採れたて本!【国内ミステリ#05】

採れたて本!【国内ミステリ】

 思い返せば昭和の頃には誘拐事件が頻繁に起きていた記憶があるけれども、昨今は監禁目的の場合はともかく、身代金目当ての誘拐は滅多に起きないのではないか。ちょっと前の刑事ドラマでは、逆探知の時間を稼ぐため犯人からの電話への応答を可能な限り引き延ばす描写がよく見られたが、通信解析技術が発達したため今はその必要がなくなっている……といった具合に、ただでさえ昔から割に合わない犯罪と言われてきた誘拐は、捜査技術が進歩したため更に遂行困難になっているのである。

 ならば、ミステリ小説の世界でも誘拐は描きづらくなっているのだろうか。その問いに対する一つの回答が、阿津川辰海の長篇『録音された誘拐』だ。

 探偵役を務めるのは、著者の短篇集『透明人間は密室に潜む』所収の「盗聴された殺人」に登場した山口美々香と、大野探偵事務所所長・大野糺。美々香は糺とは大学時代からの知り合いであり、並外れた聴覚を活かし、糺が経営する探偵事務所の一員として活躍している。美々香が耳で集めた情報をもとに、糺が推理を組み立てて真相解明に役立てる──というのが、「盗聴された殺人」で描かれた両者の関係だ。

 ところが、本書においてはこの名コンビが別々に行動せざるを得なくなる。というのも、作中の誘拐事件の被害者となるのは大野糺そのひとなのだ。彼を拉致したカミムラと名乗る男は、自称・犯罪請負人。どうやら、推理コミック『金田一少年の事件簿』に登場する「地獄の傀儡師」のような、依頼人の計画に手を貸す犯罪プランナーらしい。

 一方、犯人からの連絡を受けた糺の実家・大野家は警察に通報する。大野家を訪れていた美々香は、犯人からの通話をもとに、監禁されている糺の現状を突き止めようとするが……。

 糺をはじめ、大野探偵事務所のもう一人のメンバー・望田、糺の弟の智章、そして担当の警察官など、複数の登場人物の視点が目まぐるしく入れ替わるし、大野家の近所で起きた殺人事件や、十五年前に起きていたもう一件の誘拐事件など、本筋にどう絡んでくるのか不明な事件もあって、プロットは錯綜を極めている。だが、やや取っ散らかっているとすら感じられたそれらの要素が、ある驚くべき構図に向けて収斂してゆく終盤の連続どんでん返しは、ルービックキューブを達人が完成させる鮮やかな手際にも似ている。誘拐事件への対応も現在の警察の捜査技術を取り入れており、まさに令和の誘拐ミステリの現時点における到達点と言えそうだ。

録音された誘拐

『録音された誘拐』
阿津川辰海
光文社

〈「STORY BOX」2022年10月号掲載〉

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第92回
最所篤子『小さなことばたちの辞書』