芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第33回】貧困と孤独について

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第33回目は、水上勉『雁の寺』について。少年僧の孤独と怨念を描いた作品を解説します。

【今回の作品】
水上勉雁の寺』 少年僧の孤独と怨念を描く

お寺の小僧さんの話ですね。お寺の小僧さんというと、『一休さん』というのが思いうかびますが、あの一休禅師にまつわる物語は、昔話や説話の原型とされている「貴種流離譚」の一種で、高貴な生まれの子どもが、わけがあって辺境の地をさまよいながら、やがて名を高めていく、といった物語のモデルに沿ってできた説話だと思われます。一方、この小説に出てくるお寺の小僧さんは、地方の貧しい家に生まれ、身寄りもなくなった若者が、お寺の雑用係として住み込み、辛酸をなめるといった物語です。

実際に水上勉さんは、貧乏で子だくさんの家に生まれたため、10歳くらいのころにお寺に預けられて、たいへんな苦労をされた体験をおもちのようで、この作品にはドキッとするほどのリアリティーがあります。
地方、貧困、孤独……。これは逆境という設定の三要素といっていいかもしれません。ただ水上さんが生きた時代というのは、戦前の日本ですから、都会と地方の落差はいまよりもはるかに大きなものでした。当然、貧困というものも想像を絶したもので、たぶんいまの日本では見当たらないほどの、赤貧というべき貧乏な人々がいたのだと思います。

とはいえ、昔は情報の流通が少なかったので、地方の人々は、自分たちの貧困を、それほど苦労とは感じていなかったのかもしれません。それに昔は、都会の下町にも、地方の農村にも、家族や親族、それから町内や村のコミュニティーというものがあって、人と人との絆が、もっと強かったのではないかと思います。

犯罪に至る過程がリアルに描かれる

しかし中には、家族もなく、そういうコミュニティーから脱落して、孤独になってしまう人もいたのでしょうね。
で、お寺の小僧さんとして住み込むわけですね。こういう住み込みの仕事も、いまではあまり見られなくなりました。もちろん宗派の拠点となるような大きな寺院では、寄宿制の学校みたいな感じで、若者たちが集団で修行をするということはあるのでしょうが、この作品に出てくるのは、田舎の貧しい寺に住み込んで、奴隷のように働かされるという状況です。

未来に展望のないような状況ではあるのですが、この寺には怪しい女がいます。お寺というと、禁欲的な場所という感じがするのですが、それは禅宗の総本山の永平寺みたいな大きなお寺の場合で、末寺といわれるような小さなお寺の住職は、妻帯していますし家族もいます。そんなお寺ならいいのですが、何となく怪しい住職が、怪しい女を囲い込んで、毎夜、愛欲にふける、といった、宗教というイメージから逸脱するような場所に住み込んでいる小僧さん……。これはちょっと、苦しい状況ではないかと思います。

思春期にそんな場所にいると、性格が歪んでいって、やがて背徳的な人格が形成される、というふうに図式的に説明してしまうとつまらなくなるのですが、この作品は細かい描写によって主人公の日常生活がリアルに描かれ、やがてそこから犯罪という事態が生じる過程が、読者にも納得できるように描かれています。

社会派ミステリーという潮流

戦前の日本文学には、プロレタリア文学と呼ばれる潮流がありました。社会の底辺で貧困にあえいでいる人々の物語を描くことで、この社会に構造的な問題があり、革命を起こすしかないという、社会主義の宣伝みたいな作品が、一つのトレンドであった時代があったのです。
当時は言論の自由がなく、社会主義者たちは投獄され、時には処刑されるような時代でした。だからこそ、論文ではなく、文学で社会主義を広めたいという、強いモチベーションがあったのだろうと思います。

戦争が終わると、日本は民主主義の国になりました。社会主義も共産主義も、堂々と論文で公表するようになりました。そうなるとかえってプロレタリア文学は衰退してしまいました。ただ貧困を描くだけでは、インパクトがもてないようになったのです。

そこで登場したのが、この水上勉と、松本清張です。彼らは社会の底辺を描きながらも、そこにある人間の充たされない欲望が、やがてやむにやまれぬエネルギーとなって、犯罪に転化している過程を描きました。それはやがて、「社会派ミステリー」と呼ばれる大きな潮流に発展していきました。
ただ貧困を描くだけでは、あんまりおもしろい作品にはならないのですが、そこに事件をからめると、スリルが出てきますし、事件の真相が最後に判明するような書き方にすると、ミステリーになるのですね。

いまという時代には、水上勉が描いたような貧困はないかもしれませんが、現代にも貧富の格差というものはあります。「貧乏」の尺度というものは相対的なものですから、いまも貧困という状況は存在すると考えていいでしょう。しかし貧困そのものをまともに描いた作品は、意外に少ないのではないでしょうか。
貧困と孤独。これはいまの時代でも、文学の素材としては大切なものです。これに地方色が加われば、とても豊かな文学が生まれるはずです。あなたの身の周りにも、そういう現実がころがっていないか、探してみてください。

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初出:P+D MAGAZINE(2017/12/07)

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インタビュー 本と私 石黒 浩さん