〈第19回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」
中森は清潔なシャツとスラックスを身につけ、髪も整えている。顔の色艶は、姿を消す前最後に会った時よりずっといい。中森は硬い表情で「はい」と返し、改めて慎に目を向けた。
「自宅待機になったそうですね。阿久津さんは必ず僕を見つけ出すはずだから、その時なにもかも話そうと思っていました。でも、これ以上迷惑はかけられません」
「それで連絡して来たのか。じゃあ、話してくれ」
手のひらを差し出して促すと、中森は頷(うなず)いて話し始めた。
「去年の春、体がだるくて眠れなくなったんです。いくつも病院を廻(まわ)りましたが異常なしで、最後に行った心療内科で『ストレスが原因のうつ病。仕事を休め』と言われました。僕は監察の職務に誇りと使命感を持っていたから受け入れられなくて、薬を飲みながら出勤を続けました。ところが心療内科に入るところを持井(もちい)さんに見られて、『明るみに出れば私の監督責任を問われる。適当な理由を考えて、他部署への異動願いを出せ』と促されました」
「そうだったのか」
心療内科に入るのを見たのが俺でも、異動を促していただろうな。相づちを打ちながら、慎は思った。中森は話し続ける。
「納得できなくて、思いとどまらせる理由を見つけるために持井さんを調べ始めたんです。そうしたら」
「持井事案に行き当たり、東京プロテクトは隠れ蓑(みの)で、本当の計画は全くの別物だと知ったってところか」
「はい。関係者を調べ、伊丹(いたみ)さんが警備実施第一係のけいしWANに接続されていないパソコンで計画の基本要綱を閲覧していたと突き止めました。同じ頃、僕は新海弘務(しんかいひろむ)と君島由香里(きみじまゆかり)の不倫を調査していて、新海が公安に異動になることも知っていました。だから二人を利用し、データを抜き取って逃げようと決めたんです」
「新興宗教の信者に紛れ込むとは、考えたな。扇田鏡子(せんだきょうこ)に自分の身分を明かして、取引したな? さっき俺を訪ねて来たのも、この部屋の番号を知らせたのも、盾の家の信者だろう」
薄く笑って訊ねた慎に中森も「さすが」と笑い、こう答えた。
「その通りです。扇田と会い、新海が公安のスパイだと知らせました。その上で、『スパイは他にもいる。俺をかくまって新海の動きを見張らせれば、名前を教える』と持ちかけました。もちろん、はったりですけどね」
「なるほど。それでこっちの動きを把握していたのか……いきさつはわかった。で、お前の望みはなんだ? ここまで騒ぎが大きくなったら、『データを返すから異動させないでくれ』では済まないぞ」
「わかっています。持井さんに『計画を中止し、僕の国外への脱出を見逃せばデータを返す』と伝えて下さい」
「国外脱出はともかく、計画の中止とは大きく出たな。なぜそこにこだわる? 本当の計画とは何なんだ? 赤文字リストが関わっているんだろ」
素直に疑問をぶつけると、中森の表情が険しくなった。視線を落とし、低い声で返す。
「『レッドリスト計画』。それが本当の計画の名前です。でも内容は知らない方がいい」
「ここまで話して、それはないだろう。お前のお陰で飛ばされた挙げ句、俺も赤文字リスト入り目前なんだぞ」
語気を少し強め、中森をまっすぐに見て告げた。「赤文字リスト入り」に反応し、中森も慎を見る。数秒視線を交えた後、中森は息をついて立ち上がった。机に歩み寄って引き出しを開け、ノートパソコンを取り出して椅子に戻った。テーブルにノートパソコンを置き、いくつか操作をして液晶ディスプレイを慎に向けた。
液晶ディスプレイには、複数の表が表示されていた。一番上の表を見ると、左端の枠の中に「第一」から「第十」まで漢字の番号が縦並びに書き込まれている。その隣の枠には、「100」「30」等々のアラビア数字が書かれていた。数字にはリンクが張ってあり、ポインターで「100」を指してクリックすると画面が切り替わり、新たな表が現れた。今度は名簿で、氏名と年齢、階級が記され、隣に所属部署名と非違事案の発生時期、内容が記されている。
「この第一から第十は、所轄署の方面だろ? で、名簿は赤文字リストだ。赤文字リスト入りした職員を使って、何かしようっていうのか?」
問うたが、中森は横を向いて答えない。慎は視線を液晶ディスプレイに戻し、最初の表を見直した。