辻原登『村の名前』/芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第90回】中国の村の不思議な幻想
芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義! 連載第90回目は、辻原登『村の名前』について。中国奥地を舞台に幻想的な世界を描いた作品を解説します。
【今回の作品】
辻原登『村の名前』 中国奥地を舞台に幻想的な世界を描く
中国奥地を舞台に幻想的な世界を描いた、辻原登『村の名前』について
明治時代の坪内逍遙『小説神髄』には、「小説の主脳は人情なり,世態風俗これに次ぐ」と書かれていて、以来、これが「小説とは何か」の基準になっています。「世態風俗」というのは誤解されそうなので、「世相」ということもあります。「人情と世相」ですね。これをいまのいい方にすると、「人間を描く」ということと、「その時代の社会の特質を描く」ということになります。芥川賞の基準もこれに尽きると思います。
『コンビニ人間』を例にとれば、コンビニという職場でしか人間らしく生きられないという、奇妙な人物の「人間性」が描かれていると同時に、コンビニという昔はなかった新しい職場があること自体が、「この時代の社会の特質」を描くことにもなっているのですね。
ただし、芥川賞は一種の新人賞ですし、純文学の賞なので、これにもう一つの要素が加わることがあるとぼくは考えています。それは「方法の実験」であったり、「スタイルの新しさ」であったり、「先駆性」であったりします。「こんな小説見たことない」「これが小説の新しいトレンドなのだろうか」「これを評価しないと遅れている人間と思われないか」というふうに選考委員の足もとをすくえば、タナボタ式に芥川賞が懐に飛び込んでくるのですね。
リアリズムの筆致で幻想を描く
今回の『村の名前』を読んでみても、「人間」が描かれているわけではありませんし、中国の話なので、日本の現代の「世相」が見えてくるわけでもありません。といって、難解な実験小説とも見えないのですが、これも広い意味での「こんな小説もアリですか」という問いかけなのだと思います。ということで、この作品をふつうに読んでいくだけでは、どうしてこれが芥川賞なの? という思いを抱く読者も少ないないでしょう。そこが芥川賞のすごいところなのだ、と考えていただければと思います。
主人公の商社マンらしき男が、熱暑の列車に乗って中国の奥地を訪ねる、といったところから話は始まります。作品が書かれたのは30年前くらいですから、まだいまのように経済交流が盛んではなく、中国の情報もスムーズに入ってこなかった時代の話です。中国という国そのものがまだ謎めいていたころですから、その奥地ということになると、もうミステリーゾーンに踏み込んでいくような趣があるのですね。そしてたどりついたところが、「桃源県桃花源村」つまりいわゆる「桃源郷」です。
陶淵明の『桃花源記』という作品で語られた幻想的な理想の村。これは実在しないユートピアだと考えられていたのですが、中国には実際にそういう名前の県や村があるようです。とにかくそういう名前の村にたどりついてしまったのですが、小説はリアリズムで進行します。主人公はイグサの買い付けという任務を負っているようなのですが、まだ外国の商社マンが自由に活動できる状況ではなく、中国当局の監視の目が入ってきます。その中国当局というものがまた、嘘みたいな話になっていくので、全体がリアリズムで書かれているにもかかわらず、この話のすべてが虚構であり、幻想であるという気がしてくるのですね。
選考委員を混乱させた実験的手法
このあたりから読者は、もう何が起こっても驚かなくなります。夢の中で、これは夢だとわかってしまったようなものですね。怪しげな話が次から次へと出てくるのですが、それらは明らかな幻想というわけではなく、小説の冒頭からのリアリズムの筆致で淡々と書かれているので、そういうことがいまの中国ならあるかもしれない、という気にもなってしまう、なかなかに巧妙な書きぶりになっています。いまでも中国のニュースを見ていると、ほんまかいな、と思うような光景を目にすることがあります。まして30年前の話ですから、何が起こっても不思議はないという、そんな時期の話です。読者はあまり深く考えずに、最後まで読んでいけると思います。
冒頭のスイカ売りの話がおもしろいですね。列車が駅に停まるたびに、プラットフォームで男がスイカを売り歩いているのですが、それが同じ顔の男なのですね。男は同じなのに、売っているスイカはだんだん形が変わっていく。ここのところを読んだだけで、読者はこれが魅力的な幻想譚の始まりだろうと感じるはずです。
不思議の国のアリスが通る森の中の穴とか、ナルニア国に通じる洋服ダンスとか、そんな感じです。その先にあるものが、いかにもファンタジーという感じではなく、もしかしたらいまの中国の奥地にはこんな村があるのかという気になるような、奇妙にリアリティーがある世界で、しかしあまりにも変なことが次々に起こるので、どうやらこれは夢の世界なのだとわかってくる……そんな小説の展開が、とても魅力的です。
幻想小説の語り口として、これは新しいスタイルですし、実験小説らしくない実験小説だといっていいでしょう。選考委員はかなり混乱したようです。その新しさを評価する人もいれば、まったくついていけない人もいる。そのように賛否両論の意見が起こるということは、実験小説としては大成功といっていい成果なのだと思います。
なお付け加えておくと、このちょっとした思いつきみたいな作品でデビューした辻原登さんは、いまや純文学系のエンターテインメントを次々に発表する偉大な作家になっています。たぶん無名の頃から、辻原さんは自分が偉大な作家になるという信念があったのだと思います。その信念から生じた、「余裕の小手調べ」みたいな作品だとぼくは思います。
初出:P+D MAGAZINE(2020/05/28)