【『罪の声』 映画化】塩田武士のおすすめ作品3選
グリコ・森永事件をモチーフに、戦後最大の未解決事件の謎に迫る映画化作品『罪の声』や、俳優・大泉洋を“当て書き”したことで大きな話題を呼んだ『騙し絵の牙』など、取材力を活かした骨太な作品を書き続けている小説家・塩田武士。そのおすすめ作品を3作品ご紹介します。
2020年10月30日から、映画『罪の声』が全国公開されています 。本作は「グリコ・森永事件」をモチーフとする塩田武士の同名小説が原作となっており、初共演となる星野源と小栗旬のダブル主演で大きな話題となっています。
『罪の声』の原作者である塩田武士は、新聞社での将棋担当記者としての勤務経験を持つ小説家。その取材力を活かした緻密な構成と、骨太なストーリーが大きな特徴です。今回は、『罪の声』を含む塩田武士のおすすめ作品を、あらすじと読みどころとともにご紹介します。
『罪の声』
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4062199831/
『罪の声』は、“昭和最大の未解決事件”と言われる、グリコ・森永事件をモチーフにしたミステリ小説です。本作は週刊文春のミステリーベスト10にて2016年の第1位を獲得し、第7回山田風太郎賞も受賞したほか、第14回本屋大賞では第3位に選ばれるなど、各方面で話題を呼びました。
実際のグリコ・森永事件は、1984年から85年にかけて起きた脅迫・誘拐事件。江崎グリコ、丸大食品、森永製菓といった食品会社が標的となり、毒入りの菓子をばら撒いて社会を騒がせたとともに、「かい人21面相」を名乗る犯人グループがマスコミに挑戦状を送りつけたことから、劇場型犯罪とも呼ばれました。
『罪の声』では、脅迫を受ける企業名がギンガ・萬堂製菓に変更され、「ギン萬堂事件」として扱われるほか、犯人グループの名前も「くらま天狗」と改められています。フィクションという形をとってはいるものの、事件の発生日時や場所、報道内容や挑戦状の内容などは史実どおりに書くことを意識したと塩田は語っています。
主人公は、京都で紳士服のテーラーを営む曽根俊也。ある日、亡き父が遺した黒革のノートに、「ギンガ」「萬堂」の文字があるのを見つけます。不審に思い、同じく父の遺品であった1本のカセットテープを再生してみると、そこから流れてきたのは幼いころの自分の声でした。風見しんごの流行曲を歌う声が聞こえてきたあと、
「きょうとへむかって、いちごうせんを……にきろ、ばーすーてーいー、じょーなんぐーの、べんちの、こしかけの、うら」
と、何かの場所を指し示すようなたどたどしい言葉が続きます。思わず「ギン萬堂」事件が頭に浮かび、インターネットで当時の音声を検索してみると、事件の身の代金受け渡しの際に使われていた音声が、まさにいま自分が手にしているテープの音声だと気づくのです。
なぜ、昭和最大の未解決事件と呼ばれた犯罪に、子どものころの自分の声が使われているのか──? 俊也は謎を追っていくうち、未解決事件を追う特別企画班の一員としてギン萬堂事件を担当していた新聞記者の阿久津英士を知ります。導かれるように出会ったふたりは、俊也を含め、事件に関わったという3人の子どものその後を追ううちに、予想もしなかった事実にたどり着きます。
グリコ・森永事件を描こうとしたフィクションは多数ありますが、本作は事件に関わることとなってしまった罪なき“子どもの声”と、彼らのその後の人生に着目したことで、ミステリ小説であると同時に人の歴史を感じさせる重厚な作品となっています。加害者・被害者どちらの立場であっても、ひとつの大きな事件の背景にはさまざまな危険や悪意のある報道に晒され続けた人たちがいるということを痛感させられる一作です。
『盤上のアルファ』
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『盤上のアルファ』は、塩田武士が2010年に発表したデビュー作です。当時、神戸新聞社の将棋担当記者として勤務していた塩田がその取材経験を活かし、1年の時間をかけて執筆した本作は、第5回小説現代長編新人賞、将棋ペンクラブ大賞の文芸部門大賞を受賞しています。
本作の主人公は、県警担当の新聞記者であることにプライドを持っていた男・秋葉隼介。正義感は強いものの、協調性がなく傲慢な性格が災いして上司に嫌われ、将棋担当に異動させられてしまいます。慣れない仕事にストレスを募らせていた秋葉はある日、プロ棋士を目指しているという同い年の男・真田信繁に小料理屋で出会います。
将棋の世界にはかつて、原則的に、26歳までに四段になれなければプロの道を諦めなくてはいけないという厳しいルールがありました。しかし裾野を広げるためにルールが改正され、アマチュア大会で優勝する、奨励会にいる二段・初段を相手に対局し、全8戦のうち6戦以上で勝利する──といったいくつかの厳しいハードルを超えると、プロになることができると真田は秋葉に語ります。
アルバイトをクビになり、家族もおらず、まさに崖っぷちに立たされていると語る真田の情けなさがどこか自分に重なった秋葉。秋葉は思わず、
「真田がプロになれれば、俺は記者を辞めてやる」
と真田に言い放ってしまいます。家も職もなくなった真田はその言葉をきっかけに、編入試験対局が終わるまでという約束で、秋葉のマンションに転がり込んでくるのです。将棋のことしか頭にない真田や彼の将棋仲間たちと深く関わるようになった秋葉は、しだいに、将棋というものの奥深さに魅了されていきます。
将棋の対戦時の鬼気迫るような描写とそのディテールのリアリティはもちろん、真田と秋葉の漫才のように賑やかな会話も本作の大きな魅力。
「困ってる人助けるんが新聞記者ちゃうんかっ」
「困ってる人助けるのはおまわりさんや。新聞記者は困ってる人いますよって知らせる係や」
「何の役にも立たへんやないか」
「おまえに言われたないんじゃっ」
といった関西弁の小気味よいやりとりが随所に見られ、シリアスなシーンとのギャップに思わず笑わされてしまいます。真田と秋葉はともに33歳といい大人ではありますが、ふたりが小競り合いを重ねながらも絆を深めていくさまは、まさに青春小説のようです。
『騙し絵の牙』
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『騙し絵の牙』は、塩田武士が2017年に発表したエンタメ小説です。市場規模が落ち込み、雑誌の廃刊が続く出版・エンタメ業界を舞台にした本作は、俳優・大泉洋を主人公に“当て書き”(脚本などで、特定の俳優のイメージをあらかじめ取り入れた役を作ること)したと塩田が公言したことでも話題を呼びました。実際に、『騙し絵の牙』は大泉洋主演で2021年の映画化が決定しています。
本作の主人公は、大手出版社で雑誌の編集長を務める男・速水。彼は同僚が皆認める“人たらし”で、お調子者だけれど誰の心もすぐに掴んでしまうような性格です。
眠そうな二重瞼の目と常に笑みが浮かんでいるような口元に愛嬌があり、表情によって二枚目にも三枚目にもなる。スーツにドット柄のベストを合わせて洒落ているが、嫌味はない。
という速水の描写は、まさに大泉洋そのもの。彼がちょっとした世間話やものまねを披露するだけでも場が沸き立ち、常に人の輪の中心にいるような人物です。同時に彼は編集者としての矜持を誰よりも持っており、機嫌を損ねた作家が仕事を降りると言い出したときは、自らの覚悟を示すためにバリカンを持ち出し、頭を丸めようとするような情熱もあります。
そんな彼が担当している雑誌『トリニティ』に、ある日廃刊の話が持ち上がります。理由はずばり、売り上げの低迷。廃刊を匂わされた速水は愛する同誌を存続させるべく、作家との衝突や派閥争いを乗り越えながら、ひとり奮闘します。
本作では出版社の幹部や関係者の危機感のなさ、いい加減さが大きくクローズアップされ、彼らにひとりで立ち向かおうとする速水の苦労も非常にリアルに描かれています。出版業界やエンタメ業界に身を置く人であれば、本作で描かれている業界の内情に深く共感するはずです。
また、間違いなく本作のいちばんの魅力となっているのは、速水という男の底知れなさ。誰にでも愛想がよく、すぐに人の懐に飛び込んでしまうような彼には、角度によって姿を大きく変える騙し絵のように、驚くような“裏の顔”があります。そのもうひとつの顔が明かされるラストは圧巻です。
おわりに
映画『罪の声』の脚本を務めるのは、『逃げるは恥だが役に立つ』や『アンナチュラル』、『MIU404』といった作品でドラマファンから絶大の信頼を得ている野木亜紀子。事件に巻き込まれた弱い人々の“声”を彼女がどのように描くかも、大きな注目ポイントです。映画化を機に『罪の声』に興味を持った方はぜひ、他の塩田武士の作品にも手を伸ばしてみてください。
初出:P+D MAGAZINE(2020/11/04)