◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第12回 前編
大金を投じて新造した弁財船には次々と海難が──
すでに江戸市中は田沼意次が老中を解職された話で持ちきりとなっていた。田沼が御三卿と御三家に辞職願を書かされたともいう。田沼が下ろされたことで米を始め物の値が下がるわけではないが、諸悪の根源たる田沼が幕政から下ろされたことは何よりの幸いと町衆には受け止められていた。
「田沼による将軍毒殺の噂なんぞも出まわりまして、まったく馬鹿な話で田沼が将軍を毒殺するはずがない。将軍に死なれて田沼には何の得もないわけですから」丸屋は常のごとく世俗の馬鹿さ加減を嗤(わら)った。
「当然そうなる。田沼が手を下すはずがない。そもそも家治公の病は何だったんだ」伝次郎が尋ねた。
「脚気(かっけ)、水腫(すいしゅ)病とか。足にむくみが出たと聞きました」
「水腫は、脚気ばかりか、心の臓や腎臓を悪くしても足にむくみが出る。死にいたってもおかしくない病の場合も多い」
「しかし、いかにも都合よく運び過ぎている気がします。田沼が実権を握ってこの六年、浅間の噴火に始まって大凶作に大飢饉、確かにとんでもないことばかりが相次ぎました。田沼の息子が殿中で殺され、それでも田沼はどこ吹く風で幕政を握ったまま居座り続け、馬鹿大名どもの自業自得による金詰まりのため全国津々浦々まで御用金を出せと言い出す始末で、下々が怒り狂っている時に、またも関八州(かんはっしゅう)の大洪水で何万人もの民百姓が死に、印旛沼の干拓は吹っ飛び、怒りがすべて田沼に向けられた頃合いを待っていたかのように家治公が亡くなりました。
で、旦那が以前おっしゃっていたことを思い出しまして、人が殺されて一番得をするのが真の下手人だと。将軍毒殺となれば、考えられるのは次期将軍の大納言家斉の実父、一橋治済。それに松平越中(定信)あたりかと」そう言って丸屋は伝次郎を見た。どうやら彼は、将軍家治の死と田沼の解職が何者かによる陰謀であると言いたいようだった。
「まあ、家治公が死んで一番得をするのはそのあたりだろうが、もしそうだとしても、真の下手人がはっきりするまでは時がかかる。そうたやすくは見えて来るはずがない。お前さんも少しは世に知られた絵師だ、めったなことは口にするな。誰が聞いているかわかったもんじゃない。
家治公も当年五十か。前将軍の家重(いえしげ)公も確か五十ぐらいで亡くなっているはずだ。茶飲み話としては面白いが、やはり寿命だろう。世間は田沼憎しで、ただの失職では面白くない。あることないこと色々と尾鰭(おひれ)をつけられる……」
まさか田沼より先に家治公が亡くなるとは伝次郎も予想しなかった。田沼意次の政事を後継するはずだった田沼山城守意知(やましろのかみおきとも)が二年前に殿中で斬殺され、六十八歳の田沼が病に倒れるか死ぬかすれば田沼の時代は確実に終わる。何のかんの言っても、それまでは田沼の時代が続くものと伝次郎は思っていた。それが、五十歳の将軍家治が先に逝き、こんな形で田沼時代の終焉(しゅうえん)を突然迎えようとは思いもしなかった。
丸屋が嗤うように田沼による将軍毒殺説はあまりに馬鹿げているが、こういう形での田沼の葬り方があった。田沼山城守の暗殺と将軍の病死、すべては偶然の出来事にも見えるが、幕府ばかりか大奥にまで強固な人脈を築いた田沼意次の時代を終わらせるためには、敵対勢力によっていかなる手段も取られうると思われた。
鳴り物入りで始めた印旛沼の干拓は洪水で元の木阿弥。凶作で米不足の長引く中、全国津々浦々まで一人残らず御用金を出せと言うにいたっては、悪あがき以外の何ものでもなく、民百姓のすべてを田沼は敵に回した。その時にあわせたごとく家治公が亡くなった。
「お前さんの言うように家治公が二十日か二十五日に亡くなったとして、田沼の解職が幕府から出されたのは昨日、二十七日。田沼はその間どうしていたんだ」伝次郎はそこにひっかかりを覚えた。