〈第19回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」
CASE5 野望と陰謀:左遷バディ、最後の調査(1)
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「電話を切って部屋に戻って下さい。五分後に人が来ます」
機械的にゆっくりと、中森翼(なかもりつばさ)は告げた。阿久津慎(あくつしん)は訊(たず)ねた。
「どういう意味だ?」
「すみません。言うとおりにして下さい」
「どこにいる? 会って話そう」
「ですから、言うとおりに」
言い含めるように返し、中森は電話を切った。受話器を置き、慎は周囲を窺(うかが)った。エントランスのドアから管理人の男が入って来るのが見えたので、管理人室を出た。
エレベーターに乗り、自分の部屋に戻った。居間のソファに腰掛け気を静めていると、チャイムが鳴った。立ち上がり、壁の端末の前に移動する。
液晶モニターには、水色のキャップをかぶり同じ色の作業服を着た男が映っていた。慎は応答ボタンを押した。
「はい」
「お届け物です」
男が手にした封筒を持ち上げる。キャップで顔は見えないが、声からして二十代から三十代か。慎は「どうぞ」と返してエントランスのドアを開けるボタンを押した。
玄関で待っていると、間もなく部屋の前のチャイムが鳴った。ドアガードがかかっているのを確認し、慎は三和土(たたき)に降りて解錠しドアを開けた。
ドアの向こうに、男が立っていた。キャップと作業服は脱いでいる。慎が口を開くより早く男は、
「これを着て、外の車に乗れ」
と告げ、片手で摑(つか)んだキャップと作業服をドアの隙間に突き出した。
「中森の仲間か? 車とは」
「急げ。時間がない」
語気を強くして、男はさらに告げた。摑んだもので顔を隠しているが、色白でメガネをかけているのがわかった。警戒しながらも胸がはやり、慎はドアガードを外してドアを大きく開いた。慎がキャップと作業服を受け取ると、男は身を翻して歩きだした。
「おい」
廊下に身を乗り出して声をかけたが、男は振り向かず足早に進んで行く。エレベーターとは逆方向で、前方には非常階段がある。黒いTシャツを着た男の背格好が自分と似ているのに気づくのと同時に、慎は中森の思惑を理解した。
身を引いてドアを閉め、キャップと作業服を身につけてスニーカーを履いた。再びドアを開け、廊下に人影がないのを確認してから部屋を出て施錠した。廊下を進み、エレベーターで一階に降りる。キャップを目深にかぶって俯(うつむ)き、管理人室の前を抜けて外に出た。
前方の通りに、エンジンがかかったままの軽の白いワンボックスカーが停(と)まっていた。迷わず歩み寄り、慎はワンボックスカーの運転席に乗り込んだ。雨は降り続き、フロントガラスの上でワイパーが動いている。キャップの下から周囲を見回し、ハンドルを握ってワンボックスカーを発進させた。
「およそ二百メートル先。左方向です」
車内にカーナビの音声が流れた。ハンドル脇のパネルには地図が表示され、青い矢印が通りを進んでいる。
慎は視線を上げてバックミラーを覗(のぞ)いた。尾行の車がいないのを確認してからハンドルを握り直し、運転に集中した。
カーナビの指示通りにワンボックスカーを走らせた。約三十分後、辿(たど)り着いたのは東池袋(ひがしいけぶくろ)の裏通りのビジネスホテルだった。玄関の前に停車しギアをパーキングに入れた直後、くぐもったベルの音が聞こえた。慎は腕を伸ばし、グローブボックスを開けた。中には着信中のスマホが一台。取り出して通話ボタンをタップし、耳に当てる。
「八○六号室」
中森とも、さっきの男とも違う男の声が告げ、電話は切れた。スマホを作業服のポケットに入れ、慎はワンボックスカーを降りてビジネスホテルの玄関に向かった。
ロビーを抜け、エレベーターで八階に上がった。がらんとした廊下を進み、八○六号室のドアの前で足を止めた。壁のチャイムを押すとドアが開き、中森が顔を出した。
「どうぞ」
そう言って、中森はドアを大きく開けた。その脇を抜け、慎は部屋に入った。
白い壁に囲まれた室内に、ベッドが二つ。突き当たりに正方形の窓。壁際に液晶テレビが載った木製の机があり、その脇に小さなテーブルを挟んで椅子が二脚置かれている。他に人はいないが、ドアを入ってすぐのところにあるバスルームの中はわからない。
「座って下さい」
ドアを閉め、中森が言った。慎はキャップを脱いで奥の椅子に座り、中森は手前の椅子に腰を下ろした。エアコンは入っていないが、雨のせいか湿ってひんやりした空気が漂っている。
「元気そうで何よりだ」
嫌みとも本心とも取れる口調で告げ、慎は向かいを見て脚を組んだ。