モーリー・ロバートソンのBOOK JOCKEY【第7回】~ロックは必ずしも反アベではない~
国際ジャーナリストからミュージシャンまで、幅広く活躍中の「モーリー・ロバートソン」による連載の7回目。今回は、自身の体験を交え、ロックを通じて熱いメッセージを放ちます!
<第7回>ロックは必ずしも反アベではない
ここに1枚の写真がある。35年以上前のものだ。17歳になったばかりのモーリー・ロバートソンとロックバンド「フリクション」のベーシスト・レック(Reck)が写っている。ローアングルで当時、フリクションのツアーに同行した写真家が撮った。誰が撮ったのかはわからないので、そのまま掲載させていただく。フリクションが富山県富山市のライブハウス(当時)「メディア」で白熱したセットを演奏し終えた直後だ。後々自覚することになるが、モーリーの人生はこの瞬間に方向性がぐるり、というほどに変わった。
その時まで知っていた1番「過激」な音楽は矢沢永吉やレッド・ツェッペリンだった。矢沢永吉の真似をしてリーゼントのパーマをかけ、広島市の名門・修道学園を退学させられたほどだ。甘いメロディーとけたたましいエレキギターに酔うライフスタイルを修道学園は「不良」と認定。修道をやめさせられ、母の実家がある富山市に引っ越してもロックを捨てることはなかった。逆にロックへの思いは強くなり、矢沢の「スーパーライブ・日本武道館」のアルバムもツェッペリンの全作品も頭のなかで暗唱できるほど聴き込んでいた。が、正直なことをいうとこれらのスターたちはとても遠いところにいた。真似をしてギターを弾こうと思っても、運指が弾丸のように速く、何百回カセットテープに合わせて引いてみても追いつけない。しかも矢沢のライブ・アルバムは1970年代前半のもので、レッド・ツェッペリンは偉大な名盤を何枚も出した後、当時活動を休止していた。追いつけない上、少年が生きる時間の中では遠すぎる過去に収録された文化遺産のような大スターたち。
しかるにフリクションは今、目の前で炸裂する白い火の玉だった。まるで高速で回転する独楽のように軸はぶれず、それでいて傾きやうねりは激しい。その夜の衝撃に背中を押され、日をおかずにぼくはいきなり「猛勉」を始めた。ぼくなりにフリクションに答えること、自分の方法でそのすごさに追いつく手段が猛勉だったのだ。フリクションの歌詞はどこか全体に暗示的で、狂った夢の向こうで起きているような内容だった。
高3の夏、東京・お茶の水の駿台予備校の夏期講習に通った。炎天下で冷房のない日本の夏。御茶ノ水駅と駿台の校舎を行き来しながら、ウォークマンにフリクションのカセットを入れて聴いた。マクドナルドの中で聴き続け、配られたプリントに目を凝らし、予習と復習もした。エレキギターがたくさん並ぶギター・ショップを毎日1時間ハシゴして一本一本眺めながら、何も買わなかった。再びフリクションを聴いた。エレキギターはケースにロープで封をしてあった。母親との約束で大学受験が終わるまで弾かないことになっていた。翌年の春、東大とハーバードほかに同時合格を果たした。二ヶ国語で受験勉強をする異常な集中力はイヤフォンから繰り返し流れるフリクションの音に裏打ちされていた。
おそらく「Crazy Dream」の歌詞にはどこかで薬物体験が含まれている。だが高校生で実家を出たことがないぼくにそんなことは想像できたはずがない。100万回の「Crazy Dream」を目指して全速力で猛勉し、そして壁を貫通してしまったのだった。
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