森岡督行「銀座で一番小さな書店」最終回
ソールは1946年にニューヨークに移り住んでから、2013年に他界するまでニューヨークに住み続けました。ある時期は、『Harper’s BAZAAR』などの雑誌でファッション写真を撮っていて、表紙を飾ったのは1度や2度ではなかったようです。「ニューヨークスクール」という、写真の歴史にも登場する流派のひとりとしても脚光を浴びていて、いわば時代の寵児だった。
しかし、ソールは、1980年代から、経済的な成功や社会的な名声を追うことを止めて、その代わり、先述したように、モデルでもあったソームズとの時間を最も大切にするようになっていました。その後は、彼女のために写真を撮り、絵を描いたとすら考えたくなるような暮らしぶり。彼女もそれに呼応するように絵を描き会話を重ねていた。世界的に著名なアーティストになることと、今こうして私自身が歩いているように、イーストヴィレッジを散歩する日常がソールにとっては等しかった。蔵書のなかには「for Soames」という書き込みがあり、ソームズが隣にいたからこそ、そう信じることができたのではないかと思ったりもしました。
アトリエに戻ると、平松麻さんと佐藤正子さん、関根真理さんも集合していました。驚くべきことに、アトリエ内に蝋燭や電飾がともされて、薄明るい光のなかに家具や絵画やオブジェが浮かび上がっているではありませんか。またそれらが北側の窓に映り込んでもいて、何とも幻想的。何だか、ソール・ライターも一緒にいるような雰囲気。早速、全員でワインで乾杯。噂のタイ料理もクリーミーで新鮮で美味しく、再び、「ここに来て本当に良かった」と思うばかりでした。
そこで私は、一発芸を披露することにしました。このようにテキストを書いていると、私は、あたかも英語が流暢に話せるような感じですがそうではなく、英検5級、いや、そんな級はないけれど、言うなれば10級程度で何とか対応しているのが実状。そのため困った時は、「スター・ウォーズ」に登場する金ピカのロボットの「C-3PO」のモノマネで対応しようと、自宅の鏡の前で、動きを練習していたのです。もっとも、以前からこのようなモノマネは少しやっていて、今回さらに磨きをかけてきました。例えば、テーブルの前などで、ただ直立して、「C-3PO」の動きをするよりも、たっぷり助走をつけて、廊下をテクテク歩きながら、動作した方が良いということがはっきりしていたのです。そのため一旦隣の部屋に移動して、そこから歩いて登場させていただくと……。部屋にいる全員が笑いに包まれました。私の一発芸は成功成功大成功。そして、マイケルさんはこう言いました。「You are a New Yorker」。
もともと、山形県で生まれて決して都会の人間ではないので、「そんなおいそれとNew Yorkerを名のることはできない」と思いましたが、他ならない、ソール・ライター財団のマイケルさんがせっかくそう言ってくださるのだし、他のだれも異論をはさむこともないので、受け入れてみようと思い直しました。私は、たった3日ほどの滞在で「New Yorker」になることができたのです。こうして、無事に仕事を終えて日本に帰国しました。