上司の代わりにチーフを務めるもミスを連発! 今度のミスでは警察が現場を訪れて……? 【連載お仕事小説・第18回】ブラックどんまい! わたし仕事に本気です

燃えるお仕事スピリットが詰まった好評連載、第18回。主人公の七菜(なな)は、いつも仕事に全力投球! 入院している頼子の代わりにチーフプロデューサーを務めることになった七菜だったが、忙しさのあまりミスをしてしまう。翌日からのスケジュール調整のため七菜は一睡もせず現場に向かうが、今度のミスでは警察が撮影現場を訪れ……

 

【前回までのあらすじ】

激しく咳き込んだあと、その場にうずくまった頼子はタクシーに乗り込み、行きつけの病院に入院することになった。仕事の引き継ぎをするため、七菜は頼子の病室を訪れるが、そこで見たのはすっかり変わり果てた頼子の姿だった。

 

【今回のあらすじ】

入院している頼子のもとを訪れた七菜だったが、うまく引き継ぎができないまま頼子と仲違いしてしまう。数日後からタクシーで届けられるようになった「ロケ飯」。頼子の代わりにチーフを務めることになった七菜だったが、次々と問題が発生して……?

 

【登場人物】

時崎七菜(ときざき なな):テレビドラマ制作会社「アッシュ」のAP(アシスタントプロデューサー)、31歳。広島県出身。24歳で上京してから無我夢中で走り続け、多忙な日々を送っている。

板倉頼子(いたくら よりこ):七菜の勤める制作会社の上司。チーフプロデューサー。包容力があり、腕によりをかけたロケ飯が業界でも名物。

小岩井あすか(こいわい あすか):撮影が進行中のテレビドラマの主演女優。

橘一輝(たちばな いっき):撮影が進行中のテレビドラマの主演俳優。

佐野李生(さの りお):七菜の後輩のAP。26歳で勤務3年目。

平大基(たいら だいき):七菜の後輩のAP。今年4月入社予定の22歳の新人。

野川愛理(のがわ あいり):メイクチーフ。撮影スタッフで一番七菜と親しい。

佐々木拓(ささき たく):七菜の恋人。大手食品メーカーの総務部に勤めている。

上条朱音(かみじょう あかね):ドラマ『半熟たまご』の原作者。数々のベストセラーを持つ小説界の重鎮。教育評論家としても名高い。

岩見耕平(いわみ こうへい):チーフプロデューサー。七菜の上司。

 

【本編はこちらから!】

 

「約束」通り、数日後からロケ飯がタクシーで現場に配達されるようになった。
 頼子の病気については、あの日病院から現場に戻ったあとすぐに李生と大基を呼んで話をした。さすがの大基も癌と聞いて神妙な顔をしていたが、どこまで理解しているのかは七菜にはわからなかった。李生はひと言「そうですか」と言ったきり、あとはじぶんのなかでなにごとか考えつづけているようすだった。
 他のスタッフには「喘息をこじらせて入院している」と伝えた。矢口監督をはじめ、みな心配そうな顔を崩さなかったが、ひとまずはほっとしているようだった。どちらかというと「これから頼子さんの代わりにあたしがチーフを務めます」と言ったときのほうが動揺が激しかったくらいだ。
「時崎さん、だいじょうぶなの」
「だいじょうぶなわけあるかい、七菜坊だぞ」
「まあまあ。時崎さんだってだてに五年も務めてるわけじゃないんだし」
 諸星もろぼしむらの掛け合いを、いつものように矢口がやんわりといさめる。
「もちろんですよ。任せてください」
 胸を叩いてみせたものの、七菜は不安とプレッシャーで押しつぶされそうな気持ちになる。それほどまでに、頼子から送られてきたチーフプロデューサーの仕事は膨大で多岐にわたり、なおかつ繊細で緻密な神経を必要とされるものばかりであった。
 滞りのない現場進行はもちろんのこと、予算管理、各種事務手続き、テレビ局との折衝にスポンサーとの打ち合わせ。雪崩なだれを打ってやってくる仕事をひたすら処理しつつ、闘病しながら頼子はよくこれだけの仕事をこなしてきたものだと七菜は改めて舌を巻いた。
 ただでさえ少なかった睡眠時間を削り、時には徹夜を重ね、七菜はやるべきことにひたすら取り組んだ。
 時間の感覚がだんだんと麻痺してゆく。いまが何日の何時だったかわからなくなってくる。
 最後の食事をいつ摂ったのか。最後に家に帰ったのはいつだったのか。誰と会い、どんな話をしたのか。次に誰と会い、なんの話をすべきか――思考がもつれ、歪み、前に進まなくなる。
 規則的だった生理が止まった。肌は荒れ、吹き出物が絶えない。髪はぱさつき、くちびるが常にひび割れ、じくじくと痛んだ。心配したあいがサプリやフェイスパックを差し入れてくれるのだが、それらを飲んだり貼ったりする時間すら、いまの七菜には惜しい。そんな日々がつづき、かんじんの撮影現場でついぼうっとしてしまうことが増えた。
「時崎さん、時崎さん」
 耳もとで響く李生の声で、七菜ははっと我に返った。
 三月も半ばとなり、ちからを取り戻し始めた太陽が現場の公園を明るく照らしている。
 いつのまにか、撮っていたシーンは終わったらしい。矢口が助監督を集め、シナリオを示しながらなにごとか指示を出していた。
「次、シーン16なんですけど。岡本さん、どこに行っちゃったかわかります?」
 俳優のスケジュール表をにらみながら李生が問う。
「岡本さん?」
 もやがかかったような頭で七菜は考える。
 ええと、確か岡本さんの出番は午前中で終わったはずで、だからロケ飯前に「お疲れさまでした」って言いながらマネージャーとタクシーで帰って……帰った!? 全身の皮膚が粟立つ。
「やばい、もう帰しちゃった!」
「まじですか」
 スケジュール表から李生が顔を跳ね上げた。
「ど、どうしよう、えと、ええと」
 頭が上手く回らない。ただひたすら焦りだけが募ってゆく。李生がスマホを取り出し、何度かタップした。険しい表情でスマホに耳を澄ませている。
「岡本さんまだですかって監督が」
 助監督が小走りで近づいてくる。
「ご、ごめんなさい。帰してしまいました。あたしのミスで」
「えっ!」
 助監督の声が裏返る。スマホから顔を上げた李生が叫ぶ。
「つかまりました! いま渋谷にいるそうなんで、大至急こちらに戻ってくるよう、マネージャーさんに伝えました」
「どれくらいかかるんです?」
「そうですね……小一時間はかかるかと」
 腕時計を睨みながら李生がこたえる。助監督が眉を顰めた。
「そんな。ほかの役者さん、待たせられないっすよ」
「すみません、ごめんなさい」
「謝っても仕方ないでしょう、時崎さん。すぐに監督と相談して、段取り組み直してください。おれは俳優部に事情説明してきますから」
 早口で告げると、李生がぱっと身を翻した。
「監督! 矢口監督!」
 助監督がカメラ脇で円陣を組む矢口や田村のもとへと走ってゆく。
 ああ、やっちゃった、やってしまった。きつくくちびるを噛みしめ、七菜は彼の背を追う。
 矢口監督の判断で、残りの撮影は順番を変えて行われた。けれども予定していたひろとあすかのシーンは日没に阻まれ、半分も撮りきれなかった。結果、そのぶん押してしまい、翌日からのスケジュールを再調整せざるを得なくなる。帰宅した七菜は、シナリオと香盤こうばんひょうをテーブルに広げ、新しいスケジュール表を作成し直した。関係者全員にメールを送り終えたときには、すでに空が白み始めていた。
 今日こそ失敗するまい。
 寝不足と疲労でふらつく足を踏みしめ、一睡もしないまま七菜は現場に向かった。スタッフや俳優に頭を下げて回り、いつものようにこまごまとした仕事をきっちりこなすことに専念する。
 放送開始まであと半月だ。スタッフも俳優たちも、なんとかこれ以上押すことのないように、全神経を張り詰めて撮影を進めてゆく。おかげで午前中は順調すぎるくらい順調に進んだ。
 よかった。この調子なら、最小限のダメージで済みそうだ。撮影を見守りながら、七菜はほっと安堵の吐息を漏らす。
 公民館の撮影を終え、午後、公園近くの道路に移動する。公道を借り切って、あすかと翔輝の喧嘩、そこに絡む一輝のシーンを撮る予定だった。道路でのシーンなので、通行人のエキストラも多数集まっている。
 NG猛者もさはいないか。必要な性別と年代のエキストラがちゃんとそろっているか。七菜はエキストラ表と、集まったひとびとの顔を見比べながら入念にチェックする。すべて事前の準備通り、人数もメンツも問題ない。
「チェック終わりました。だいじょうぶです」
 七菜の報告を聞いた矢口監督がおおきく頷く。
「よし、じゃテスト始めよう。シーン8」
「シーン8、テスト入ります」
 歩道で相対するあすかと翔輝。しばし見つめ合ってから、あすかが口を開く。
「……なんども言ったよね、誤解だって」
「信じられないな。証拠を見せてもらわないことには」
 あすかより二十センチは背の高い翔輝が腕を組み、強い口調でこたえる。
「証拠? 証拠ってどんな」
「それはたまが考えるべきことだろう」
 返事に詰まるあすか。助監督の合図で一輝が小走りでフレームインする。
「ここにいたのか、環子さん」
「誰だよ、おっさん」
 翔輝が戸惑ったように振り向く。
「悪いけどいまきみに関わり合ってる時間はないんだ。行くよ」
 一輝があすかの腕を掴む。
「おい、ちょっと待てよ!」翔輝があすかと一輝のあいだに割って入る。「大事な話をしてるんだ、そっちこそあとにしてくれよ」
「きみ……」
 一輝の目が鋭い光を放つ。負けじと翔輝が睨み返す。緊張感が高まる。あすかが掴まれた手をじっと見つめる。そんな三人にあからさまな好奇のまなざしを向けながら、通行人が脇を通ってゆく――
「はいカット!」
「カットです!」
 カチンコが切られ、ふっと場の空気が緩む。矢口が三人に近づいていき、それぞれに細かい演出をつけ始める。
 七菜も詰めていた息を吐き出した。寝不足つづきのせいか、頭が重い。両の指さきでこめかみをマッサージしつつ周囲を見回す。
 はやくも撮影に気づき、野次馬が集まり始めていた。足止めされていたひとたちが警備員に誘導され、反対側の歩道を、右に左に通過してゆく。
 特に問題はなさそうだ。七菜は規制線の外側で膨らんでゆく群衆をぼうっとした頭で見渡した。
 数回テストが繰り返されたあと、いよいよ本番となった。テストとは段違いの緊張感があたりに漂う。
「シーン8、本番!」
「3、2……」
 カン! カチンコの切られる澄んだ音が響く。あすかと翔輝が演技を始めた。さすがプロ、ちょっとした表情や声音の変化で、ふたりのあいだに流れる不穏な空気が濃厚に伝わってくる。
 うん、いい感じ、いい感じ。目を凝らし、七菜はカメラのさきを追う。
と、反対側に集まった野次馬のなかからざわめきが上がった。マイクを担いだ音声監督が、ちらちらと野次馬を見やる。カメラの死角を縫って、すかさず李生が駆けていく。だがざわめきは一向にまず、どころかどんどん増すばかりだ。音声監督が首を振る。矢口監督が声を張り上げた。
「カット! 一回止めます」言うや、七菜のほうを向く。「どうしたんですか、あれ」
「わかりません。ちょっと行ってきます」
 こたえて七菜は小走りで近づいてゆく。群衆のなかでなにごとか言い合う李生と若い男性警官のすがたが目に入った。
 警官? なんで、どうして?
「すみません、ちょっと、ちょっと通してください」
 人ごみをき分け、李生と警官のもとへ辿り着く。
「どうしたの、佐野くん」
 振り向いた李生の顔に、めずらしく明らかな困惑の表情が浮かんでいる。
「警察のかたが『撮影許可証を見せてくれ』と」
「え?」
「失礼ですが、本日ここで撮影する許可を所轄署に取っておられますか」
 李生を押し退けるように警官が身を乗り出す。
「ええ、もち」ろん、と言いかけて、七菜の全身からざっと血の気が引いてゆく。
 許可証。取ろうと思って、用意して、署名捺印も済ませた。撮影の合間に出向こうと思ってバッグに入れて、それで、それでどうした?
 震える手で七菜はボディバッグをまさぐる。李生の顔がみるみる強張ってゆく。
「時崎さん、まさか……」
 指が、バッグの隅でくしゃくしゃにれた書類に触れる。七菜は絶望的な気持ちで書類を引っ張り出す。一昨日の日づけの、それは許可申請書だった。

 

【次回予告】

多忙すぎる毎日の疲れからミスを連発してしまう七菜。撮影スタッフからは呆れられてしまうが、後輩・李生の機転のきいた行動のおかげで撮影場所の確保に成功。すっかり遅くまで撮影が伸びてしまい、仕事のあとに予定のある新人・大基との仲に亀裂が……!

〈次回は5月22日頃に更新予定です。〉

プロフィール

中澤日菜子(なかざわ・ひなこ)

1969年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒。2013年『お父さんと伊藤さん』で小説家デビュー。同作品は2016年に映画化。他の著書に、ドラマ化された『PTAグランパ!』、『星球』『お願いおむらいす』などがある。

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初出:P+D MAGAZINE(2020/05/15)

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