◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第3回 後編
松前藩の財政が本州商人からの運上金によってまかなわれるようになれば、山師たちの荒稼ぎの場となり、原住民は一方的な略奪を受けざるをえなくなる。原住民に代価として支払われる米一俵の中味は八升、本州における一俵の五分の一しかない量で、酒樽も二斗で一樽と数えるというひどいものだった。本州商人は松前藩と癒着し、蝦夷島で盗人(ぬすっと)まがいの悪事を働いていた。
また、江戸の飛騨屋久兵衛(ひだやきゅうべえ)、南部領の辻文左衛門(つじぶんざえもん)らは運上金を納め、蝦夷地の木材を片っ端から切り出して江戸鉄砲洲の材木問屋に廻送していた。辻文左衛門は、東蝦夷地のアツケシ(厚岸)で帆柱用の大木を伐り出し、江戸の材木問屋に廻送したものの、あまりの大木で高値のため売れ残っているとの記述もあった。
山の森林を伐りまくれば、海の漁獲にもいずれは影響を及ぼさざるをえない。本州商人は採算が立たなくなれば引き上げるだけのことだが、あとには荒らされた山海が残されるばかりとなる。昨今伝え聞く江差などのニシン不漁も、後先を考えぬ山師どもが手当たり次第に獲りまくれば当然の結末だった。
『赤蝦夷風説考』のなかで工藤平助は盛んに蝦夷地「開発」の必要を説いていたが、その実体は、これまで本州商人が行ってきた盗人同然の仕業を、今度は幕府が率先して行うだけの話だと伝次郎には思われた。
六月十日、先月下知された大坂からの買い上げ米三万石が、幕府廻船方の苫屋久兵衛(とまやきゅうべえ)の船五隻で品川に着いたとの報せが届いた。困窮する江戸市中にもたらされた久々に明るい話題だった。
庶民の手にそれらの米が渡るまでの運びは、十三日に町名主が申請した米の量に応じて町年寄から切手を出してもらう。そして、十七日に町名主はそれぞれ指定された場所で切手と引き換えに米を受け取り、その代金を町年寄の役所へ納めるという手順になっていた。
家主すなわち大家は、申請した米を町名主から受け取って代金を名主に預け、困窮する裏店の住人に分配するという手はずだった。
十七日、指定された芝田町の蔵場は、周辺各町からの荷車と人足でごった返した。与力と同心が何人か出役し、さしたる混乱もなかったとかで家主の要蔵は申請した通りの米を無事に受け取ってきた。
要蔵は、東海道に面した表店(おもてだな)の住人をはずし、裏店の長屋住人のすべてに、老少男女の別なく少ない量でも等しく行き渡るよう、一人につき三升の計算で申請し、町名主の許しを得た。
一人に米三升ではせいぜい持っても十日ぐらいなものだった。甘蔗や麦、雑穀をまぜて食い延ばすしかないが、果たしてこの秋にどれだけの収穫があるものか。大飢饉が起これば種米も食べ尽くしてしまうことになる。大豊作など起こりようもなかった。
(連載第4回へつづく)
〈「STORY BOX」2019年5月号掲載〉