〈第16回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」

■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」

慎が堤に取引を持ちかけた。
と、そこへみひろが引き返してくる。


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 職場環境改善推進室に戻ると、慎はみひろが出て行った時と同じように作業していた。報告書が溜まっていたので、みひろもノートパソコンに向かった。二人で黙々と仕事をし、午後になると慎は会議に出席するために部屋を出て行った。とたんに気が緩み、みひろはキーボードを叩く手を止めた。 

 立ち上がり、壁際に置かれた小さな冷蔵庫を開けた。瓶入りのりんごジュースを一本取って席に戻る。このりんごジュースは少し前に豆田が、「嫁さんの実家が送ってくれた」と数本差し入れしてくれたものだ。キャップを開けてりんごジュースを飲み、程よい甘さと酸っぱさを味わっていると、さっきの堤とのやり取りを思い出した。

「『口を挟まないで下さい』って言われてもねえ」 

 独りごとを言い、りんごジュースの瓶を机に置いた。 

 室長は堤さんに、誰が警備第一課に抜き取られたデータを持ち込んだのかを調べさせてるのよね。じゃあ先にその誰かを突き止めれば、堤さんが取引する必要はなくなるってこと? そう考えながら、みひろは報告書を書きかけのワープロソフトを閉じ、警視庁職員の身上調査票を開いた。 

 絞り込みをかけ、警備第一課の課員だけを表示させたが、八十名以上いる。まず問題のパソコンが置かれていた警備実施第一係の係員をチェックし、続いて本橋の話を思い出しながら、監察係や中森に関係したキーワードで絞り込んだ。だがヒットした職員全員の身上調査票を読んでも、それらしき人物は見つからなかった。

「無理だって。そもそも、データの正体がわかんないんだから」 

 そうぼやき、みひろはぬるくなったりんごジュースを飲み干した。このところ過ごしやすい日が続いているが、湿気の多いこの部屋は相変わらず蒸し暑い。 

 一人なのをいいことにジャケットを脱ぎ、ワイシャツのボタンを二つ目まで外した。それでも暑いので、机上のブックスタンドに挿した団扇(うちわ)を探した。しかしブックスタンドにはファイルと封筒がぎっちり挿され、その上に書類や雑誌が無秩序に積み重なっているので見つからない。引っかき回しているうちに積んだ書類と雑誌が崩れ、向かいの慎の机に落ちた。

「あ~あ」 

 言いながら席を立ち、慎の机の脇に行って書類と雑誌を拾った。みひろの机とは対照的に整理整頓が行き届き、ブックスタンドにはファイルがサイズごとに分けて納められている。 

 室長の机を調べたら、データの正体がわかるかも。ふと浮かんだが、直後に「そんなに脇の甘い人なら、こんな状況になってないって」とも浮かび、みひろは拾ったものを手に自分の席に戻った。

「いずれにしろ、発想と着眼点がいいですね」。ふいに、頭の中で慎の声が再生された。この言葉を言われた時の、慎の笑顔も蘇(よみがえ)る。 

 やっぱりあれはお世辞だったんだな。私の仕事ぶりを見てくれて、「当たり」の上司だと思ったのに。大外れどころか超厄介だわ。文句を言いつつも発想と着眼点という言葉が頭に残り、みひろは改めて考えた。 

 昨夜、堤さんはデータ消去ソフトを作ったのは、「超凄腕のシステムエンジニアやプログラマー」って言ってたな。でも、警備第一課にそういう課員はいなくて、「いたら絶対知ってます」って断言してた。とはいえ、他部署の職員の仕業とは考えにくいから、巧くごまかして隠れてるってことよね。ソフトや問題のパソコンとちょっとでも繫がりがありそうな人なら、堤さんか監察係が見逃さないはずなんだけど――ちょっと待って。 

 閃くものがあり、みひろは拾ったものを脇に除(よ)けてノートパソコンに向き直った。 

 ソフトや問題のパソコンと繫がりがなさそうな人だから、見逃されているのかも。そう思い、再度警備第一課の身上調査票に目を向ける。まずは警備実施第一係から、と見直そうとして、ある人物が頭に浮かんだ。 

 メタボ体型だが、目つきの鋭い男。警備実施第一係係長の伊丹だ。事務方の部署の係長にしてはいかつく、彼に会った時みひろは、圧を感じた。 

 迷わず、みひろは伊丹の身上調査票を表示させた。 

 フルネームは伊丹克行(かつゆき)。四十二歳で、階級は警部。所轄署、本庁と刑事畑でキャリアを積み、三年前に警備部に異動になる前は、組織犯罪対策部組織犯罪対策第四課に所属していた。組織犯罪対策部は「組対」「マル暴」とも呼ばれ、恐喝や賭博、違法薬物の売買、対立抗争による銃器発砲などの暴力団犯罪が担当だ。 

 元マル暴か。なら、あの目つきや圧の強さも当然だな。腑に落ちたが、伊丹の専門はヤクザやチンピラで、超凄腕のシステムエンジニアやプログラマーとはかけ離れている。引っかかるとしたら組織犯罪対策部から警備部という畑違いの異動だが、警備実施第一係の職務には、国会議事堂や外国の大使館周辺の街宣車による騒音の取り締まりも含まれる。他の記録にも問題はなく、刑事時代にはいくつかの大きな事件の解決に関わり、表彰もされていた。 

 ダメもとで、みひろは別のデータベースにアクセスした。警視庁が扱った犯罪の記録を伊丹の名前で検索すると、彼が捜査に関わった何十という事件がヒットした。全ての事件を詳細まで確認するには、数日かかるだろう。 

 最近のものだけ、とみひろは画面をスクロールさせた。表示されたのは、ここ十年ほどの事件。「森繁会(もりしげかい)会長射殺事件」「八王子市違法薬物密輸・乱用事件」「演歌歌手監禁・恐喝事件」等々物騒なものばかりだが、その中の「コンビニATM不正引き出し事件」に目が留まった。 

 金融犯罪って、刑事部の捜査第二課や、生活安全部の生活経済課の担当じゃなかったっけ? 違和感を覚え、みひろは「コンビニATM不正引き出し事件」をクリックした。画面が切り替わり、事件の概要が表示される。 

 事件発生は、六年前の四月。都内で、場所もチェーンもバラバラのコンビニのATM約三百台から、合計約六億五千万円が引き出された。全て同じ日で、犯行は午前四時から六時までの二時間。引き出しにはロシアの銀行のクレジット情報が入力された、偽造カードが使われた。 

 コンビニの防犯カメラの映像から現金を引き出した者のうち約三十名が逮捕され、その半数を占めていたのは複数の指定暴力団の組員及び関係者だった。本庁組織犯罪対策部と生活安全部サイバー犯罪対策課が逮捕者を取り調べた結果、事件は現金を引き出した暴力団と、ロシアの銀行のオンラインシステムにサイバー攻撃をしかけ、クレジットカードの情報を盗んだハッカー集団の共犯とわかった。二カ月後にはハッカー集団六名も逮捕されたが、その全員が二十代の若者だった。

「へえ。映画みたい」 

 もう一度読み返そうとして、「オンラインシステムにサイバー攻撃」の記述に気づいた。はっとして、さらに概要を読み進める。間もなくある記述に辿(たど)り着き、

「えっ。マジ!?」 

 と声を上げた。驚きと興奮を覚えながら、スマホを摑んだ。慎に連絡しようとしたら、彼からLINEにメッセージが届いていた。会議は終わったが小用があるので外出し、直帰すると書いてあった。

「直帰? 何それ」 

 困惑し、スマホの時計を見るといつの間にか午後五時を過ぎていた。すぐに電話をかけたが、慎は出ない。メッセージで状況を伝えようと考えたがもどかしく、みひろは別の番号を呼び出し、発信ボタンをタップした。

(つづく)

 


「警視庁レッドリスト」連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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