〈第13回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」

■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」〈第13回〉
みひろの雑談から、真相を悟った慎。
いよいよクライマックス!


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 三日後の午前七時半。慎はJR東京駅構内のカフェにいた。セルフサービス式の店内は、出張や旅行に行くらしい人々で混雑している。壁沿いのカウンター席に座り、出入口を見守っているとテーブルに置いたスマホが短く鳴った。LINEに豆田からメッセージが届いたのだ。コーヒーを一口飲んで確認したメッセージは、柿沼也映子の異動が決まった、新たな配属先は江戸川(えどがわ)区か足立(あだち)区の所轄署、本人の健康状態を考慮し、赤文字リストには入れるが、とくに処分は行わないというもので、末尾に「朝早くにすみません。三雲さんに『柿沼さんの処遇が決まったらすぐ教えて』と頼まれていたので、阿久津さんにもお報せしました」と記されていた。

 奥多摩から、江戸川区または足立区か。典型的な罰俸転勤(ばっぽうてんきん)だな。そう納得したついでに、慎は三日前の夜、柿沼に言われたことを思い出した。態度には出さずとも、罰俸転勤を命じられて平気な警察官はいない。柿沼の発言も、自分への捨て台詞か負け惜しみだろう。そう思い受け流した慎だったが、なぜかあの夜から、ふとした瞬間に彼女に言われたことと、最後に自分に向けられた眼差しが蘇る。

 俺は、あんたなんかとは似ていない。根本から違う人間だ。その証拠に、俺は信仰に救いを求めたりはしない。どんなに追い込まれても、教義や偶像ではなく自分を信じる。俺にとっての信仰は、自分を信じ抜くことだ。それ以外、今を生き抜く術(すべ)がどこにある?

 期せずして深く考えてしまい、近づいて来た人影に気づかなかった。「あの」と声をかけられ、慎ははっとして顔を上げてスマホを伏せた。

「どうぞ。座って下さい」

 そう告げて慎が隣を指すと、声をかけて来た女はカウンターにセットされたスツールを少しずらし、腰掛けた。中肉中背で軽くカールさせた髪を肩に垂らし、赤いメタルフレームのメガネをかけている。

 君島由香里(きみじまゆかり)、二十九歳。本庁警備部警備第一課警備実施第一係所属。階級は巡査長。インプットされた情報は、君島と新海が監察係の調査対象になった時のものだ。新海同様、慎は聴取の際に君島と会っている。

「初めに言っておきますが、僕は情報が欲しいだけです。ただし情報は正確でなくてはならず、隠蔽や偽装が確認された場合は、相応の処置をとります」

 威圧的にならないように注意しながら告げると、君島はこくりと頷いた。二人で壁を見る恰好で、並んで座っている。

「新海さんから聞いています。去年の秋、彼に『公安に異動になった。潜入先から指示するから、中森に持井事案のデータを渡してくれ』と言われてその通りにやりました。この件では中森さんとは一度も会っていないし、USBメモリも、本庁舎の指定されたソファの座面の裏に貼り付けただけです」

 慎が促す前に話しだし、言われたことをやっただけと強調する。これも新海の指示、あるいは飲み物などを買って来ていないところからして、一刻も早くここから去りたいだけか。いずれにしろ君島は真実を話しており、それは接触のなかった中森の居場所や現況については、何も知らないということだ。素早く頭を整理し、慎は問うた。

「しかし、USBメモリにデータをコピーしたのはあなたでしょう? 認証されていないパソコンになぜデータが保存され、持ち出し可能な状態になっていたんですか」

「さあ。データをコピーしたパソコンはもともとは誰かの私物で、警備実施第一係だけじゃなく他の係の人も、『ちょっと貸して』って私用に使っていました。だから押収して調べても、使用履歴を追い切れないみたいです。ただ、『警備一課全員が監察係に調査される』って噂があって」

 最後は不安げに言い、顔にかかったサイドの髪を小指で払いながらこちらを見た。美人ではないが所作が女性らしく、好ましく思う男はいそうだ。君島の不安には取り合わず、慎はさらに問うた。

「そうですか。ところで、警務部人事第一課雇用開発係職場環境改善推進室の職務はご存じですね?」

 君島は無言。ぽかんとしているようでいて、その目にははっきり動揺と焦燥の色が浮かんでいる。やっぱりか。確信し、慎は続けた。

「今年の五月に失踪した中森が、なぜ六月に開設された部署の、極秘事項の職務を知っているのか。室長として、知る権利と義務があります。答えて下さい」

「監察係の人に聞いたんです」

「監察係の誰ですか?」

 畳みかけると、君島は一拍置き、目を伏せて答えた。

「理事官の柳原(やなぎはら)さんです。今年の春から付き合っています。それも新海さんに言われたからですけど、今は本気です。結婚を申し込まれたし、新海さんは、奥さんと別れるつもりはないみたいなので」

 言い訳が恨み言に変わる。柳原は君島より二十歳近く年上でバツイチだが、出世頭で親は資産家だ。

 潜入捜査中の新海と連絡を取り合っている上に、彼の指示で接近した柳原と結婚するつもりか。この手の話題には無関心な慎だが、呆れてしまう。それでも頭は回転し、君島から慎の新たな職務の情報を得た新海が、中森に伝えたのだと理解した。

 待てよ。ならば新海は、俺が中森とデータを追っているとも伝えたはずだ。中森なら、俺が君島からこれまでのいきさつを聞き出すと予想しただろう。では、新海がこれまで俺に与えた情報はダミー? いや、板尾の事件で取り調べを受けた土橋日輪は、扇田鏡子との過去を認めたと聞いている。

 中森、どういうつもりだ。自分のせいで地に墜ち、それでも這い上がろうともがく、かつての上司の動静を調べ、情報まで与えてせせら笑っているのか。あるいは、「俺とデータを捕まえられるものなら捕まえてみろ」という挑発か。

 疑問の大きさが先に立って、怒りを覚えつつも胸に迫って来ない。だが、無意識に表情が険しくなっていたらしく、君島が怯えたように訊ねた。

「大丈夫ですか?」

「失敬。何でもありません」

 そう返し、「もう結構です」と告げようとした矢先、君島は言った。

「実はちょっと気になることがあって。持井事案、っていうか『東京プロテクト』なんですけど」

 声を潜めた君島だったが、慎は「しっ!」と咎めて周囲を確認した。幸いカウンター席に他に客の姿はなく、テーブル席の客もお喋りやスマホ弄(いじ)りに夢中だ。

 日頃は通称で呼んでいるが、持井事案の正式名称は東京プロテクト。二年がかりで人事一課監察係を中心に、公安部や警察庁警備局の協力も得て進めてきた極秘プロジェクトだ。

「どうしてそれを……柳原ですか?」

「はい。付き合い始めた頃に、彼の部屋で書類を見てしまって。『本当にこんなことをやるの?』って驚きましたけど関わりたくないし、忘れるつもりでした」

 柳原の脇の甘さに呆れつつも、慎は「それで?」と先を促した。

 防犯カメラの顔認証システムを利用した、特定個人の監視による犯罪防止施策。それが東京プロテクトの要旨だ。警視庁内の犯罪者のデータベースと都内各所の防犯カメラの映像を連動させ、たとえば「新宿歌舞伎町(かぶきちょう)」にいる「薬物売買の前科のある者」、「金融機関」に現れた「強盗の常習犯」、「政府施設」付近をうろつく「共謀罪の被疑者」といった条件設定に引っかかった人物を、警視庁内の該当部署に報せる。報せを受けた部署は防犯カメラで該当人物の行動をリアルタイムで追い、必要に応じて現場に捜査員を配備する。プライバシーの侵害、政府による監視だとマスコミや市民団体が騒ぐのは必至で、撤廃を求める運動が起きる可能性も高い。それだけに秘密裏に、あらゆる根回しをしつつ進め、ようやく基本指針がまとまった。慎も飛ばされるまでは、総括主幹である持井の手足となって働いて来た。

「でも、実はデータをUSBメモリにコピーする時にも偶然中身を見ちゃってて。それが、柳原さんの部屋の書類と違っていたんです」

「どう違っていたんですか?」

「警察職員の名簿だったんです。なんで気づいたかっていうと、知り合いの名前があったから。前にいた署の先輩で、五年ぐらい前にセクハラで懲戒処分になりました。他にも重婚をしようとして処分された、吉祥寺(きちじょうじ)署の人も。最近ネットのニュースで見たから、覚えていたんです。他にも名前がぎっしり、何百人と並んでて、何をやってどんな処分を受けたかも書いてありました。あれ、ひょっとして」

「赤文字リスト」

 気がつくと、口に出していた。君島は大きく頷き、

「絶対そうですよね。コピーするデータを間違えたのかと思ったんですけど、その後、新海さんは何も言って来なかったんです」

 と捲し立てた。続けて「最近、新海さんから連絡が来なくなりました。あのデータと関係があるのかもと考えたら、不安で仕方なくて」とも言ったが、慎は応えなかった。

 非違事案で懲戒処分になった職員の名簿は、他にもある。しかし五年も前の事案も含めた、何百人という規模のものは、赤文字リスト以外にはない。

 なぜ、東京プロテクトが赤文字リストに? 何らかの原因で入れ替わったのだとしても、持井さんたちが気づかない訳はない。それでも中森を追う理由は? 何より、中森はなぜ欲していたものとは違うデータを持って逃げ続ける?

 新たな、さっきとは比較にならないほど大きな、深い、衝撃を伴った疑問が胸に湧いた。君島が話をやめ、怪訝そうに自分を見ているのに気づいた。しかし慎は前を向いたまま、胸の中の疑問を繰り返した。

(つづく)

 


「警視庁レッドリスト」連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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