〈第6回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」

■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」〈第6回〉
テレビの「警察24時」でおなじみの第一自ら隊へ。
隊員の借金問題を調査する。


「自販機の前って……でも、上手いやり方ですね。一回の額が少ないと相手も『お金を貸した』って認識しにくいし、そもそも五百円なんて忘れる可能性も高い」

 呆れながらも感心し、ついみひろは語りかけてしまう。里見はどう答えていいのかわからない様子で俯き、慎はキーボードを叩く手を止め、咳払いで先を促した。「すみません」と隣に頭を下げ、みひろは改めて里見を見た。

「借金の理由を教えて下さい」

「生活費です。僕は今年の二月に結婚したんですが、いろいろ物入りで。警察共済組合や消費者金融からは既にたくさん借りてるし、つい身内に頼ってしまいました」

 俯いたままだがはっきりと答え、手のひらで額の汗を拭った。みひろはその手に真新しいプラチナの結婚指輪が輝いているのを確認してから、ファイルの身上調査票に目を落とした。確かに里見は、警察共済組合と銀行、消費者金融から住宅ローンや家財道具の購入目的で四千万円近く借り入れている。

 警察共済組合とはその名の通り警察職員のための共済組合で、健康保険と年金の給付金の支給、住宅や車の購入、子どもの教育等のための資金貸し付けのほか生命保険や学資保険などの制度保険の提供、保養所の運営管理、加えて家具や家電、警察グッズ等の通信販売も行っている。もちろん買い物や旅行などのための、いわゆるキャッシングのような貸し付けも行っていて、金利は一・九八パーセント。大手消費者金融の貸付金利が三パーセントからなのを考えればかなり安く、警察職員の借金やローンと言えば警察共済組合から、というのが普通だ。ただし、所属部署の共済組合担当者に申し出て借り入れの手続きをするシステムなので、誰がいくら借りたか職場で筒抜けになる可能性が高い。

 また巷には「警察官が消費者金融を利用するのは禁じられている」という噂があるが、これは間違いで該当する規則はなく、むしろ公務員という職業上、借り入れ審査に通りやすい。しかし警察官には「身上指導」の名のもと上司に借金を申告する義務があり、これを怠ったり、分不相応な借り入れをしたり、ヤミ金のような違法業者を利用した場合は非違事案となり、処分の対象になる。

「わかりました。借りた三十万円は、どうするつもりですか?」

 ノートパソコンの液晶ディスプレイ越しに里見を見て、慎は問うた。顔を上げ、里見は即答した。

「返します。全員に、すぐ」

「どうやって?」

「持ち物など、売れるものを売ります。もっと早くそうするべきでした。申し訳ありません」

 縦に広く横に狭い背中を丸め、里見は頭を下げた。天然パーマなのか、黒々とした髪はクセが強く量が多い。

「わかりました」

 慎は視線を液晶ディスプレイに戻し、キーボードを叩き始めた。それを見返し、里見は何か言おうとした。が、慎は、

「処分については、追って通達します。仕事に戻って下さい」

 と、冷たく事務的に告げた。口をつぐみ、里見はみひろを見た。

 気が休まるようなことを言ってやりたかったが、これから彼がどうなるのかはわからない。やむなくみひろは無言で頷いて見せたが、里見はそれでも少しほっとした顔になり、立ち上がってこちらに一礼し、会議室を出て行った。

 5

 エレベーターを降り、慎は居酒屋に向かった。しかし出入口の引き戸の前には、スマホを耳に当てた若い男が立っている。

「失礼」

 声をかけたが、男は通話に夢中だ。Tシャツにジーンズ姿で、酔いで耳まで真っ赤になっている。

「すみません」

 再度声をかけると男は脇に避けたものの、こちらに目も向けない。引き戸を開け、慎は店内に入った。

「いらっしゃいませ~」

 威勢はいいが間延びした店員の声とボリュームが大きめのJ-POPに出迎えられ、店内を進んだ。ここは渋谷センター街の大手チェーンの居酒屋で、時刻は午後八時過ぎ。客は学生と思しき若者のグループばかりで、客席も団体客用の掘りごたつ式のものがずらりと並んでいる。

「こっちだ」

 その声に振り向くと、奥のカウンター席に佐原皓介(さはらこうすけ)がいた。歩み寄り、慎は佐原の隣に腰掛けた。ダークスーツ姿の慎たちは明らかに異質だが、五人ほどしか座れないカウンター席には他に客はおらず、騒いで飲み食いするのに夢中な若者たちはこちらを見向きもしない。人に聞かれたくない話をするにはうってつけで、佐原はこうした店をいくつも知っているのだろう。

 カウンターの中の店員にビールを注文し、念のため周囲を確認してから慎は問うた。

「データが抜き取られた経緯はわかったか?」

「ああ」と返し、佐原はチューハイらしき液体と氷の入ったグラスを口に運んだ。少し前からここにいるらしく、カウンターには食べかけの刺身や焼き鳥などが並んでいる。

「お前が言ったとおり、データはヒトイチと公安部公安総務課が『けいしWAN』で管理していた。当然、中森にデータへのアクセス権はない」

 けいしWANとは警視庁と各警察署共通の情報ネットワークで、電子メールの送受信、電子掲示板の閲覧のほか文書管理などを行っている。警察職員がけいしWANを利用する場合はユーザーIDとパスワードの入力が必要で、パスワードは定期的な変更が義務づけられ、アクセスできるデータは担当業務・階級ごとに厳しく制限されている。アクセスの履歴はすべて記録・保管され、不正アクセスはもちろんUSBメモリなどを接続しただけで総務部情報管理課に通報される。

「では、どうやって? 中森は私物のUSBメモリでデータをコピーしたんだぞ」

「わからない。だが、持井事案に関して新情報がある。ヒトイチと公安総務課でデータへのアクセス権を持っていたのは、理事官以上の幹部だけだ。しかし洗い直したところ、意外なところにデータが流れていたとわかった」

 もったい付けるように言葉を切り、佐原は振り向いた。しかし慎が平然と前を向いたままなのを見て、不機嫌そうに顔を背けた。そこにビールが運ばれて来て、慎は渇いた喉を潤した。自分も再びグラスを口に運び、佐原は言った。

「警備部警備第一課だよ」

 ごくりと喉が鳴るのを感じながら、慎はビールを飲み込みグラスを置いた。表には出さなかったものの、驚いていた。

 公安は道府県警察では警備部内の一部署だが、警視庁だけは警視庁公安部として独立している。そのため警視庁警備部は警備や警護、災害救助に特化しており、警備第一課は治安警備の計画と実施、情報収集、機動隊や特殊部隊・SATの管理などを行っている。

「第一課の何係だ?」

 訊ねながら、第一課長、警備企画係長、警備実施係長、警備情報係長と思いつく限りの顔と名前を頭に浮かべる。が、佐原は首を横に振った。

「特定中だが、第一課にはけいしWANに接続されていないパソコンがあって、複数の課員がワープロ代わりや、私的目的で使っていたらしい。そこに流れたデータが中森の標的になったんだ」

「しかしデータは暗号化されていて、認証されたパソコン以外では開けないはずだ。そもそも、なぜ警備部に持井事案が? あれは基本指針で、現場に情報が下りるのは早すぎる。それに中森とのつながりも」

 ふいに、慎の頭にこれまで浮かんでいたものとは全く違う人物の顔と名前が浮かんだ。同時に脳がフルスピードで回転し、記憶が次々と蘇っては結びついて一つの形をなした。

「どうした?」

 佐原が顔を覗き込んできた。何も答えず、慎は立ち上がって財布から千円札を一枚抜き取り、カウンターに置いた。そして佐原に、

「また何かわかったら報せろ」

 と告げて出入口に向かった。

 エレベーターに乗り、居酒屋の入ったビルを出た。これからやるべきことをシミュレーションしつつ、タクシーを拾える通りに向かおうとすると、声をかけられた。

「室長」

 足を止め、振り向いた先に女がいた。ヒョウ柄のベレー帽をかぶってレンズが巨大な赤いサングラスをかけ、身につけているのは前面にユニオンジャックがデカデカとプリントされたTシャツと、赤地に黒の水玉のミニスカート。くすんだピンクの膝上ソックスには、光沢の強い銀色のスニーカーを合わせている。声でみひろだとはわかったが、恰好に目を奪われて言葉が出て来ない。

 


「警視庁レッドリスト」連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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