▽▷△超短編!大どんでん返しExcellent▼▶︎▲ 三崎亜記「扉を守る者」

超短編!大どんでん返しexcellent6

 人は誰しも、自らの来し方を振り返って、「もしもあの時、別の選択をしたなら……」と思う人生の分岐点があるものだ。それは鉄道の分岐にも似ている。しばらくは並走し、同じような景色が続くかもしれないが、いつしか大きく方向を違え、まったく別の世界の、別の景色が広がるはずだ。もちろん、人の人生はやり直しのきかない一回きりであるから、「もしも」の先の別の未来は、夢想するしかない。だが、「別の人生を歩んだ自分」を垣間見ることができるとしたら……。

 

「扉の部屋」は、窓も家具も何もない殺風景な空間だ。壁も床も天井も、薄いグレー一色で統一されており、意図せず迷い込んだ「選択者」たちは一様に、巨大なサイコロの中に封じ込められたような不安げな表情を浮かべる。

 四方を囲む壁の一つには、二つの扉がある。色も形も大きさも、まったく同じ二つの扉が、一卵性の双生児のように隣り合う。

 私はこの部屋を管理する「扉を守る者」だ。私は常に二つの扉の前に立ち、訪れた「選択者」に、扉の選択を促す。扉の先にどんな運命が待ち受けるのかは、管理者である私もあずかり知らず、この先どんな人生を辿るかは、どちらの扉を開けるかという本人の選択次第だ。

 そしてもう一つの私の役目……。それは何年か先に「選択者」の元を訪れ、別の扉を選択した未来を見せることだ。ほんの数年後の場合もあれば、何十年後ということもある。二つの扉の先の人生の「景色」が大きく変わった頃を見計らって、私は再び、「選択者」の前に姿を現わすのだ。 

 突然出現した扉から私が姿を見せると、誰もが一様に驚く。

 それは当然だろう。当人は、かつて自らが「扉の部屋」を訪れ、運命の扉のうち一つを選択した記憶などなくしているのだから。

 死刑囚となって独房に入り、毎朝看守の足音に怯えながら悔恨の日々を送る男の元に出現し、別の扉の先の姿を見せたこともある。ぎりぎりで殺人を思いとどまり、日の当たる世界で生きている「もう一つの人生」を前にして男は、死刑判決が告げられた時にも増して慟哭し、長い長い嗚咽を漏らした。

 今をときめく大女優に見せた、「もう一つの人生」の扉の先には、光一つない暗闇が広がっていた。それは、「もう一つの人生」が病気や事故、あるいは自殺で終わってしまったことを意味する。光り輝く世界に生きる彼女は、恐れ気も無く、魅入られるようにその闇を見つめていた。結局、彼女の人生にも数年後に、自ら引き寄せた「闇」が訪れたと伝え聞く。

 安堵、落胆、後悔、歓喜、諦め……。自分が辿るかもしれなかった「もう一つの人生」を垣間見た「選択者」たちの反応はさまざまだ。運命に介入することのできない私は、「選択者」の見せる感情のさまざまな起伏を、ただただ傍観するしかない。

 とはいえ、傍観の日々ではあっても、思うことはある。今の人生が幸せだろうと不幸せだろうと、「もう一つの人生」など垣間見るべきではない……と。人生とは揺るぎない一本の道のようで、実はわずかな「よそ見」で踏み外してしまう、危うい綱渡りでもある。並走する「もう一つの人生」を凝視させられて、バランスが崩れないはずがない。

 もっとも、「選択者」のその後の人生がどう転ぼうが、それもまた、私は傍観するしかないのだが……。

 さて、そろそろ時間だ。

 私がここで、「扉を守る者」となって四十年。今日は、私が初めて扉の選択を促した相手に会いに行くのだ。

「やあ、突然訪れて、驚かせてしまったようだね」

「な、何だ君は?」

「君は四十年前に、二つの扉を前にして、一つの選択をしたんだ」

「私が選択をしただと? いったい何を言っているんだ?」

「みんなそう言うんだよ。扉の外に出てしまったら、自分で扉を選んだという記憶は失ってしまうのだからね」

「しかし、私は……」

「もう一つの扉を選択した君が辿った、四十年間の人生を見せてあげよう」

 突然出現した扉に男の姿が消え、扉もまた、煙のように消え去った。

「いったい、どういうことだ……」

 私はそう呟いていた。

 私が四十年前、扉を選んだだと?

 扉から現れた男が見せてくれた、私の「もう一つの人生」。

 小さな会社に入り、相性の悪い上司と到達できないノルマに振り回されながら仕事に奔走し、同僚と安い居酒屋でオダを上げて発散する日々。職場で出逢った誠実さだけが取り柄の目立たない女性と結婚して娘を授かり、上司と部下の板挟みや娘の反抗期に悩まされながら妻と共に年を取り、定年を迎える……。取り立てて特筆することもない、平凡な……、平凡すぎて誰かに誇ることもできない、取るに足らない人生だった。

 私は必死に、心を封じていた。それを、「幸せな人生」だと感じてしまう心を……。私はそんな人生を歩む扉を選ばず、もう一つの扉を選んだのだから。その選択の結果、四十年間ここで、「扉を守る者」として生きてきたのだから。

 まさか私以外にも、「扉を守る者」がいたなんて……。

  


三崎亜記(みさき・あき)
1970年福岡県生まれ。熊本大学文学部史学科卒業。2004年、『となり町戦争』で小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。他の著書に『バスジャック』『失われた町』『鼓笛隊の襲来』『廃墟建築士』『逆回りのお散歩』『手のひらの幻獣』『作りかけの明日』『博多さっぱそうらん記』『名もなき本棚』など。

週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.142 紀伊國屋書店福岡本店 宗岡敦子さん
◎編集者コラム◎ 『スクリーンが待っている』西川美和