月刊 本の窓 スポーツエッセイ アスリートの新しいカタチ 第6回 竹内智香

2014年のソチ五輪で銀メダルを獲得したスノーボード界の女神は、5度目の五輪となる平昌大会で、悲願の金メダルを狙う。類い稀な行動力とポジティブ思考の源は何なのか。

 
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読書好き。最近買った本は『生き方』(稲森和夫著)と『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)─100年時代の人生戦略』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著)。寝る前やエアロバイクでトレーニング中に本を読むという。「電子書籍をばんばん買っちゃう」と竹内。

竹内智香(33歳)
(スノーボードアルペン選手)

Photograph:Yoshihiro Koike

 
 透き通ったライトブラウンの瞳、艶やかな黒髪。たっぷりの陽光が注ぐトレーニングルームに現れた女子スノーボード界の第一人者、竹内智香は「キラキラ」という音がこぼれて聞こえそうなほど輝いていた。
 柔らかさの残る口調ながら、誰よりも明快に自分の考えを語る。控えめな気遣いをみせたり、自由闊達に振る舞ったり。日本人のようで、外国人のよう。どちらも両極端なのに融合しているのが、とても魅力的だ。“ハーフ”と言われる由来だろうが、いわゆる“ギャップ”だらけなところが人を惹きつけるのかもしれない。
 応援したくなる選手だ。今や所属先の広島ガスはじめ、彼女をサポートする企業や団体は数え切れない。だが、スノーボードのアルペン競技は長年、「日本人は勝てない」と言われてきた種目。選手として活動するため、竹内は数百もの企業にアプローチをするなど、スポンサー探しに奔走した日々もあった。今でこそ支援の輪は大きいが、「第一人者」の定めに従い、苦労を重ねて、道を切り拓いてきた。
 オリンピック出場は、三十四歳で迎える次の平昌大会で自身五度目。その思いに陰りはなく、「最初の大会から毎回、引退を覚悟で挑んでいる」と竹内は言う。トップに立てないのなら、意味はないと遙かなる高みを目指す。だが今、同種目のトップ争いは苛烈さを増している。「平昌では、上位十選手のうち誰が勝ってもおかしくない」という。竹内は覚悟しながらも、「それでも自分が勝てるとしか思えない」と自信をみなぎらせる。やるべきことをやり尽くしているアスリートの美しい姿がそこにあった。
 凜とした佇まい。スポンサー探しのみならず、単身スイスに渡って錬磨した。今の彼女を築き上げた行動力の源はどこにあるのか。そう尋ねると、「もう二度と出来ないです。ムリですね。知らないから出来ることがいっぱいあるから」と陽気に笑った。ギャップは二面性にも通じる。本人も「AB型じゃないんですけど、AB的な性格」と、あまのじゃくで小悪魔のような雰囲気を覗かせ、「オープンで、良くも悪くも自分勝手」と自己分析する。竹内ワールド全開の楽しいインタビューとなった。

「なんで日本人だったんだろう」から
「日本人だったからこそ」へ

 二人の兄を持つ末っ子。幼いころから、竹内は男の子とばかり遊んでいたおてんば娘だった。生来のスピード好きで、幼稚園の時には補助輪なしの自転車で駆け回り、兄たちに「飛ばしすぎ!」と叱られてばかりだったという。両親が共働きだったので、日が暮れるまで遊ぶと、近所の家で晩ご飯を食べたり、お風呂に入れてもらったり、そのまま寝てしまったり。北海道の大地で大らかに、いろんな人に可愛がられて育った。
 スノーボードを始めたのは、小学校六年生の時。だぼだぼのウェアで「だらしがない」と父に反対されたのだが、スピード競技のアルペンはイメージが正反対。雪山の斜面にある旗門が設けられたコースをいかに速く滑るかを競うので、ユニフォームも滑降する姿もすっきりとシャープだ。「これなら硬派でいい」と父のお墨付きをもらうと、親子でハマっていった。
 類い稀なセンスを発揮した竹内は、高校生だった十八歳でオリンピック初出場を果たす。二〇〇二年のソルトレークシティー五輪は二十二位。続くトリノ五輪は九位の成績を収めた。
 
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スノーボードアルペンは、雪山の斜面に旗門が設けられたコースをいかに速く滑るかを競う競技。最高時速60キロ。平昌オリンピックの種目は、パラレル大回転という。コースは左右に設置され、2選手がそれぞれのコースを1本ずつ滑り、タイムを競う。(写真提供:ポリバレント株式会社)

 ところが翌年、日本代表チームの中で竹内は最年長となり、強化メンバーから外されることに。日本での練習に限界も感じていた竹内は、強豪国スイスの代表チームに「一緒に練習をさせてほしい」と何度も直談判。何と半ば相手を根負けさせたかたちで、まずは二か月間の練習参加の機会を得ると、そのまま五年もの間、スイス代表チームと練習を重ねた。異例も異例だ。
 ドイツ語は現地でベビーシッターをしながら猛勉強した。「当時は、なんで自分は日本人だったんだろう、スイス人だったら良かったのにと思ってました。ただ、今すべてをひっくるめて考えると、日本人だからこそヨーロッパに行こうって思ったし、ヨーロッパを知ることができた。ヨーロッパのアスリートだったら、こういう人間にもなれてなかった。最終的に良かったって思ってます」
 日本とヨーロッパの違いを知り、目覚ましい成長を遂げた竹内は一二年、オーストリア人専属コーチのフェリックス・スタドラー氏とともにスイスから帰国。ヨーロッパで多くを学び、日本で多くの応援を受け、一四年のソチオリンピックで銀メダルを獲得したのだった。

選手生命危機の大けがも、
「楽しかったです! でもアメリカ行きが……」

 オリンピックを二年後に控えた昨年の三月、竹内はドイツの大会で左膝の前十字じん帯を断裂した。選手生命をも脅かす大けがに見舞われたのだ。だが、再建手術とリハビリの期間を「楽しみ」に過ごしたと明かす。
「強がりでもなんでもなくて、人間の身体ってすごいって思いました。だって切れたものが治っていくんです」と嬉々として語る。「もちろん、このけがで苦労した選手、ダメになった選手も見てるから、ある程度の覚悟はしてましたよ。運が悪ければ、そうなるかもって。でも、たぶん〇・〇一パーセントぐらいの確率かなって思ってました」と明るく笑い飛ばす。
 九十九・九九パーセント、自分は大丈夫。そう信じていたという。どこか他人事のように思い出して続ける。「(術後)朝起きた瞬間、本当に歩けない。人の手を借りないと生きていけないんです。屈辱でもあるけど、それって私も赤ちゃんのころに一度は経験してるんですよね。寝返りが打てるようになりました、ハイハイできるようになりましたって。それから、歩いて、立って、走れるようになった。人間ってこういう過程で生きてるんだなって。できないことができるようになる喜び。だから毎日が楽しみでした」
「そんなことよりアメリカ留学がダメになったことがショックで」と続ける竹内。ああそうなんですねとスルーしそうになり、ええええ! と思わず前のめりになった。聞けば、ドイツでの最終戦が終わった後、夏に、アメリカへ語学留学する手はずを整えていたのだという。
「人前に出ても恥ずかしくない英語が使えるようになりたくて。いっそアメリカの病院で手術したら、病院でも一生懸命にコミュニケーションを取るから、英語力も伸びるかなって。結局、保険とかの問題もあって日本で手術しましたけど、けがをして一番ショックだったのはそれ。アメリカ、すごい楽しみだったんです」と心底がっかりした様子で言うと、続けた。
「だって私、スノーボードやめたら、ただの一般人ですから。最低限、語学ぐらいできたらなと」
 竹内がスイス流の冗談を言っているのかと思った。

スノーボードを自作して会社を設立
「セカンドキャリアしか考えてない」

 実際のところ、竹内ほどセカンドキャリアに不安のないアスリートは、日本にそういない。最大の武器は、自作のスノーボードだ。元々はスイスで自分の求める板が見つからず、それなら作ってしまえと始めた。当初は、手作り感満載で「笑われた」というところから始まったが、親友で元スノーボードアルペンのトップ選手だったシモンとフィリップというショッホ兄弟とともに、立派な用具メーカーへと成長させた。「BLACK PEARL」というブランドで、今では世界のトップ選手がこぞって愛用している。
 現地で身につけた流暢なドイツ語を使って、同社のビジネスを支える竹内。毎年同社で企画するスノーボードキャンプでは、専属コーチのスタドラー氏とともに竹内も自らコーチをする。また、今年はNHKのスポーツニュース番組でマンスリーキャスターにも挑戦した。実家が営む温泉旅館を手伝うこともある。言うまでもなく、スポンサーのためのPR活動や社会貢献活動も経験豊かだ。スノーボードをやめてもセカンドキャリアはいくらでも選択肢がある。
「やりたいことが多すぎるんですよね。セカンドキャリアで他の世界を見ることが楽しみでしょうがないです」。ただし、スノーボードキャンプを通して、コーチには向いてないことがわかったという。「コーチ業の大変さが身に沁みてわかりました。マンスリーキャスターもそうだけど、選手としてでなく、コーチやメディアといった反対側の立場に立つことが大事。経験することで、その人たちの気持ちもわかるし、自分に合うか合わないかがわかるから」と語る。

「人間は自分のために生きる」
ネガティブでポジティブな本音

 周りのそれぞれの立場を理解する大切さを説きながらも、次の瞬間には対極に位置する視点を語る。インタビュー中、竹内が繰り返して熱弁を振るったのは、「人間は自分のために生きる」ということ。日本では、なかなか堂々と「自分のため」と言い切れる選手はいない。
 昨年、日本スノーボード界では、未成年の飲酒や大麻使用などの不祥事が相次ぎ、強化指定選手の全員が連帯責任で活動の一時停止を言い渡された。そのため、不祥事とは無関係の竹内もワールドカップ出場が、大会二日前まで保留された。それまでもスキー連盟に納得のいかないことがあれば、なぜなのか質問し、公でも発言してきた竹内。この時も、メディアに対して、憚ることなく連盟の批判を口にしている。それも、自分の信念に基づいてのこと。周りのために代弁する“使命感”もあったのではと尋ねると、「まったくないです」と一蹴された。
「次の世代のためとか、スポーツ界のためとか、そういう使命感はまったくないです。人間は結局、自分のために生きている生き物だと思うから。私はただ自分がアスリートとして、やりたい環境、おかしいと思うこと、正しいと思うことを、情報発信するだけ。もちろん、それが結果として、次世代のためになったり、評価されたりしたら嬉しいけれど、自分が一生懸命にアスリートとして過ごす、正しく生きていくことによって、必然的につながるものだと思っているんです」
 スキー連盟には何度も物申してきたが、驚くほどに関係は良好という。「散々わがままを言ってきたけれど、スキー連盟の人が、私を応援していないかっていえば、そうは感じないです。ちゃんと応援してくれてるし、最終的には後ろで支えてくれてます。というのも、私が言った分だけ、百パーセントの努力を注ぎ込んでるから。それを見てくれてるからだと思うんです」
 ギャップや二面性は、彼女の人間性の豊かさに他ならない。「怖いから行動するんです。結果が出なくなるのが怖いから、どんどんトライして、向上をしてきたとも思うんです」
 竹内は、自分が特別なわけではないとばかりに続ける。「きっとみんなそうだと思うんです。例えば、お金が必要で、お金がないと生きられないから働く。これもある意味ひとつの“怖さ”。それがなかったら仕事もしなくなるし、向上心もなくなる。頑張れる=ネガティブなものがあると思うんです。だから、けがでも何でもネガティブなことが起きたら、ポジティブに変わる瞬間って捉えるようにしてるんです」
 第一人者として苦労を重ねてきたことで、身に付いた芯の強さだろう。ポジティブとネガティブが表裏一体で、チャンスに変えられることを知り、実践してきた。今や、「何を言われても怖くない」という。ブログやツイッターもまめに更新する竹内は、時にSNSでネガティブな書き込みをされることもあるそうだが、「気にしないです。批判されることも少ないから、逆にそういう考え方もあるんだって思うくらい」。しなやかに受け止めて、笑う。
 彼女といると、こちらまでポジティブなエネルギーが湧いてくるようだ。次回オリンピックに向けて、災難が続いたが、それも過去のこと。今までにないレベルアップと手応えを語る。前回のオリンピックと比べて、フィジカルトレーニングは「“百倍”取り組んでます」と竹内。金メダルへの期待は高まるばかりだ。

 そんな彼女に生まれ変わるとしたら、何がいいと尋ねると、「ペットの犬」と即答で返ってきた。家族で可愛がっているラブラドール犬のように、食べたい時に食べて、寝たい時に寝たいから。そう言いながらも考え直した。「うーん、何だろう。やっぱりスポーツじゃないなって思います。パワーも行動力もある若いころから、スポーツじゃない何かに費やしてみたい」。例えば?「わかんないです。生まれてみないと」
 思ったことをストレートに言う強さと愛らしさ。彼女のワールドは淀むことなく人々を魅了し続け、これからも来世までもパワフルに広がっていく気がしてならない。

 

プロフィール

アスリート第6回プロフィール画像
竹内智香
たけうち・ともか
スノーボードアルペン選手。広島ガス所属。1983年生まれ。身長165cm、体重61kg。北海道旭川市出身。98年、14歳の時に長野オリンピックを見て、本格的にスノーボードのアルペン種目に取り組むようになる。同種目の第一人者として、02年の18歳の時、ソルトレイク大会でオリンピックに初出場。続くトリノ、バンクーバー大会にも出場し、前回大会のソチ五輪ではパラレル大回転で、日本スノーボード女子で初のメダル獲得となる銀メダルに輝いた。5度目のオリンピックとなる平昌大会で金メダル獲得を目指す。著書に『私、勝ちにいきます 自分で動くから、人も動く』(小学館・刊)
 
松山ようこ/取材・文
まつやま・ようこ
1974年生まれ、兵庫県出身。翻訳者・ライター。スポーツやエンターテインメントの分野でWebコンテンツや字幕制作をはじめ、関連ニュース、書籍、企業資料などを翻訳。2012年からスポーツ専門局J SPORTSでライターとして活動。その他、MLB専門誌『Slugger』、KADOKAWAの本のニュースサイト『ダ・ヴィンチニュース』、フジテレビ運営オンデマンド『ホウドウキョク』などで企画・寄稿。

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