芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第52回】時代と社会を私小説の手法で描く
芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義! 連載第52回目は、小島信夫『アメリカン・スクール』について。終戦後の日米関係を鋭く諷刺した作品を解説します。
【今回の作品】
小島信夫『アメリカン・スクール』 終戦後の日米関係を鋭く諷刺した作品
終戦後の日米関係を鋭く諷刺した、小島信夫『アメリカン・スクール』について
小島信夫は私小説を書く「第三の新人」の一人です。代表作はおそらく『抱擁家族』でしょう。一戸建てのマイホームを建てたものの、妻は若いアメリカ人と浮気をしているようで、家庭の中に隙間風が吹き、子どもたちも離反しているという、家庭の崩壊を描いた名作です。
小島信夫は、晩年はジェームズ・ジョイスふうの前衛的な作風で『別れる理由』という大長篇を書いたのですが、この作品はリアルな私小説ふうの展開が途中から崩れて、わけのわからない前衛的な展開になるという作品で、結局のところ、生涯にわたって私小説を書き続けた作家だといっていいでしょう。
だとすると『抱擁家族』で描かれた家庭崩壊は、小島信夫のプライベートな体験をもとにしたものと考えられます。もちろん小説ですから、多少のフィクションは加えられているのでしょうが、それでも事実との差は大きいものではないと考えられます。読者はまるで、他人の不幸をのぞき見するような気分で、この作品を読むことになります。文学というものは恐ろしいものだという感想を、多くの読者はもつことでしょう。
この芥川賞受賞作は初期の作品ですから、家庭を描いたものではないのですが、作者の個人的な体験をそのまま書いたのではないかと思われるような、異様なリアリズムが感じられる作品です。
主人公をおそう不条理な展開
作品の舞台は終戦直後です。まだ日本が戦勝国のアメリカが率いる進駐軍によって統治されていた時代です。新しい日本を築くためには英語教育が大事だということで、英語の先生が役所に集められて、米軍基地の近くにあるアメリカの学校を見学することになります。
アメリカ人の学校ですから、先生も生徒もアメリカ人です。当然、英語はぺらぺらです。これに対して、日本人の英語の先生は、読み書きはできるのですが、しゃべることはほとんどできません。そのコンプレックスがテーマになっています。
とくに主人公の先生は、自分の英語力に絶望していて、逆に居直って、絶対に英語をしゃべらないと決め込んでいます。一方、先生方の団体の中には、英語の得意な人もいて、ただ見学するだけでなく、自分たちにも模擬授業をさせてくれと申し出ます。しかも、出来不出来がよくわかるように、その英語の得意な先生と、アメリカ人としゃべらないように逃げ回っている主人公が、代表で模擬授業をしたらどうかと提案します。
作品の冒頭で、主人公たちは役所の入口で長い時間待たされ、それからトラックやジープが走行する軍用道路を歩かされることになります。身なりを整えるようにという役所の指示で、慣れない革靴をはいていた主人公は靴ずれを起こして歩けなくなり、結局、アメリカ兵のジープに乗せられて、いやおうなく会話をしなければならなくなります。
そういった不条理ともいえる不幸が次から次へと襲いかかってくる展開は、ただの私小説ではなく、終戦直後のアメリカに占領されている日本人の卑屈さを描いた、社会小説というおもむきもありますし、いったい何のためにこんな苦難に遭遇するのかという、カフカ的な展開とも感じられます。主人公の哀しいほどの卑屈さが、いつしか鋭いユーモアとなって、気の毒というよりも、思わず笑ってしまうということになり、その意味では、悲惨な状況を描きながらも、奇妙な明るささえ感じられる作品になっています。
その意味で、これは受賞に相応しい作品といっていいのでしょう。終戦直後の占領下という特異な時代を描いたものだけに、いまの若い読者がどう受け止めるのか、ご紹介するのに戸惑いを覚えるのですが、私小説がそのまま社会小説にもなるという、文学史の黄金期ともいえる作品を学んでおくのも貴重な体験となることでしょう。
終戦直後と現代の共通点
ここから学ぶべきものは何でしょうか。いまは長く平和と繁栄が続いた、穏やかで豊かな時代だといってもいいのですが、貧富の格差は急速に拡大しているように感じられますし、長く続いた平和も、そろそろピンチになってきたかなというようにも思われます。こういう時代状況の中で、ある個人の生活を私小説的に描くことが、時代や社会を描くことにつながるという、終戦直後のような状況が、目の前に迫っているといってもいいのではないでしょうか。
貧困にあえぐ母子家庭の話、ブラック企業に就職した若者の話、苛酷なアルバイトに悩む学生、就職活動につまずいてしまった人、親が痴呆症で身動きできなくなった人、家族がみんな鬱病になって家庭そのものが崩壊していく物語、ネットを通じて思いがけない儲け仕事をして逆に足が地に着かなくなってしまう話……。個人がかかえている問題がそのまま社会全体の問題となるようなテーマは、到るところに転がっています。
社会の問題を描こうとすると図式的になってリアリティーが失われがちなのですが、主人公のキャラクターをしっかりと設定して、主人公を中心に、私小説の手法で小説を書いたら、個人と社会の両方を見すえた、味わい深い作品ができるのではないかと思います。
初出:P+D MAGAZINE(2018/09/20)