◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第6回 前編
「田沼山城守を殺した佐野善左衛門(さのぜんざえもん)の墓所には今も大勢が詣で、ひきも切らないと聞きました。ですが、真相は『誰たきつけて佐野に切らせた』あの落首のとおりかもしれない」
「田沼追い落としの暗闘はとうに始められている。どんな手を使っても田沼の執政を終わらせようとする勢力が、大飢饉を機に露骨に行動を開始した。田沼は馬鹿じゃない。気づいているに違いない。田沼は、時をかけて改変するつもりだったろうが、海外交易の拡大を後継するはずだった山城守が殺されて、それも絶たれた。あとは主殿頭を失脚させればいいだけだ。
黒幕はわからんが、取って代わるとすれば田沼政権から遠ざけられている譜代門閥(ふだいもんばつ)の誰かとなる。誰にせよ連中は馬鹿のひとつ覚え、何でもかんでも旧制に引き戻そうとするに違いない。蘭癖(らんぺき)、西洋かぶれとおぼしきものは、ことごとく排除される。それがいかに人々の暮らしのうえで重要で進歩をもたらす医学や薬学でも、むろん書籍や画、装飾具や衣服、遊具の果てまで、世を混乱させ頽廃(たいはい)させる悪と決めつけ、根こそぎ葬ろうとするに違いない。
島原でのキリスト教徒の反乱から百年以上が過ぎ、今ではせいぜい旅に出る折、寺の坊主が往来切手に、『御法度(ごはっと)の切支丹(きりしたん)にてはござなく候(そうろう)』と形ばかりの文句を記して皆満足している。だが、連中はその気になれば自分たちに都合よく何でも逆手にとって乱用する。東照宮家康の神格を損ねることは、武家の権威をおとしめ、武家の支配を危うくする。連中が恐れているのはそれだ。その臭いを感じさせる者を見れば、昔のキリスト教徒のごとく逆賊と決めつけ、何でもかんでも圧し潰してくる。
実は田沼も、そこに踏み込んでしまった。金銭万能の市場の世となれば、武士は金になるものを何も作り出さず何も産み出さない、単なる穀潰(ごくつぶ)しに過ぎなくなる。持っている金銭の額が人の価値を決め、人の位階を定める市場の世は、それまでの身分や仕組みも当然壊す。何も産み出さない武士が支配できる特別な理(ことわり)を、田沼は図らずも壊してしまった」
「確かに、抜け荷や買い占めでボロ儲けした蔵前(くらまえ)辺りのド悪党が御大尽(おだいじん)と仰がれ、人の弱みにつけ込んで大金をむさぼる糞神主や生ぐさ坊主、ヤブ医、あんな盗賊もどきが両手を合わせて拝まれています」と丸屋は笑った。
「……お前さんの蜆子和尚(けんすおしょう)は、かつて日本に潜入したイスパニア系の修道士に見えた。渡来の文物は、どうしてもかの地の信教の色を帯びる。わかっているとは思うが、クルスやロザリオはもちろん、それらしきものは極力避けたほうがいい。何とかの箱船とか、キリスト教にかかわることは、誰が相手でもとくに慎め。慎重であるに越したことはない。蜆子和尚にわざわざ海老を持たせたのは賢明だ。あの油絵のように、賢くやればいいだけのことだ。
西洋風の画は、平らな一枚の小さな紙や布に見たこともない世界がまざまざと現われる。この波止場の風の音も、波の香も感じられる。見える者が見ればくっきりと心に映る。進む方角は間違っていない。ほかのことはいざ知らず、画の道があるとすれば、お前さんの切り開く道はけして消えない」
「やはり西洋暦での年代なども避けたほうが?」
「キリストの生誕年から数えた年号だろう? 今年は、西洋暦の千七百八十五年に当たるのか。この墨絵で今日初めて知った。
島原の反乱を鎮定した直後、幕府軍の総指揮をとった松平信綱は長崎の代官末次平蔵(すえつぐへいぞう)の屋敷に宿泊した。二代目の平蔵、平左衛門茂貞(へいざえもんしげさだ)はなかなかのやり手で、オランダ商館を平戸から長崎出島へ移させるために松平信綱を平戸へ連れ出した。末次が松平信綱にオランダ商館の何を見せたと思う」