芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第38回】記憶とは何か真実とは何か

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第38回目は、朝吹真理子『きことわ』について。記憶の美しさと不確実性を描いた作品を解説します。

【今回の作品】
朝吹真理子きことわ』 記憶の美しさと不確実性を描く

記憶の美しさと不確実性を描いた、朝吹真理子『きことわ』について

朝吹真理子さんの芥川賞受賞は、ちょっとしたセンセーションになりました。同時受賞がコテコテの私小説の西村賢太さんだったので、美女と野獣、などと言われました。朝吹さんが、父は仏文学者で詩人、大叔母が翻訳家、本人も慶応大学の院生という、知識人の家庭に育ったのに対し、西村さんが中卒の肉体労働者という、何とも対照的な境遇なので、ことさらに話題になったのでしょう。

文学というものは多様です。文壇の評価とか、販売部数で勝ち負けを決めるようなものではありません。いろんな作品がある。そこがいいのだと思います。ただ芥川賞(直木賞や他の新人賞もそうですが)はコンペですから、勝ち負けが生じます。

それでも幸いなことに、二作受賞ということが可能ですから、優劣のつけがたい作品、あるいはあまりにも対照的すぎて比べることが不可能な作品を、同時受賞にして世に送り出すことができます。朝吹さんの『きことわ』も、西村賢太さんの『苦役列車』とセットで受賞することで、大いに話題になった作品です。

懐かしい過去の記憶の食い違い

同時受賞の『苦役列車』は、わかりやすい作品です。中卒で肉体労働をしている若者の貧乏な生活……。とてもわかりやすいですね。
これに対して『きことわ』はどうでしょうか。「きこちゃん(貴子)」と「とわちゃん(永遠子)」という二人の女の子が、長い空白期間ののちに再会します。
舞台は葉山の別荘。一人は別荘の持ち主のお嬢さん、もう一人は別荘の管理人の娘という設定です。そこで二人は一夏を過ごします。きこちゃんは8歳。とわちゃんは15歳。この二人が25年後に再会するという話で、まあ、そういうこともあるだろうという、リアルな物語に見えます。それで二人は、共通の過去を懐かしく想い起こすことになるのですが……。

そこから先が、この小説のおもしろいところです。お互いの過去と、いまについて。それと関連して、それぞれの母のことや、家族のこと、それらを交えながら、あの夏に何があったのかといったことを、いまは中年になった二人の女が語り合うわけですね。その一夏の想い出は、それぞれに強い印象となって残っています。ですから、あんなことがあった、こんなことがあったと、どんどん語っていくことになるのですが、そのうちに奇妙な食い違いが生じていくことになります。
一人が、こんなことがあった、という話をすると、相手が、それは違うんじゃないの、という感じで、お互いの記憶にずれが生じていくのです。

読み進むうちに、読者は混乱におちいっていきます。これはリアリズムで書かれた小説ですから(と読み始めた時はそう思って読み進むのですが)、確実な過去というものがあって、でもそれぞれに記憶違いがあって、話が食い違っているのですから、どちらかが間違っているはずです。それで、真実はどこにあるのかというところに、興味が向いていくことになるのですが、そのあたりで読者は、あれれ、と思うことでしょう。

これが推理小説なら、登場人物の語ることに食い違いがあれば、どちらかが虚偽の証言をしているのですし、誰が嘘をついているかを探っていくうちに、事件の真相も明らかになる。つまり、犯人が誰かわかるということになります。でもこの『きことわ』は、推理小説ではないのです。謎は最後まで明かされることはありません。何が真実かわからないままに、読者は宙に投げ出されることになります。

語りの信憑性を疑う実験小説

記憶とは何か。記憶と真実の距離とは何か。もしも記憶と真実の間に大きな隔たりがあるのなら、登場人物の記憶によって構成される小説というものは、真実とはいかなる縁もないただの言葉遊びにすぎないのではないか。そんなことを考えてしまうくらいに、この作品は何かしら本質的で根源的なものをはらんでいるような気がしてきます。
これは一種の実験小説なのでしょう。小説というのは、ある事実を想定して、それを語るものだという、そういう小説の語りの信憑性を根底から疑うような、過激な実験といってもいいのです。

時代と人間(坪内逍遙の言葉でいえば世相と人情)を描くのが小説、ということを、ぼくは教室で学生諸君にくりかえし伝えてきました。でも、芥川賞の場合は、もう一つ、重要な要素があります。それは、「実験」です。小説のスタイルというものは、時代とともにどんどん変わっていくので、時々、まったく新しいスタイルの作品が登場します。そういうスタイルの冒険を、そのつど評価してきたのが、芥川賞の歴史なのです。

でも、ちょっとだけ皆さんに忠告しておけば、この朝吹さんの文章は、思いっきり翻訳調です。これはこの作品のスタイルのせいですし、この文体でなければ描けなかった、新しい試みに挑戦しているのですが、これでふつうの小説を書こうとすると、わざとらしい虚仮威しの文体と感じられるかもしれません。だから真似をしないように、というところで今回はおしまいです。

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初出:P+D MAGAZINE(2018/02/22)

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