◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第3回 前編
これまで幕府は、ポルトガルを始めイギリスやオランダなど南方から到来する異国勢力にばかり目を向け、北方に注意を払うことはなかった。工藤平助は、蝦夷島を幕府の支配下に置き、そこでの金鉱山開発と対オロシャ交易を提唱していた。
『カムサスカ(カムチャッカ半島地方)とは、赤蝦夷(赤ら顔の異人国)の正しい名である。調べたところ、阿蘭陀(オランダ)の東隣にオロシャ国があって都をムスコウベヤ(モスクワ)という。わが国ではムスコベヤと呼んでいる。オロシャは、寛文年中(一六六一~七三)のころから勢力を得て、正徳(一七一一~一六)のころには、奥蝦夷のカムサスカの国までを従えてしまった。蝦夷とカムサスカの間に、千島の島々が連なる。オロシャはここをも享保(一七一六~三六)ごろから侵し始め、城郭を構えているともいう。
オロシャ人たちは、時々松前の近辺に漂流してくるそうである。阿蘭陀に接しながら、そこから奥蝦夷まで手をのばしてきたと聞いている』
工藤平助は、オロシャ国の位置と北から次第に版図を広げ蝦夷地に迫っているその脅威を説き、警戒をうながした。その言わんとするところは次のようなものだった。
『オロシャは、漂流してきた日本人を優遇して日本語までも研究している。わが国においても、オロシャの侵攻を放置しておくべきではない。まず要害を固めておく必要がある。
蝦夷地の東海岸には以前からロシア人が来航し、運上(うんじょう)場所と呼ばれる地で内地の商人らと密かに交易が行われている。しかし、現今は抜け荷(密貿易)を禁ずるより、表立ってオロシャと交易に踏み切るべきである。北の交易路が一本あってよいのだ。そうすればオロシャの風土や人情も知ることができる。オロシャと交易すれば、長崎における唐(清国)や阿蘭陀との交易も、競争から安値をまねき、銅も日本から流出せずにすむ。オロシャとの交易は、なにも北海の地に限らず、長崎やほかの要害の港で行ってもよい。交易には要害の地を選び港を設け、次には抜け荷を禁制しなくてはならない。このまま放置すれば、ますます抜け荷は盛んになるに違いない。
また蝦夷には鉱山が多くあるといわれ、わが国力を増すために蝦夷地の金銀銅を採掘してオロシャ交易をなすことである。オロシャから来る薬種類との交易が実現すれば、その資金で金山開発が可能となろう。鉱山開発と交易によってわが国力を高めることができる。
蝦夷地を取り巻く状況は、カラフトの果て、西北から東にかけて、皆オロシャの境地である。おそるべきことだ。このまま打ち捨てておけば、カムサスカの者は、蝦夷とひとつになり、蝦夷がわが国の支配から脱してオロシャの命令に従うことになりかねない。そうなってしまえば、もはやわが国の支配を受けることはすまい。その時になって悔いても取り返しがつかないのである。
しっかり調べておきたいのは、蝦夷地の金山とオロシャの動向である。地元の蝦夷は、米、酒、塩、煙草(たばこ)を好む。採掘の賃金にはこれらを必要とし、金銀は必要としない。それゆえ金山採掘の出費がかさんでも、金銀銅の産高で交易をなすべきである』