芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第51回】社会的なテーマを描くということ

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義! 連載第51回目は、大城立裕『カクテル・パーティー』について。米兵による少女暴行事件を描いた小説を解説します。

【今回の作品】
大城立裕カクテル・パーティー』米兵による少女暴行事件を描く

米兵による少女暴行事件を描いた、大城立裕『カクテル・パーティー』について

終戦から70年ということが言われています。その間、日本は平和でした。平和であるということは、単に命を失う人や怪我をする人がいないということだけではありません。戦争というものは無駄な消費です。税金を鉄道や道路やコンビナートの建設など、産業基盤に投資するのではなく、戦争のためにお金を使ってしまうと、経済成長が止まってしまいます。日本は戦争をせず、軍備をほとんどもたなかったからこそ、急速な経済成長を実現することができたのです。

しかしこういう考えは、東京など、内地と呼ばれる地域に住んでいる人間の、楽観的な感想なのかもしれません。沖縄は面積の半分くらいが米軍基地になっていて、朝鮮戦争やベトナム戦争などの、なまなましい現実をつきつけられてきました。ヘリコプターの墜落など、基地周辺に現実の被害が及ぶこともありましたし、昨日まで戦地で闘っていた兵隊が、休暇で沖縄の歓楽地にくりだして、事件を起こすということも少なくなかったのです。

終戦から6年後の1951年にサンフランシスコ講和条約が署名され、進駐軍に支配されていた日本は、再び独立国として再出発することになりました。日本国中の人々がそのことを祝い、そこから戦後の経済発展が起こったのですが、沖縄はその時点で、日本から切り離されていたのです。沖縄が日本に返還されたのは、1972年のことです。それまで実に約20年にわたって、沖縄は日本ではなく、米軍の支配下にあったのです。
通貨はドルでしたし、道路は右側通行でした。日本人が沖縄旅行をしようと思えば、パスポートが必要でした。沖縄は日本にとって外国でした。つまり日本は、沖縄を切り捨てることで独立を果たしたのです。

様々な国籍の人が意見を交わす議論小説

しかし沖縄の人々は、アメリカ人になったわけではありません。日本語を話す日本国民だったのですが、それでもアメリカの統治下にあるという、何ともやりきれない状況下に置かれていたのです。『カクテル・パーティー』が発表されたのは1967年ですから、まだ沖縄返還が実現されていない時期ですし、ベトナム戦争のまっただ中でした。タイトルのとおりに、米軍基地住宅の中で開かれたカクテル・パーティーのようすが、作品の中心に置かれています。

たまたまその中には中国語研究会の人もいて、アメリカ人、日本人、中国人が、さまざまな意見を交わす、一種の議論小説になっています。中国人が加わっていることで、沖縄というものの歴史的な状況までが、作品の中で語られます。沖縄は江戸時代の途中までは、琉球という独立国でした。そして中国とも国交を結んでいました。やがて鹿児島の島津藩の中に組み込まれることになるのですが、中国人はいまでも、琉球は中国の属国だったのだから、独立して中国の一部になればいいなどといったことを主張します。

この作品が書かれた時代から、半世紀近い年月が流れているのですが、沖縄が置かれている状況は、ほとんど変わっていないように見えます。いまも米軍基地があり、周辺の住民は危険にさらされています。都市の市街地に隣接した基地の移転が計画されていますが、それは沖縄の別の地域に移されるというだけで、沖縄だけが大きな負担を強いられている現実は少しも変わりません。こんなひどい状態にある沖縄の人々が、それでも自分たちを日本人だと考え、日本と友好関係を持続させることができるのか、不安な気もします。

社会問題への意識の欠如

物語の後半では、米軍関係者が犯した犯罪について、話が展開していきます。こういう犯罪については、県の警察も、裁判所も、日本の法律で裁くことができないという現実も、少しも変わっていません。そのことを改めて意識すると、この作品が提出した問題提起は、ほとんど普遍的で超時代的なものだという気がします。小説というものは、世相と人情を描くものだと言ったのは明治時代に『小説神髄』を書いた坪内逍遙ですが、いまの言葉でいえば「社会」と「人間」を描くのが小説の役目だということでしょう。

社会的な問題の中に人間を置いて、人間の苦悩を描くという方法もあれば、人間をしっかりと描いていくうちに、その人間が置かれた社会の問題点が見えてくるという方法もあるのですが、いずれにしろ、社会と人間とは切り離すことができないものです。この作品が世に出たころ、ぼくは20歳くらいの若者でした。学生運動にも興味をもっていましたし、社会のことを考えていました。そんな自分の昔のころを振り返りながら、自分が小説の書き方を教えている大学の学生諸君と接すると、何というか、いまの若者たちは社会的な問題意識が欠如しているなと感じずにはいられません。

問題意識が欠如しているだけで、いまでも、社会的な問題がなくなってしまったわけではありません。貧富の格差はむしろ広がりつつありますし、戦争の危機もじわじわと迫ってきているというのが、いまのぼくたちの置かれた状況ではないでしょうか。社会というものに、もっと目を向けていいのではないかと思います。社会に目を据えて、ただの図式的な作品ではなく、しっかりと人間を描いた作品が書ければ、一躍、新進作家として脚光を浴びることも夢ではないと思います。がんばってください。

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初出:P+D MAGAZINE(2018/09/06)

【著者インタビュー】広野真嗣『消された信仰 「最後のかくれキリシタン」―長崎・生月島の人々』
◎編集者コラム◎『フィッターXの異常な愛情』蛭田亜紗子