◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第6回 前編
また、松前に到着してから買い入れる品は、苫屋の代理として蝦夷島に渡る堺屋市左衛門(さかいやいちざえもん)に資金を預け、かの地で買いそろえることにした。
一、煙草約四千三百八十斤予定代金約七十三両
一、麴(こうじ)約三百六十六俵予定代金約百十三両
一、小間物類予定代金約三十両
天明四年の幕府財政は、勘定奉行松本秀持(ひでもち)が危惧したとおり巨額の赤字となって表われた。米は三万九千百十三石、金は二十一万七千百四十五両の欠損を出した。これで天明元年以来、四年連続の赤字財政となった。この天明五年も、大凶作のあおりを受け好転は望むべくもなかった。
蝦夷地探索の主な目的のひとつは、蝦夷島の奥地や千島列島、カラフト(樺太)などの先住民との交易で、これまでとかくあいまいにされていた北方貿易の実際を明らかにすることだった。飛騨屋久兵衛(ひだやきゅうべえ)ら内地からの商人まかせとなっている蝦夷地交易の利益が莫大な額にのぼるのは想像できた。松前藩預けとしている蝦夷地の、いずれは幕府による召し上げを視野に入れた交易実検である。
御用船二隻が品川を出帆した同じ四月二十九日、蝦夷島の松前では、探索方が各隊の陣容を決め、それぞれの目的地に向かって出発することになった。蝦夷地検分は三手に分かれ、担当するそれぞれの地域で偵察調査に当たることとした。
東蝦夷地検分隊
クナシリ(国後)島を拠点とし、キイタップ(霧多布)からクナシリ島に渡り、それよりまたエトロフ(択捉)島、ラッコ島(ウルップ島)方面へ、千島列島を順次北上して調査にあたり、なるべく遠くの島々まで見届ける。
普請役二名 山口鉄五郎・青嶋俊蔵
下役二名 大石逸平・大塚小市郎
松前藩からの同行者 案内人二名・エゾ語通辞三名・医師一名
そのほか竿取り(測量係)などを加え、総勢二十名
西蝦夷地検分隊
ソウヤ(宗谷)を拠点とし、ソウヤからカラフトへ渡り、異国製品の交易路を調査する。なるべく遠くの島々まで見届ける。
普請役 庵原弥六
下役 引佐新兵衛
松前藩からの同行者 案内人一名・通辞二名・医師一名
松前本部
東西両隊と松前藩、江戸表への連絡、物資調達等に当たる。
普請役二名 佐藤玄六郎・皆川沖右衛門
下役二名 里見平蔵・鈴木清七
但し、佐藤玄六郎と下役二名は江戸からの御用船到着を待ち西蝦夷隊に合流するためソウヤへと向かう。
北方の夏は短く、八月には長雨が到来する。その雨季が終われば、北方は一変して人を拒む厳格な異境と化す。この年に活動できるのは余すところ三ヶ月しかなかった。陸路で行き来できるのは、松前藩領の東西六十里ほど、いわゆる「和人地」ぐらいなもので、渡島半島のほんの一部分に過ぎない。それより外の広大な地は、すべて未開の蝦夷地となり、通行は海路と河川をたどるしかなかった。
苫屋が送ってくるはずの御用船二隻の到着は遅れ、東西の検分隊が拠点を置くことになる西蝦夷のソウヤと東蝦夷のクナシリ島までは、松前藩から提供された船を使うしかなかった。
去る天明四年六月、勘定奉行の松本伊豆守(いずのかみ)秀持による突然の通達は、松前家中を震撼(しんかん)させるに充分だった。
『わが国の外国貿易は長崎一港に限られているはずであるが、近年になって外国製の品々が国内に数多く入り、長崎での輸入高をはるかに超えている。これを不審に思い内偵したところ、内地の商人が赤蝦夷(あかえぞ)まで踏み入り、勝手に異国人と交易していることが判明した。昔から蝦夷地は、限定された地域を越えて、他領の者が立ち入ることができない仕来りになっているはずであるが、内地商人が勝手放題に交易しているのは、松前家の取り締まりに手抜かりがあるためである。もし幕府からそのことを正式に糺明されるようなことになれば、松前家の存亡にもかかわることになりかねない。そんな大事となる前に、内々に真相を報告せよ。そのうえで松前家単独での取り締まりが難しいのならば、幕府でも力を添える用意がある』
寝耳に水の状況におちいった松前藩では、普請役の受け入れと協力を申し出る以外になかった。しかし、普請役に洗いざらい調査されれば、松前藩の取り潰しにも直結しかねない不法が蝦夷地で恒常化していた。藩としては、道案内、エゾ語の通訳、医師などを普請役に同行させ、幕府法を逸脱する急所から目を遠ざけさせる必要があった。
(後編へつづく)
〈「STORY BOX」2019年8月号掲載〉