■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」〈第1回〉

警視庁レッドリスト

ドラマ化『メゾン・ド・ポリス』で話題!
加藤実秋が放つ新たな警察小説、連載スタート!!

CASE1 文字リスト:退路を断たれた二人(1)


 

 1

 

 阿久津慎(あくつしん)が机の向かい側に座っても、男は俯いたままだった。白髪交じりの髪を短く刈り込み、慎と同じ冬の制服を身につけている。

 東葛飾(ひがしかつしか)署刑事課係長、楢崎秀一郎(ならさきしゅういちろう)。四十九歳、階級は警部補。インプットされた情報を再確認し、慎は語りかけた。

「なぜここに呼ばれたか、わかっていますね? 言いたいことがあればどうぞ」

 楢崎は無言だ。身動きもしない。慎は手にしたファイルから写真を一枚取り出し、机に置いた。

「東亜新聞社会部の記者、山野利恵(やまのりえ)さん。今年二月下旬、あなたを含む数名と葛飾区内の居酒屋で飲酒。その際あなたから肩を抱かれたり脚を触られたりするなど、セクハラ被害に遭ったと上司を通じて抗議がありました。認めますか?」

 写真を指し、訊ねる。写っているのは、セミロングヘアの三十代前半の女性だ。俯いたまま、楢崎が口を開いた。

「酔っていたので覚えていません。しかし」

 楢崎が言い終える前に慎はファイルから新たな写真を出し、机に置いた。とっさに、楢崎が写真を見る。写っているのはビール瓶やグラス、料理が盛られた皿などが並んだ木製の大きなテーブルとそれを囲む四、五人の男女。俯瞰に近いアングルで画質は粗いが、奥の壁際に並んで座るスーツ姿の楢崎と山野利恵が確認できる。楢崎の右腕は山野の背中に回され、その右手は彼女の右肩をしっかりと抱いていた。

「居酒屋の防犯カメラの画像です。他にもありますが、見ますか?」

 問いかけて慎が机上のファイルに手を伸ばそうとすると、楢崎は声を上げた。

「認めます!」

 同時に顔も上げ、初めてこちらを見る。充血した小さな目に映るのは、慎とその背後に立つ数名の男。全員警視庁警務部人事第一課、通称・ヒトイチのメンバーだ。そしてここは、警視庁本庁舎内の取調室。白い壁に囲まれた殺風景な部屋で、窓はあるがブラインドは下ろされている。

 ヒトイチの中で警察組織内の違法・触法行為を取り締まるのが監察(かんさつ)係だ。そのトップは首席監察官で、階級は警視正。ナンバーツーは二名の理事官、ナンバースリーは四名の監察官で階級はどちらも警視。監察官の下が慎のポストである監察係長、階級は警部だ。

「そうですか」

 慎は返し、背後に目配せをした。頷き、同僚の一人が取調室を出て行く。楢崎が言った。

「でもあの時は嫌がってなかったし、『飲みに行きましょう』と誘って来たのも彼女なんです……私は飛ばされるんですか? まだ住宅ローンが残っているんです。息子も大学に入ったばかりで」

 さっきまでの沈黙がウソのように、楢崎は前のめりで捲し立てる。机上の写真を片付けながら、慎は表情を動かさずに答えた。

「処分については、後日通達します」

「酔った勢いで、たった一度だけですよ。謝れと言うなら謝りますから。お願いします!」

 腰を浮かせて頭を下げようとする楢崎を、慎の別の同僚が制止する。構わず、慎は写真を収めたファイルを手に席を立った。身を翻しドアに向かおうとすると、後ろで楢崎が叫んだ。

「助けてくれよ。同じ警察の仲間だろ!」

 黒革靴の足を止め、慎は小さく息をついた。右手の中指でメガネのブリッジを押し上げ、首を後ろに回して告げた。

「過ちは人事に忠実に反映される。それが警察という組織です」

 見開いた目をこちらに向けたまま、楢崎が固まった。顔を前に戻して慎が歩きだすと、楢崎が椅子に崩れ落ちたのがわかった。頭を抱える気配もあり、苦痛とも絶望とも取れる低い声が聞こえたが、慎は構わずにドアを開けて廊下に出た。

 程なくして、楢崎には人事異動が言い渡されるはずだ。彼の自宅は東葛飾署の近くだが、異動先は東京の反対側の立川(たちかわ)市、日野(ひの)市、昭島(あきしま)市あたり。加えて部署も刑事課ではなく、恐らく地域課だ。一日四交代制の交番勤務に加え、事件対応にパトロールと五十歳を前にして激務をこなさなくてはならない。その上通勤は片道二時間を超えるが、家を買ってしまっていては簡単に引っ越せない。だが彼を失意のどん底に突き落とすのは、今後どのような功績をあげても出世できないという事実だ。定年まで同じ階級のまま、自宅から遠く離れた、激務が待ち構えている署に勤務し続けるのだ。これが警察流の左遷で、内部の人間には罰俸転勤(ばっぽうてんきん)と呼ばれている。処分を受けた職員の大半は耐えきれずに退職しており、恐らく楢崎もそうなるだろう。

「阿久津係長」

 廊下の向かいから、部下の本橋公佳(もとはしきみか)巡査部長が歩み寄って来た。立ち止まった慎の耳元に小声で告げる。

「人事情報管理係から、監察係の極秘文書の一部が抜き取られた痕跡があると報告がありました」

「文書とは?」

 身を引き、慎は本橋を見た。周囲を確認してから、本橋は顔を強ばらせて答えた。

「持井(もちい)事案です」

 思わず絶句した慎に、本橋はさらに告げた。

「中森(なかもり)主任と連絡が取れません」

「中森?」

 中森翼(つばさ)は監察係主任で慎の直属の部下、階級は警部補だ。二日前から仕事を休んでいるが、「遅れてきたインフルエンザ」だと聞いている。

 本橋は大きな瞳を揺らし、続けた。

「総務部の情報管理課が確認したところ、抜き取られた文書は中森主任の私物のUSBメモリにコピーされていたそうです」

 再び絶句し、慎は本橋から目をそらした。気持ちは至って冷静だ。一方でどこか現実感に欠け、頭は猛スピードで回っているのになにを考えているのかを把握できない。

 ふと、廊下に並ぶ窓が視界に入った。太陽に雲がかかったのか、差し込んでいた春の陽光がさっと断ち切れた。

 


「警視庁レッドリスト」連載アーカイヴ
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加藤実秋(かとう・みあき)

1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。

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