〈第10回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」

■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」〈第10回〉
慎たちの行動がバレていた!?
動揺するみひろ。


 5

 柿沼と別れ、みひろは慎の運転する車で本庁に戻った。

「長い一日でしたね」

 慎が本庁舎地下二階の駐車場に車を停めるのを待って、みひろは言った。

「ええ。お疲れ様でした」

 エンジンを止め、慎が返す。病院の駐車場では様子がおかしかったが、柿沼と話したあと「電話をして来ます」とどこかに行って来てからは、いつも通りに戻っていた。

 エレベーターホールに通じるドアの前まで行くと、中から人が出て来た。男性が二人と女性が一人で、先頭は六十代半ばぐらいの男性だ。その彫りが深く精悍(せいかん)な顔立ちに、みひろが「この人、見たことある」と思った刹那、先頭の男性は足を止めた。

「おう。久しぶりだな」

 慎を見て、大きくよく通る声で先頭の男性は言った。ややメタボ気味だが、背が高く骨格のしっかりした体を仕立ての良さそうなジャケットとスラックス、ワイシャツで包んでいる。後ろのアタッシェケースを抱えたスーツ姿の三十代前半の男性と、制服を着たみひろと同い年ぐらいの女性も立ち止まった。

 口角を上げて微笑み、慎は先頭の男性に軽く会釈した。

「ご無沙汰しています。こんな時間にどうしたんですか?」

「どうもこうも、お前の上司に呼びつけられたんだよ……ああ、元上司か。いきさつは聞いたぞ。お前、監察から飛ばされたんだって?」

 テンポよく語り、先頭の男性は何の躊躇もなく訊ねた。制服の女性がぎょっとして、場の空気が張り詰める。スーツの男性は慎に会釈し、逃げるように駐車場の奥に歩き去った。

「新部署に異動になりました。彼女は部下です」

 微妙に返事をはぐらかし、慎は手のひらで後ろのみひろを指した。つられて、先頭の男性のくっきりした二重の大きな目が動く。

「三雲です」

 この人、誰だっけ? オーラがすごいし芸能人ぽいけど、室長の知り合い? 戸惑いながらもみひろが頭を下げると、先頭の男性は「どうも」とにっこり笑った。口元から白い歯が覗き、目尻に二本シワが寄る。視線を慎に戻し、先頭の男性は告げた。

「こんなにかわいい人が部下か。最高だな。俺と代われよ」

 四角く固そうな顎を上げ、高らかに笑う。その声がコンクリートの床と天井に響き、制服の女性はいたたまれないように俯いた。慎は笑みをキープしたまま無言だ。

 と、タイヤの軋む音がして通路を黒塗りのセダンが近づいて来た。セダンはみひろたちの後ろで停まり、運転席からさっきのスーツの男性が降りて来た。男性はセダンの車体を回り、後部座席のドアを開けた。先頭の男性が歩きだし、制服の女性が続く。慎の脇まで来ると、先頭の男性はまた立ち止まった。そして慎の顔を覗き、

「うん、いいぞ。お前もやっと面白くなってきたじゃないか」

 と言って笑い、慎の肩をぽんと叩いた。慎に変化はない。しかし切れ長の目が大きく揺れ、頰が引きつったのをみひろは見逃さなかった。

「じゃあ、また」

 先頭の男性はみひろに軽く手を上げて脇を抜け、セダンの後部座席に乗り込んだ。制服の女性も慎たちの脇を抜け、セダンの横に立った。スーツの男性が後部座席のドアを閉め、再度慎に会釈してから運転席に戻る。すると慎は前を向き、「行きましょう」とみひろを促して歩きだした。制服の女性が振り向き、何か言いたげな顔で慎の背中を見た。その視線が、みひろの視線とぶつかる。よく見れば、目鼻立ちのはっきりした美人だ。制服の左胸の階級章は、みひろより一つ上の巡査部長。

「本橋(もとはし)さん。ちょっと」

 後部座席の窓を開け、先頭の男性が呼びかけた。「はい!」と慌てて顔を前に戻し、制服の女性はセダンに歩み寄った。いろいろ気になるみひろだったが、慎がすたすたと進んで行くので、その場の人たちに一礼して歩きだした。

 エレベーターに乗り込むなり、慎はみひろの問いかけを封じるようにスマホで誰かと話しだした。そしてみひろが別館との連絡通路がある三階で下りようとすると、「用があるので」と告げて、そのまま上昇するエレベーターに乗って行った。

 一人になるのと同時に、疲れを感じた。廊下を進み、別館四階の職場環境改善推進室のドアを開けて部屋に入ろうとすると、

「三雲さん。お疲れ」

 と後ろから声をかけられた。豆田がこちらに歩いて来る。

「お疲れ様です。豆田係長も残業ですか?」

「うん。聞いたよ、奥多摩署の事件。さっき阿久津室長に頼まれて、追加でみのりの道教団の資料を持って来たんだ」

 言いながら、豆田は手にしたファイルを見せた。二人で部屋に入り、明かりを点けた。

「今、本庁舎の駐車場で芸能人らしき男性に会ったんですよ。室長の知り合いみたいなんですけど、名前が思い出せなくて」

 バッグを自分の机に置き、みひろは言った。慎の机にファイルを置いていた豆田が顔を上げる。

「どんな人? イベントか何かの出演者で、広報課に打ち合わせに来たんじゃない?」

「ですかねえ」と返し、みひろは先頭の男性と他の二人について説明した。話を聞き終えると、豆田は首を縦に振って言った。

「ああ。その人なら、作家の沢渡暁生(さわたりあきお)さんだよ」

「そうだった! 小説がベストセラーになって、映画化されてましたよね。スパイとかテロリストとかが出て来る話。他にも大学教授とかワイドショーのコメンテーターとか、いろいろやってる人ですよね」

「うん。元経済産業省の官僚で、警視庁の施策の検討や立案に関わってるみたいだよ。制服の女性は本橋さんって呼ばれてたんでしょ? なら監察係だから、今は持井(もちい)さんと仕事をしているんだろうね」

「それで室長と知り合いで、『元上司』は持井さんのことを言ったんですね。でも『慎』なんて呼んで、すごく親しげな感じでしたよ」

 みひろが納得しながら新たな疑問を呈すると、豆田はあっさり答えた。

「そりゃそうでしょ。だって沢渡さんは、阿久津さんの父親だもん。本名は、阿久津懸(けん)っていうんだよ」

「えっ!? でも全然似てないし、ノリも違いましたよ。それに沢渡暁生って若者文化にも詳しくて、音楽フェスとかアイドルのプロデュースとかもやってたような」

 驚き、信じられないみひろの頭に、さっきの慎と沢渡の様子が蘇る。

「そうそう。ちなみに阿久津さんの母親は、『AX-TOKYO(アックストウキョウ)』ってアパレルブランドの社長でデザイナーの阿久津リカ、兄はマンガ家の天津飯(てんしんはん)こと阿久津天(てん)」

「すごい! どっちも超売れっ子じゃないですか。だけどAX-TOKYOの服も天津飯のマンガも、室長のキャラとは正反対ですよね」

 みひろの頭に今度は、パンクやロックのテイストの強いAX-TOKYOの服と、不条理で過激なギャグが売りの天津飯のマンガが浮かぶ。再び「そうそう」と返し、豆田は続けた。

「阿久津さんの家は、室長以外はみんなそんな感じ。面白いね」

「はあ。でも、沢渡さんはいいお父さんみたいでしたよ」

 改めて思い出せば、顔の作りは似ていないが、沢渡が笑った時に目の端に寄ったシワは慎のそれとそっくりだ。加えて、慎にみひろを紹介され「俺と代われよ」と笑った時も、豪快でからっとしていて、不快感はなかった。何より、慎に「飛ばされたんだって?」と言い放ちながらも、「やっと面白くなってきたじゃないか」と告げた時、沢渡は本当に嬉しそうで、今の慎を好ましく思っているのが伝わってきた。

「うん。人望も人脈もすごいらしいから、うちのお偉いさんも頼りにしてるんだよ。タイプは違うけど、この親にしてこの子あり。やっぱり室長はすごいよ」

「ふうん」

 みひろの頭に、沢渡に肩を叩かれた時の慎の顔が浮かぶ。慎の意外な一面を見たようで、みひろはちょっとおかしく、微笑ましくも思った。

 


「警視庁レッドリスト」連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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