【映画公開記念!】『オリエント急行殺人事件』を読み解くための、4つのカギ

2017年12月8日に公開され、話題を集めている映画『オリエント急行殺人事件』。今回は原作小説のあらすじと作品にまつわるトリビア、そしてクリスティ作品における本作の立ち位置などについて、4つの視点で紹介します。

2017年12月8日に公開され、早くも大きな反響を呼んでいる映画『オリエント急行殺人事件』。アガサ・クリスティの人気長編ミステリを映像化した本作は、監督・主演をケネス・ブラナー、列車の乗客をミシェル・ファイファーペネロペ・クルス、そして被害者となる富豪をジョニー・デップが演じるなど、その豪華な出演陣で話題を集めています。

今回は、「映画化がきっかけで原作小説に興味が出てきた!」「読んだことあるけど、どんな話だっけ?」という方のために、原作小説のあらすじと作品にまつわるトリビア、そしてクリスティ作品における本作の立ち位置などについて、4つの視点で紹介します。

【犯人ネタバレなし】『オリエント急行殺人事件』のあらすじ

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① 事件の始まり

シリアの冬の朝、五時。アレッポ駅のホームに列車が入っていた。鉄道のガイドブックに出ている列車で、〈タウルス急行〉という堂々たる名前がついている。(中略)

寝台車の乗降口のそばに、軍服を粋に着こなした若きフランス軍中尉が立ち、痩せた小柄な男と話をしていた。

物語は、こんな風に始まります。若きフランス軍中尉は、これからタウルス急行に乗り込むある男を見送るためにアレッポ駅に来ていたのでした。
その男こそ、名探偵エルキュール・ポアロ。ポアロは、エルサレムで事件をひとつ解決したばかりでした。イギリスに帰る前にイスタンブールで久しぶりの休暇をとろう――と考えていたポアロのもとに、1通の電報が届きます。それは、新たな事件の解決を求める内容でした。

「私は今晩発たなければならなくなった」と彼は管理人にいった。「シンプロン・オリエント急行は何時発かね?」
「九時でございます」
「寝台は取れるかな」
「大丈夫だと思います。こんな季節には、簡単にお取りできます。汽車はほとんどがら空きでございますから」

急いでロンドンに帰るため、ホテルでオリエント急行の1等の寝台車の予約を頼むポアロ。ところが、真冬だというのに、寝台車は満員だと言われてしまいます。
しかし、ホテルの食堂でたまたま出会ったオリエント急行の運営会社の重役・ブークが気を利かせ、客の来ない部屋にポアロを案内してくれることに。こうしてポアロは無事、オリエント急行に乗り込みます。

② そして事件が起こる

翌日、食堂車でブークとともに昼食をとっているポアロのもとに、ひとりの金持ちのアメリカ人が声をかけてきます。

「火を貸してくださいませんか?」と彼はいった。その声は柔らかく、ちょっと鼻にかかっていた。「私はラチェットと申します」
 ポアロは軽くうなずいた。ポケットをさぐり、マッチ箱をとり出して相手に渡した。相手は受け取ったが、火をつけなかった。

声をかけてきたラチェットは、ポアロのことを高名な探偵だと知っていました。そして、自分が金持ちであるがゆえに敵が多いこと、金をはずむから、自分の護衛をしてほしいということ――を話しました。ポアロはその依頼と男の雰囲気に嫌なものを感じ、依頼を断ります

その日の夜は、雪がしんしんと降っていました。重役・ブークから譲られた部屋で一夜を過ごすポアロ。オリエント急行は、雪だまりに突っ込んでしばらく停車したりしつつも、無事に朝を迎えます。
ところがその朝、ラチェットが死体となって発見され、車内は騒然。医者が確認すると、ラチェットはナイフで体を12か所も刺されて殺されたことが分かりました。ポアロは早速、この事件の解決に向けて推理を始めます。

③ 殺された男の正体は

ポアロは事件について調べるうち、ラチェットがかつてアメリカで3歳の娘、デイジー・アームストロングを誘拐し、身代金を手にした上でデイジーを殺していた残忍な誘拐犯であることを突き止めました。事件のあと、デイジーの両親とアームストロング家に勤めていた召使いはショックによって死んでしまいます。ラチェットは、同様の手口の事件を何件も起こしているにもかかわらず、金の力で釈放され、海外に逃げていた人物だったのです。

犯行時刻は列車が雪だまりに突っ込んで停車していた深夜であること、そして、ラチェットが殺されていたときに部屋には鍵がかかっていたが、犯人はまだこの列車内にいることが判明します。容疑者は、ラチェットと同じ寝台車に乗っていた乗客全員。乗客1人ひとりに聞き込みをし始めたポアロがたどり着いたのは、実に驚くべき真相でした――。

クリスティと『オリエント急行殺人事件』

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『オリエント急行殺人事件』は、その斬新なトリックと感動的なラストシーンで、日本のクリスティ・ファンクラブによる投票でも全作品中3位に選ばれるなど、ファンから根強く愛され続けている作品です。

アガサ・クリスティは1920年に『スタイルズ荘の怪事件』でデビューして以来、私立探偵エルキュール・ポアロが登場する作品を80作以上も発表し続けました。クリスティが『オリエント急行殺人事件』を書いたのは1934年。エルキュール・ポアロの登場作品としては、8作目に当たります。

クリスティの作品は全世界で20億冊以上出版されたとされており、生前も世界的な作家としてその名を轟かせていましたが、1928年には最初の夫・アーチボルドとの離婚を経験しています。
そして同年、友人宅でのパーティーでオリエント行きの列車についての話を友人から聞いたクリスティは、10月、オリエント急行に乗ってイスタンブールやバグダッドを巡るひとり旅をします。この旅の経験が、『オリエント急行殺人事件』執筆のきっかけになったとされています。

クリスティはイスタンブールが気に入り、その後もひとりで何度もイスタンブールを訪れたそう。翌年には、イスタンブールの地で考古学者のマックスと出会い、やがて再婚しています。クリスティにとって、オリエント急行での旅は公私ともに忘れられないものとなったことでしょう。

オリエント急行ってどんな列車?

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豪華絢爛な寝台特急で起きる殺人事件――。そう聞くと、好奇心旺盛な方の中には、事件の舞台となったオリエント急行に実際に乗ってみたいと思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。

もともとその豪華さから大富豪や世界の要人の御用達だった列車でしたが、『オリエント急行殺人事件』の発表以降さらに人気が高まり、なかなか予約がとれなかった時期もあったようです。残念ながら、クリスティが『オリエント急行殺人事件』を発表した当時のオリエント急行は、現在は運行していません。

1977年に、 飛行機の台頭によって一度は運行中止となったオリエント急行。しかし1982年、アメリカ人の実業家がかつて使用されていた車両を修復し、ロンドンからパリ、ベネチアという新たなルートを通る鉄道として蘇らせました。

現在はベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスという名前で、運行を再開しています。車中では『オリエント急行殺人事件』に由来するカクテル「ギルティ12」を飲むことができるなど、遊び心も満載。乗車価格は341,400円から(※2017年12月現在)とかなりリッチなお値段ですが、熱狂的なミステリファンの方やクリスティファンの方であれば、満足できること間違いなしです。

『オリエント急行殺人事件』をめぐるトリビア

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本格推理小説が全盛の時代、そのセンセーショナルな結末によって大きな話題を呼んだ『オリエント急行殺人事件』。この作品にまつわるトリビアをいくつかご紹介しましょう 。

① 実際にあった誘拐事件を下敷きにしている

実はクリスティは、実際に起こった誘拐殺人事件に着想を得てこの作品を執筆した、と英語版の“解説”の中で公言しています。
実際に起きた誘拐事件とは、初の大西洋単独無着陸飛行に成功した飛行士、チャールズ・リンドバーグの息子が誘拐され、身代金の交渉がされたにもかかわらず殺されたという1932年の痛ましい事件。クリスティはフィクションの力を借りて、誘拐殺人事件の犯人に正義の鉄槌を食らわせたのかもしれません。

② 推理小説の形をした“イギリス人批判”?

この小説に登場する鉄道会社の重役・ブークは、「犯人は女だ」「アメリカ人は信用できない」「イギリス人が犯人とは思えない」などと、すぐに差別的な軽口を叩くイギリス人として描かれています。
そんなブークを逐一たしなめるポアロ、という名コンビも本作の魅力ではありますが、この作品にはイギリス人批判が込められている、という見方もあります。

これは、推理小説の形をかりた、さりげない「イギリス人批判」の書です。批判の自由さは、自分が半アメリカ人、半イギリス人の孤独者であること、および、国際的な大旅行者であることからきています。
(古賀照一訳版「解説」より)

クリスティはアメリカ人の父親とイギリス人の母親を持つ、旅行好きな女性でした。国際的でアクティブな女性だからこそ、イギリス人の疑い深さやシニカルさを自ら皮肉るような描写を、作中に入れ込んだのかもしれません。

③ オリエント急行は、日本でも走っていたことがある

憧れのオリエント急行。実は一時期だけ、日本を走ったことがあるのをご存知でしょうか?
オリエント急行の日本走行が実現したのは、「オリエント・エクスプレス’88」と名づけられた1988年のキャンペーンでの出来事。1988年10月に、本物のオリエント急行の車両をヨーロッパからシベリア鉄道、中国を経由して香港まで走らせ、船で日本へ輸送し、北海道から九州までの各地を2ヶ月に渡って走行させたのだそうです。

日本で手軽に豪華寝台列車・オリエント急行に乗れる機会があったことを考えると、ちょっと羨ましくなってしまいます。

映画版、観てから読む? 読んでから観る?

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2017年12月公開の映画版は、原作のストーリーを基本としながらも、ポアロと容疑者たちとの派手なアクションシーンが盛り込まれていたり、ラストの種明かしのシーンの舞台が少し変わっていたりと、原作ファンでも新鮮に楽しめる作品になっています。

制作・監督・主演を務めたケネス・ブラナーも“ポアロの内面の変化をより強調した”と語っているとおり、映画版では、邪悪な犯罪者を殺した人物たちを前に、ポアロが葛藤するシーンも。

原作ファンも、今回の映画化をきっかけに初めて『オリエント急行殺人事件』に触れた方も、劇場に足を運び、改めて原作に手を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

【参考文献】
ディック・ライリー、パム・マカリスター編 
『ミステリ・ハンドブック アガサ・クリスティー』
ミステリハンドブック
出典:http://amzn.asia/9Bxpof9

初出:P+D MAGAZINE(2017/12/27)

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