村田沙耶香『コンビニ人間』/芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第79回】裏返しの『人間失格』

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義! 連載第79回目は、村田沙耶香『コンビニ人間』について。現代社会における“実存”を問う傑作を解説します。

【今回の作品】
村田沙耶香コンビニ人間』 現代社会における“実存”を問う傑作

現代社会における“実存”を問う傑作、村田沙耶香『コンビニ人間』について

大学で学生たちの作品を読んでいると、よくコンビニが出てきます。ひとり暮らしの若者(たぶん老人も)にとって、コンビニは生活にはなくてはならない場所です。学生にとってはアルバイトの場でもあります。まったく知らない場所ではないので安心できますし、居酒屋に比べれば楽そうです。でも実際にやってみると、立ちっぱなしの仕事で、けっこうつらいもののようです。

この作品もコンビニが舞台です。冒頭、コンビニでの日常業務が描かれます。ディテイルがしっかり押さえられています。これはとても大事なことです。具体的で、しかも業務の裏側みたいなものがとらえられています。この種のディテイルは、書きすぎると繁雑になり、不足するとリアリティーが出てこないのですが、この作品の描写はちょうどよい分量で、ツボを逃していないという感じがします。何よりも文章のテンポがいいですね。

カフカ的手法で現代人をリアルに描く

そこから一転して、ヒロインの少女時代が語られます。この人は、ふつうの人のふつうの感じがわからないのですね。出来の良くないロボットみたいです。読んでいるうちに、太宰治の『人間失格』を思い出しました。他人の顔色をうかがい、他人に合わせて行動することが習性になった人物が、本当の自分を見失ってしまうという話でした。この作品でも、ヒロインは自分というものを見失っています。少女時代のトラブルの体験から、何もしない、他人と関わらないという、引きこもりみたいな生き方をしていたヒロインが、やがて大学に入り、偶然に見かけた新規開店のコンビニのアルバイト募集に応じます。

ここから、ヒロインの新しい人生が始まります。コンビニには接客のマニュアルがあります。そのマニュアルどおりに行動していれば、他人と言葉を交わし、他人の期待に応えることができます。ロボットがマニュアルを憶えたようなものなのですが、とにかくコンビニで働いていれば楽に生きることができるというので、18歳から36歳まで、同じコンビニで働き続けているという、そういう特異な女性の物語です。

この設定がユニークですね。リアリズムで書かれてはいるのですが、こんな人はめったにいないでしょうから、カフカ的手法といってもいいのですが、でもこれほど極端ではなくても、これに似た人というのは、いるのではないでしょうか。やや人見知りするおとなしい学生が、就職した途端にバリバリ働きだすというのは、よくあることでしょう。学生のつきあいというのは、趣味とか人柄とかをさぐりながら、微妙に関係を結んでいくという、けっこう難しいものなのですが、職場にいれば、仕事をするという共通の目的があるので、人間関係もけっこうスムーズに行くことがあるのです。

ぼくも就職して4年ほど働いていたのですが、有能なサラリーマンを演じていました。子どももいましたので、やさしいお父さんのふりもしていました。こちらの方は、二人の息子が大学を卒業して自立するまで、ずっと続けていました。サラリーマンは4年で辞めたのですが、それからはずっと、作家のふりを続けているのですね。人生って、そういうものです。このコンビニに特化したコンビニ人間の話も、けっして他人事ではありません。

鮮やかで恐ろしいエンディング

設定は以上なのですが、そこに無能なのにプライドだけは高い、困った男が登場するところから、小説はストーリーとして展開していきます。この困った男は、本当に困った男なのですね。しかしコンビニ人間のヒロインは、この男とつきあえば自分の人生に新たな展開があるのではと思ってしまう。確かにコンビニ人間は、職場にいればコンビニの従業員として機能しているのですが、仕事が終わって職場を出た途端に、無の存在になってしまうのです。男がいれば、そこから女としての人生が始まります。

読者の大部分が予想するように、この試みはうまくいきません。それでカタストロフになるかと思うと、恐ろしいラストシーンに到達します。悲劇でもあり大団円でもあるような状況を、作者は巧みに見せてくれます。このエンディングが鮮やかで、ほっとすると同時に、哀しくもなるという、すごい作品になっています。それにしても、この作者は、コンビニのことをよほどよく知っている人だなと思わずにはいられませんでした。作者自身がコンビニ人間ではないかと思ったほどです。

選考会の直後のインタビュー記事が新聞に出ていました。村田さんは、受賞当時もコンビニでアルバイトをしていたそうです。ああ、それでコンビニのことをよく知っているのだと納得したのですが、あれれ、という気もしました。村田さんは群像新人賞でデビューして、野間新人賞、三島賞と、新人賞を総ナメにしている人です。すでに有名な作家として活躍している人なのですが、それでもアルバイトしないと食っていけないのかなと、心配になりました。まあ、そういうぼくも、大学の先生をやっていました。純文学の小説家って、貧乏な人が多いのですね。

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初出:P+D MAGAZINE(2019/11/14)

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