◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第1話 Welcome to Japan〈前編〉

◇長編小説◇日明 恩「水際守護神S」──第1話 Welcome to Japan〈前編〉

警視庁から東京税関に出向した槌田。羽田空港での研修が始まった。

 男の選んだ九番を担当していたのは小柄な女性検査官だった。ミーティングで制服を着ていなかったら学生だと槌田が思った女性だ。

「馬鹿だなぁ、九番の担当は驚異のロリータの異名を持つ鈴木(すずき)さんなのに」

「驚異の──、なんですか?」

「私服だと高校生に間違えられるくらい幼い顔立ちですが、鈴木さんの年齢は三十二歳で、ベテランなんです」

 二十代前半だと思っていただけに驚愕する。

「まだ新人だと思うんでしょうね。こいつなら誤魔化せるだろうと後ろめたい物を持ち込んでいる連中が、こぞって鈴木さんのいるブースに行くんです。あ、すみません、今はまだ、あまり見ないで下さい」

 ブースの後ろの出口近くに背広姿の男二人が何をするでもなく、ただ立ち続けているのだから、何かしらの公職に就く者だと思われてしかるべきだ。その視線が向けられていると気づかせてはならない。張り込みや尾行の鉄則だ。単純な失態に槌田は反省する。

 それでもやはり気になって、ちらりと盗み見た。鈴木が笑顔で男に話しかけている。後ろ姿の男からは緊張感は窺えない。それどころか、前屈みに鈴木に身を寄せた。まるで楽しく談笑しているようだ。男の姿勢が戻った。鈴木が変わらぬ笑顔で男に何か告げている。男がスーツケースに手を伸ばす。だがすぐにトランクの持ち手を掴もうとはしない。再び鈴木が話しかけた。その表情は一変して厳しい。ようやく男はスーツケースの持ち手を掴んだ。

「スーツケースの置き方を見て下さい」

 五番ブースへ目を向けたまま、英が囁くように言う。

 男がスーツケースを両手で持ち上げた。大きさの割に軽そうだ。そのまま検査台の上にスーツケースを置く。それも乱雑ではなく丁寧にだ。

「軽めの壊れ物?」

「いい線です。私の読みはスマートフォン絡みの備品です。せっかくですから、近くに行きましょう」

 早足で向かいながら英がさらに話しかけて来た。

「検査が長引きそうな場合は、ブースのランプを消します。同時に、手の空いた検査官が客を他のブースへと誘導します」

 見ると九番のライトは消えていた。さらに男の背後に列んでいた客も、いつの間にかそこにいた検査官によって他のブースへと案内されている。見事な連携だと槌田は感心する。

 男がスーツケースを開けた。鈴木は慣れた手つきで一番上に置かれた洋服を退かすと、巨大なビニール袋を取り出した。片手で持ち上げているのだから、重くはないらしい。大きな物が一つではなく、何か小さな白い物が大量に入っているようだ。

「邪魔にならないように、このあたりで」

 検査台から少し離れたところで英が立ち止まった。袋の中に白い包みがいくつも入っているのが目視できた。

 鈴木は「確認します」と断ってから、ビニール袋の中から小さなビニール袋を数個掴み出した。袋を開けて中身を取り出す。縦横五センチ、厚み二センチ程度の白いプラスチック製の箱状の物だ。手にした鈴木はすぐさま上部に付いた蓋を押し開けると、中からさらに小さな物を指で摘まみ上げた。形状からするとワイヤレスのイヤフォンだ。

 鈴木が胸のワイヤレスマイクに向かって「機動案件お願いします」と告げる。

「万が一の場合に備えて、摘発時は機動班の応援要請をすることになっています。機動班は待機している残りの二班が担当します」

 少ししてCIQ棟に続く廊下の自動ドアが開いた。中から男性検査官が出て来て九番ブースへと近づいて来る。

「これは?」

 鈴木は訊ねながら、検査台の上にワイヤレスイヤフォンを並べていく。

「あー、友達にお土産です」

 男が片言の日本語で答えた。

 到着した機動班の三人のうち、二人の男性検査官が手を貸す。台の上のほとんどがワイヤレスイヤフォンで埋められていく。

「反対側もお願いします」

 鈴木に言われて、男性検査官がスーツケースの残った片側も、上に載せられた洋服を除ける。やはり下には大きなビニール袋が隠されていた。検査官が中から小袋を取り出す。中身は同じワイヤレスイヤフォンだ。

「これ、一ついくらですか?」

 訊ねる鈴木の声は決して高圧的ではない。

「あー、ネットで買ったから、一つは分からないです」

 口調も内容も、そらっとぼけているとしか聞こえない。

「レシートは?」

「ないです」

「全部で六十個だね」

 二つのビニール袋に入っていたワイヤレスイヤフォンを綺麗に並べて数え終えた検査官が数を告げる。

「いくらか分からないと持って帰って貰うことになるから」

 淡々と鈴木が男に伝えると、男があわてて「全部で三万円くらい」と答えた。

「六十個で? 一つ五百円? ずいぶん安いのね」

「ベトナムのだから」

 妙に明るく男が答える。

「そうなんだ」

 話しながら目の前に持ち上げたワイヤレスイヤフォンを注視している。

「でもこれは、日本には持って入れません」

 きっぱりと鈴木が断言した。ならばあれはコピー商品だ。ブランド品はもちろんノーブランドでも正規商品ならば正当な納税をすれば日本に持って入れる。けれどコピー商品は日本に持ち込みは出来ない。

「えー、どうして? ダメですか?」

「ここにね、アップル社の印字がありますよね? でも、印字が斜めになってるでしょ? 本物ならばこんなことはないし、何より五百円では買えないよね?」

「安い物、友達のお土産、お願い!」

 男は両手を合わせて、甘えた声で鈴木に頼む。

「ノーブランドだったら、きちんと申告して納税してくれれば持ち込めたんだけどね。これは偽物だから日本には入れることは出来ないの。日本に入国するのなら、所有権放棄をして貰います。つまり没収です。どうしても嫌ならば、これを持ってソウルに戻るしかありません。どうします?」

 にこやかに、しかしにべもなく鈴木が告げる。男は黙り込んだものの、すぐに「いいです。これ、いらないです」と、投げやりに返した。諦めるしかないと悟ったようだ。

「それでは手続きしますので、あちらへ」

 並べたワイヤレスイヤフォンをまた袋に詰め、荷物をまとめると機動班の三人は男を十七番のブースの隣の検査室へと誘導する。通り過ぎる四人を見送っていると、「こちらへどうぞ」と鈴木の声が聞こえた。ブースのランプが点灯している。他の列に列んでいた客が、我先にと移動してきた。何事もなかったように、また整然と検査が執り行われていく。

「朝イチから出るものなんですね」

 溜め息交じりに槌田は言った。

「二十四時間空港なので、日付け変更からならばすでに八件目です。あ、また何かありましたね」

 英の視線を追うと、五番ブースのランプが消えていた。CIQ棟との自動ドアが開き、機動班が入って来る。

「もちろん、なんでもない場合もありますけれどね」

 英の声を聞きながら、検査に引っかかる客を目の当たりにして、こんなにもいるのかと槌田は驚愕する。

「これが東京国際空港の税関検査です」

 笑顔で英がそう言った。

(後編へつづく)
〈「STORY BOX」2019年4月号掲載〉

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日明 恩(たちもり・めぐみ)

神奈川県生まれ。日本女子大学卒業。2002年『それでも、警官は微笑う』で第25回メフィスト賞を受賞しデビュー。他の著書に『そして、警官は奔る』『埋み火  Fire’s Out』『ギフト』『ロード&ゴー』『優しい水』『ゆえに、警官は見護る』など。

◎編集者コラム◎ 『見えない目撃者』豊田美加
井上義和『未来の戦死に向き合うためのノート』/戦争体験者が総退場する時代の「戦争」に向かい合う