◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第6回 前編

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伝次郎が田沼時代の終焉を思う一方、幕府御用船は蝦夷島を目指して出航する。

 

     十八
 

 天明五年(一七八五)六月十七日、丸屋勝三郎(まるやかつさぶろう)が再び新作の銅版画と墨絵の習作を携え、芝(しば)宇田川町(うだがわちょう)の加瀬屋伝次郎(かせやでんじろう)宅を訪れた。

 銅版画は、伝次郎が以前もらった『三囲(みめぐり)景図』や『御茶水(おちゃのみず)景図』とほぼ同じ大きさで、縦八寸(約二十四・二センチ)、横一尺二寸(約三十六・四センチ)ほどの紙に摺られ、筆で彩色をほどこしたものだった。これまでと変わらず、清澄な天空の青とその下を藍の色をたたえ静かに流れる川、そして岸辺の高木と奥に広がる林とを丹念に描いていた。近景は大きく強い線で、遠景は小さく細微に描かれていた。川面(かわも)には岸辺の木々が映り、上流の奥に異国のものだとわかる石造りの堅牢な館と切石を巧妙に組み上げた眼鏡橋(めがねばし)が位置していた。赤い上着の釣り人が遠くに小さく見え、近景の数羽泳いでいる白鳥に餌を与えている女は、黒い髪で唐人のような赤い長衣を身に着けていた。手前の河畔に置かれた床几(しょうぎ)には背もたれが付いており、それに身を預けて横座している青衣の女は、紅毛で顔も白く、西洋女の髪形をしていた。画面の余白上には『Serhentine(サーペンタイン)』の文字が入り、異国の初夏、柔らかな緑に包まれた穏やかな時が小さな画(え)のなかにとどめられていた。

「まるで異国にいて目の前に見ているようだ」と伝次郎が漏らすと、異国の画をもとに描いたものだと丸屋は話した。画題となった『サーペンタイン』は、英吉利(イギリス)にある川の名だという。

 差し出されたもう一枚は、絹布に墨で港の風景を描き、墨の濃淡だけで穏やかにたゆとう波の輝きと背後から差し込む陽光までを見事に表わしていた。埠頭(ふとう)に立った菅笠(すげがさ)の親方らしき人物が、朝もやのなか近づいてくる艀船(はしけぶね)の者に右の人さし指で何かを指示し、その足元で荷造りをしている使用人らしき姿が描かれていた。光は親方の背後からあたり、その上衣やカルサンのしわまでも描きこんだ細やかな影で表わされていた。左手には波止場の石造り建物が連なり、その奥の岸壁に帆柱を数本立てた南蛮船が碇泊(ていはく)しているのがわかった。右手には港湾の出口となる水平線が示され、数隻の南蛮船が、なだらかな岬の先から外洋へ遠ざかっていくさまを描いていた。数隻の南蛮船は遠ざかるにつれ次第に小さく描かれ、画面に奥行きをもたらしていた。空が画面の上半分を占め、流れる雲のさまを筆まかせの濃淡で描ききっていた。

 画の上部には『De ZeeMan(船員)』、その下に『Annos1785』の西洋暦による制作年が示されていた。右上端に『江漢馬峻写』の署名が縦書きで入れられ、以前聞いた例のオランダ人父子の銅版画集をもとにした習作だという。

 丸屋手練(てだれ)の墨絵は、単色にもかかわらず風景も人物も筆で彩色した銅版画よりずっと息づいて見えた。黒と灰色だけのこの画のほうが、むしろ彩りを豊かに感じさせた。これまで見たなかで最も丸屋の技量をよく表わしていた。オランダの銅版画を模写したというが、おそらく原画よりも丸屋の墨絵のほうがまさっているだろうと思われた。すでに「江漢」の画号は、漢画に徹すれば食べていくのには困らないだけのものとなったが、丸屋はそこに安住する気はなく、あえて独り西洋画法の習得に情熱を傾け、辛抱強くその歩みを続けていた。そのひとつの到達点を示す見事な墨絵だった。伝次郎は言葉を発することもできず、しばらく異国の朝の波止場に見入った。

「旦那のお好きなほうを置いていきます」と丸屋は言った。

 いつの頃からか丸屋は、「旦那には今まで充分に頂戴しました」と画代を受け取らなくなった。

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飯嶋和一(いいじま・かずいち)

1952年山形県生まれ。83年「プロミスト・ランド」で小説現代新人賞を受賞しデビュー。88年『汝ふたたび故郷へ帰れず』で文藝賞、2008年『出星前夜』で大佛次郎賞、15年『狗賓童子の島』で司馬遼󠄁太郎賞を受賞。18年刊行の最新作『星夜航行』は、第12回舟橋聖一賞を受賞。

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