芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第8回】幽霊を出すタイミング
芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第8回目は、浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』について。短篇の達人・浅田次郎に学ぶ、展開術と幻想を出すタイミングについて考察します。
【今回の作品】
浅田次郎 『鉄道員(ぽっぽや)』定年間近の駅長に訪れた奇跡を描く
定年間近の駅長に訪れた奇跡を描いた、浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』について
今回は直木賞作品の『鉄道員』をとりあげます。このタイトルには「ぽっぽや」というフリガナがついています。シュッポシュッポと蒸気を吐き出すSL(蒸気機関車)のイメージですね。このフリガナで、いまのJRではなく、昔、国鉄(日本国有鉄道)と呼ばれていた時代の、昔気質(むかしかたぎ)の鉄道員という感じがします。
この作品はまさに昔気質の、実直で頑固な鉄道員の、生まじめな生涯を描いた作品です。
冒頭、いまは気動車となった列車の運転席で、主人公の親友である大きな駅の老駅長と若い運転手が会話するところから話が始まります。そこで準備段階として、主人公の鉄道員の生真面目さが語られます。それから列車が支線の終点に着くと、ほかに駅員のいない一人だけの駅の駅長である主人公が、直立不動の姿勢で列車を迎えます。このシーンで、すでにこの作品は山場に到達したといってもいいでしょう。
鉄道に限らず、どこの会社にも、こんなまじめなおじさんが昔はいた、という気がしませんか。かつては、まじめというのは、美徳だったのです。いまだと、少し暗くて、融通がきかなくて、空気が読めない困った人ということになってしまうのでしょうが。
この鉄道員には妻もあり、一人娘もあったのですが、娘は赤ん坊のころに病死し、妻も亡くなっています。まじめ一筋に鉄道員を続けてきた人なのですが、心残りがあるとすれば、娘が病気で入院した時にも、鉄道の任務があるので死に目にあえなかったことです。そのことで妻にも恨まれていました。誰かと交替することは可能だったのですが、責任を果たさねばならないという実直さから、職場を離れることができなかったのです。同様に、妻の死に目にもあえませんでした。
隠れた願望が“幻想”で明らかになる
主人公が勤めるのは行き止まりの支線の終点ですが、かつては炭鉱で栄えた駅の周辺も、炭鉱の閉鎖でさびれ、支線も廃線となることが決まっています。主人公も定年が迫っていますが、鉄道一筋に生きてきたこの人には未来への希望もありません。一人きりで正月を迎える主人公を慰めるために、親友がおせち料理をもってその駅にやってくるのですが、そこで奇妙な事態が起こり始めます。
正月で里帰りした家族の娘なのか、見慣れない少女が駅に現れます。その少女が人形を忘れていくのですが、そこに姉らしい少し年上の少女が現れます。三度目に、もっと年上の少女が現れた時、どうやらこの少女は赤ん坊で死んだ主人公の娘の幽霊ではないかということが読者にもわかるようになっています。
まじめ一徹で生きてきたこの主人公の人生に悔いはないはずなのですが、この剛直な男にも人間らしいやさしさがあって、娘の死にはこだわりをもっていたのですね。もし娘が生きていたら何歳くらいだろうと、鉄道員はおりにふれて考えていたのかもしれません。そのつど成長していく娘のイメージが、死の直前の意識の混濁の中で、幽霊のような幻影となって主人公の前に現れたのです。
こんなふうに説明してしまうとつまらないのですが、実際に読んでみると、何度読んでもほろりとします。わたしは授業でこの作品をテキストにしていますので、毎年、学生たちの前で朗読するのですが、いつも泣きそうになってしまいます。
これは作者の技術力の成果です。3とおりに成長していく娘の幽霊の出し方が計算されているのです。幽霊のようなものが出てくると、作品のリアリティーが失われることが多いのですが、浅田さんは幽霊を使う達人です。主人公に幻影を見させることで、自分で押し隠していた願望が明らかになる。しかし娘はもう死んでしまっているのですから、その願望はかなえられることがないのです。そう思うと思わず泣けてしまうのです。
“幻想”までの展開をリアリズムで固める
この本は短篇集なのですが、収録されている他の短篇にも名作があります。『ラブレター』というのも、読む度に涙ぐんでしまいます。出稼ぎの中国人女性と偽装結婚して小遣い稼ぎをした下っ端のヤクザが、病死した女性の遺品を引き取りに行くのですが、その遺品の中に、戸籍だけ夫になった男へのラブレターが入っているという話です。身寄りもない異国の地でつらい労働をしている女性は、いつしか名義だけの夫を心の中で愛するようになっていたのですね。
この作品には幽霊は出てこないのですが、主人公は夢を見ます。結婚する気などなくヤクザな生活を送ってきた男ですが、言葉を交わしたこともない戸籍だけの妻からの手紙を読んで、もしこの女性と実際に結婚生活をして、故郷の漁村で暮らしていたら、という願望をひそかに抱いて、それが夢になって出てくるのですね。
これも哀しい夢です。その女性はすでに亡くなっているのですから、けっしてかなえられることのない夢なのです。
浅田次郎は短篇小説の達人です。幽霊や夢など幻想を用いることが多いのですが、その幻想が出てくるまでの展開をリアリズムで固めているので、最後に現れる美しくも哀しい夢に、ほろりとさせられてしまいます。その展開と、幻想を出すタイミングをじっくりと学べば、あなたも短篇の達人になれるはずです。
初出:P+D MAGAZINE(2016/11/24)