〈第20回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」
みひろを呼び出す。
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和服を着た仲居が、店から出て来た。慎はハンドルに乗せていた手を下ろしフロントガラス越しに前方を見た。
仲居に続き、スーツ姿の男たちが店から出て来た。打ち水された石畳のアプローチを進み、店の前に横付けされた黒塗りのハイヤーに乗り込む。その中に目当ての男はおらず、慎は息をついて周囲を眺めた。
赤坂(あかさか)通りから一本入った通りで、バーやクラブ、料亭などが並んでいる。時刻は間もなく午後十時。外灯と店の看板の明かりが照らす通りをサラリーマンやOL、ダッシュボードの上に「迎車」の表示を出したタクシーが行き交っている。
視線を上げ、バックミラーを見た。映っているのは、慎の車の三十メートルほど後方に停車した白いセダン。警察車両で、運転席と助手席の男は監察係の係員だ。一時間ほど前に寮を出た慎を尾行して来た。
昨夜はあの後みひろに、「今後の対策を考えて連絡します」と伝えて帰寮させた。それから中森と電話で話し、二十四時間後の今、通りの先の料亭を見張っている。
男たちがハイヤーで去り、仲居は店に戻った。黒い板塀が目を引く日本家屋で、いわゆる「一見(いちげん)さんお断り」の料亭だ。政治家や財界人の客が多いことで知られ、慎も監察係にいた頃に何度か入ったことがある。
しばらくすると、店の前にハイヤーが数台列を作った。さっきの仲居が再び姿を見せ、慎は前方に注目した。
どやどやと、店から三、四人のスーツ姿の男が出て来た。その後ろに持井亮司(りょうじ)を見つけ、慎の緊張が高まる。持井の隣には沢渡暁生、一歩遅れて柳原喜一(やなぎはらよしかず)もいた。
スーツ姿の男たちはハイヤーに乗り込み、持井、沢渡、柳原と仲居が頭を下げて見送った。ハイヤーが走り去り、そこに黒塗りのセダンが近づいて来て停まった。運転席から男が降りて来て後部座席のドアを開け、沢渡がセダンに乗る。男は運転席に戻ってセダンを発車させ、それを持井と柳原、仲居が見送った。セダンが通りの奥に消えるのを確認し、慎はドアを開けて車を降りた。スーツの襟を整えながら通りを進む。
「持井さん」
声をかけると持井が振り返った。が、先に柳原が口を開く。
「何してるんだ。自宅待機中だろ」
尖(とが)った口調で言い、行く手を阻むように慎の前に立った。後ろから、慎を尾行して来た監察係の係員も駆け寄って来る。
「中森に会いました。お話があります」
慎が告げると、持井の眉がぴくりと動いた。柳原と監察係の係員もはっとする。何か言おうとした柳原を止め、持井が進み出て来た。
「いいだろう……きみたちはここで待て」
前半は慎、後半は柳原たちに言い、持井は歩きだした。慎は背中に柳原たちの視線を感じながら、後に続いた。
少し歩いて路地に入り、持井は立ち止まった。振り向いてこちらを見たので、慎は言った。
「一緒に店から出て来たのは、警察庁長官官房の審議官と東京都の副知事、他は本庁公安部の幹部ですね。伊丹の一件のフォローといったところでしょうか。間もなく施策審査会が開かれますし、是が非でも計画を採用させて、年内に施行したいところですね」
「先制攻撃のつもりだろうが、今のきみは私と同じリングに立っていない。さっさと本題に入れ」
見下すように告げられたが、想定内だ。「失礼しました」と返し、慎は話を始めた。
「中森はある新興宗教団体と取引し、匿(かくま)われています。国外脱出を希望しており、『外国籍の航空機に搭乗し、離陸したら抜き取ったデータと計画の証拠を渡す』と言っています。追跡の中止も条件だそうです」
「計画の証拠? 何の話だ?」
「無論、レッドリスト計画です。警備部にデータが流れた理由が、やっとわかりました。伊丹に特別守護隊を統括させるつもりだったんですね。災害やテロが発生した場合、現場の機動隊やSATの隊員に、特別守護隊の意味を理解させておく必要がありますから……中森はレッドリスト計画の実施要綱の他、持井さんや日山(ひやま)人事第一課長の署名・押印がされた関係書類のコピーを所持していますよ」
感服したように語ったあと声を低くして伝え、慎はジャケットのポケットからスマホを出して画面を持井に見せた。中森が抜き取ったのはレッドリスト計画の実施要綱で、画面にはそれ以外の企画書や稟議書(りんぎしょ)などコピーの画像が表示されている。昨夜中森がメールして来たもので、持井や日山の他にも警務部や警備部、公安部の幹部の署名・押印がされた書類があった。
厳しい表情で画像を確認し、持井は顔を上げた。
「きみの意見を聞こうか」
「非常にショックで、倫理的にも人道的にも認許できません。断固阻止すべき計画で、中森の行動を全面的に支持し、協力します」
「中森にはそう伝えたんだな。本意は?」
当然のように問われ、慎は苦笑しながらも快感を覚えた。
「ショックを受けたのは事実ですが、持井さんはついに英断されたんだなと察しました。赤文字リスト入りした職員の処遇は、以前から我々の課題でしたから」
「その通り。赤文字リストに名を連ねた職員は、約五百名。規律違反を犯し処分を受けながらも、警察組織に居座り続けている。許しがたい了見で、相応の処置を執るべきだ」
目を光らせ、持井は断言した。慎が「はい」と頷くと持井も首を縦に振り、こう続けた。
「で、どうする?」
「取引に応じるふりをして、中森が逃れる前に抜き取ったデータと計画の証拠を入手してお渡しします」
昨夜から考えてきたことを、一気に告げた。出国手続きを終えた後でも、国内の空港内であれば日本の法律が適用される。一方外国籍の飛行機は離陸するとその国の法律が適用され、日本の司法機関の手は及ばなくなる。ゆえに、中森が航空機に搭乗しても離陸前なら身柄を拘束できるはずなのだが、外国籍の航空機の扱いは難しく、また今回は逮捕状も発付されていない。現実的には、中森が搭乗した航空機のドアが閉じられるまでがタイムリミットといったところだろう。
「きみのことだ。既に具体的な策があるんだろうな」
「はい」
そう返しながら、慎は強い高揚感を覚えた。満足げに頷き、持井は問うた。
「見返りは?」
「監察係への復帰。レッドリスト計画は座視しますが、持井さんには、これまで以上に目をかけていただければと。僕をそばに置けば裏切らないか見張れますし、持井さんにとっても悪い話ではないでしょう」
含みたっぷりに答えると、持井は鼻を鳴らして口の端を上げた。
「つくづく、きみは策士だな……首尾を整えて実行しろ。失敗は許されない。いいな?」
「わかりました」
慎が背筋を伸ばして頭(こうべ)を垂れると、持井はその前を通って店の前の通りに戻っていった。
体に力がみなぎり、視界が開けたような気がして慎は笑った。
もう少しだ。俺は元いた場所に戻り、さらに高みを目指す。
店の前の通りに戻ると、持井たちの姿はなく尾行の車も消えていた。自分の車に向かおうとした矢先、後ろから車が近づいて来た。
「よう」
振り向くと、黒いセダンの後部座席から沢渡が顔を出していた。慎は立ち止まり、セダンも停車した。
「どうも。帰宅したと思っていました」
言いながら、柳原が電話で呼び戻したなと察する。運転席から男が降りて来て慎に一礼し、後部座席のドアを開けた。
「乗れよ。ドライブだ」
後部座席の奥に移動しながら沢渡が告げる。ここは従った方がいいと判断し、慎は沢渡の隣に乗り込んだ。男がドアを閉めて運転席に戻り、セダンは走りだした。
「今度は自宅待機だって? お前、どんどん面白くなってるな」
沢渡が顎を上げて笑った。ゴルフにでも行ったのか、少し日焼けをしている。質問には答えず、慎は前を向いて言った。
「レッドリスト計画は、沢渡さんのアイデアでしょう。『Scapegoat』。いかにもあなたが考えつきそうなことです」
「画期的だろ? 自分の創造したものが現実とリンクし、公儀を動かす。作家として、これ以上の快感はないぞ」
「赤文字リスト入りした職員たちは、あなたの快感の生け贄ですか。クリエイターというのは、残酷な人種ですね」
冷ややかに返すと沢渡も真顔に戻り、ライトグレーのスラックスの脚を組んだ。
「生け贄になったからと言って、殺されるとは限らない。それに国民の奉仕者になるのは、公務員の義務だ……お前らしくないな。出世コースに戻りたくて、血眼で這(は)いずり回ってたんだろ。余計な謀(はかりごと)はせず、中森からデータを取り返せ。持井に尻尾を振ってりゃ、間違いない」
なるほど。俺に釘(くぎ)を刺すために呼び戻されたのか。納得するのと同時に、慎は苛立(いらだ)ちと反抗心を覚えた。
「自宅待機を面白いと評したそばから、上司にへつらい、出世コースに戻るのをよしとするんですか。矛盾していますね……ああ。こういうことを言うから、あなた方に『つまらない』『頭が固い』と煙たがられるんですね」
「リカも天(てん)も元気だ。たまには顔を見せろ。みんな心配してるぞ」
声を低く静かなものに変え、沢渡が言う。家族の名前を上げたのは、「あなた方」と言った慎をたしなめているつもりか。
「ウソだ」
タメ口の呟きに、沢渡は動じなかったが、運転席の男は前を向いたまま小さく肩を揺らした。慎は続けた。
「クリエイティブであること、エキセントリックで『面白い』ことが何よりも重んじられるあの家で僕がどんな存在だったか、あなたも知っているでしょう」
言いながら、小学生の時に算数のテストで九十八点、国語のテストで九十二点を取った慎より、算数のテストで〇点、国語のテストで百点を取った二歳上の兄の天が両親に「振り切れてる」と褒められたこと、中学生の時両親が、生徒会長になった慎ではなく、グレて裏番長になった天を友人に「自慢の息子」と紹介したこと、さらに高校生の時は一流大学に合格した慎を差し置き、高校中退でマンガ家デビューした天に両親がはしゃいでいたことを思い出した。
無から有を生み出すことができず、面白いことも言えない自分が意味のない人間に感じられ、一方外では「頭がいい」「優等生だ」ともてはやされて混乱した。最後は「うちの家族は『面白い』んじゃなく、『おかしい』んだ」と思うことで自分を保ち、ひたすら勉強して警視庁に入庁した。今は必要に迫られない限り、家族と連絡は取らない。
「お前はつまらなくはないよ。俺たちとはタイプが違うだけで、十分エキセントリックだし」
笑顔に戻り、肩をすくめて沢渡は返した。
それでフォローしているつもりか。クリエイターと呼ばれる人間の、こうした尊大な態度を、慎は忌々しく思う。だが、まともに相手をするのも腹立たしい。黙っていると、沢渡はさらに言った。
「持井は、お前もレッドリスト計画の主要メンバーに加えるつもりだったんだ。中森の件を上手くやれば、再起用されるだろう。息子と仕事ができるのは、親冥利(みょうり)に尽きる。楽しみだ」
沢渡は腕を伸ばし、慎の肩に手を置いた。振り払いたい衝動に駆られる一方、沢渡の口調と眼差(まなざ)しは偽りとは思えなかった。
セダンが停まった。気づけば、元いた場所に戻っている。慎はドアを開け、セダンを降りた。
「危ない橋を渡る時は、前だけを見ろ。周り、とくに足下でなにか言ってくるやつに、耳を貸すな」
背中で沢渡の声を聞きながら、通りに立ってドアを閉めた。
(ご愛読ありがとうございました。連載は、今回で終了します。
続きは、11月6日発売の文庫判でお楽しみください。)