妄想を共有した人間なのかについて確定的なことを語ってくれないからです。

例えば重一郎が空飛ぶ円盤と出会い、火星人としての自己認識を持つに至った経緯は以下のように叙述されます。

ばらばらな世界が瞬時にして医やされて、澄明な諧和と統一感に達したと感じることの至福であつた。天の糊がたちまちにして砕かれた断片をつなぎ合はせ、世界は再び水晶の円球のやうな無疵の平和に身を休めてゐた。

物語の外にいるはずの語り手は、登場人物に入り込んでその思考をなぞるように示していきますが、人物の思考そのものが事実か否か、また彼らが宇宙人であることの是非を決して第三者の立場から確定させはしないのです。

そのような物語の中で、金星人のはずの暁子は妊娠し、火星人であるはずの重一郎は末期の胃癌を患うなど、人間としての身体は彼らを強力に縛っていきます。すると、彼ら自称宇宙人たちの行う、人類の救済をめぐる事業や議論は、その大仰さとも相まって滑稽な妄想に過ぎないのかもしれないとも思えてきます。

しかし、そのような安易な結論をこの小説は許してくれません。物語は以下のように結ばれます。

円丘の叢林に身を隠し、やや斜めに着陸してゐる銀灰色の円盤が、息づくやうに、緑いろに、又あざやかな橙いろに、かはるがはるその下辺の光りの色を変えてゐるのが眺められた。

ここでは「眺められた」主体が誰なのかが隠され、それが幻影だったのか、事実だったのかは包み隠されてしまうのです。

このような事実確定の困難さを同小説の語りは絶えず突き付けてきます。様々の謎は小説が閉じられても続き、それは無数の解釈を可能とし、読者を幻惑する魅力となっているといえるのではないでしょうか。

2017年5月26日には吉田大八監督による映画『美しい星』の公開が決定しています。一元的な結論を困難にするこの小説がどのように映像化されるのか、今から期待が高まりますね。

 

【参考文献】
有元伸子「三島由紀夫『美しい星』論―二重透視の美学」(『金城学院大学論集』33、1991)
山崎義光「二重化のナラティヴ―三島由紀夫『美しい星』と1960年代の状況論」(『昭和文学研究』43、2001)
梶尾文武「三島由紀夫『美しい星』論―核時代の想像力」(『日本近代文学』81、2009)

初出:P+D MAGAZINE(2017/05/16)

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