〈第7回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」

■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」
簡単に終わるかと思われた調査の最中、
あやしい男たちと遭遇する。


 里見たちはスーパーマーケットのあとドラッグストアとクリーニング店に立ち寄り、一時間ほどで自宅に戻った。みひろたちも車に戻り、スーパーマーケットで買ったパンで遅い昼食を摂(と)った。

 行動確認を再開した翌日も里見は非番で、夕方亜子と買い物に出た以外の外出はなかった。今日も同じなら手がかりなしで行動確認は終了し、里見の戒告処分は決定的だ。陽が傾くのと同時にみひろの焦りも増し、午後六時前についに言った。

「もう一度里見から話を聞きましょう。こちらの考えを伝えれば、隠していることを打ち明けてくれるかも」

「それはどうでしょう」

 スーツの胸の前で軽く腕を組み、慎は返した。隣に向き直り、みひろはさらに言った。

「だってこのままじゃ処分されちゃうんですよ。自ら隊の仕事も、奥さんのことも本当に好きみたいなのに」

「監察係で取り調べる対象者の多くは、口を閉ざすか虚偽の証言をしようとします。その理由は二つ。一つはこちらを信用していない。もう一つは、真実を語ることで事態がさらに悪化する。借金の真相によっては、里見の処分はさらに重たくなるんですよ」

「あ、そうか」

 みひろがはっとすると慎は、「やっぱり気がついていなかったか」とでも言いたげにため息をついた。焦り慌てながらも返す言葉を探すみひろに、慎はこう続けた。

「それに里見が『隠していること』など始めから存在せず、先日の聴取の内容がすべてだったら? 行動確認だけならともかく、再聴取を行ったにもかかわらず『なにも出ませんでした』などという事態は監察係の手前回避すべき、いえ、絶対にあってはなりません」

 自分の推測をさくっと否定されたショックより、話が進むほどに慎のテンションが上がり、所信表明のようになったのに驚き、みひろは慎の顔に見入った。と、前髪を搔き上げて慎が振り向いた。

「失敬。僕は経験に基づいた事実と可能性を述べただけで──誰か来ましたね」

 メガネのレンズ越しの視線が、みひろの肩越しの窓外に動く。振り向いたみひろの視界に、里見のマンションに入って行く二人の男が映った。一人は二十代前半で、もう一人は三十代半ば。どちらもスーツにノーネクタイだ。

 みひろと慎は車を降り、周りに注意しながらマンションに近づいてガラスのドアからエントランスを窺った。男たちはオートロックのパネルの前にかがみ込み、インターフォンで住人の誰かと話している。間もなく話を終えたので訪問先に向かうのかと思いきや動かないので訝しく思っていると、エントランスの奥のドアが開いて里見が出て来た。男たちと落ち合い、三人でこちらに来るのが見えたので、みひろと慎は慌ててマンションから離れて自分たちの車の陰に隠れた。

 三人はマンションから少し離れた場所で止まり、小声で何か話しだした。里見は三時間前と同じTシャツにジーンズ姿だが笑顔はなく、背中を丸めて俯いている。ぼそぼそとしたやり取りがしばらく続いた後、急に二十代前半の男が、

「里見さん、頼みますよ。さ・と・み・さ~ん!」

 と大きな声を出した。顎を上げ、マンションの方に身を乗り出している。その前に立ちはだかり、里見が慌てた様子で「ちょっと。やめて下さい」と乞う。三十代半ばの男は「やめろ」と言うように二十代前半の男の肩を叩いたが、本気で止める気はなさそうだ。

 二人とも小柄でスーツと髪型は地味だけど、目つきが鋭い。なにより、全身から漂う「その筋」臭がすご過ぎ。みひろが思った時、通りの先から人影が近づいて来た。小柄だががっしりした体格の男、川口武一巡査部長だ。白いポロシャツにベージュのチノパンという恰好で片手にビジネスバッグ、もう片方の手に酒の量販店の名前が入ったレジ袋を提げている。レジ袋は大きく重たそうで、六缶パックのビールかチューハイが複数入っているのが透けて見えた。

「里見。どうした?」

 気づくなり問いかけ、川口は三人の元に向かった。川口の自宅は世田谷区の隣の狛江(こまえ)市なので、仕事帰りに寄ったのだろう。川口と男たちには面識があるようで、四人で話しだす。みひろは車の陰から首を突き出し耳も澄ませたが、話の内容はわからなかった。

 ほどなく、四人は会話をやめて歩きだした。マンションの前まで行くと里見と川口がエントランスに進み、男たちは通りを元来た方向に歩きだした。

「行きましょう」

 慎は告げ、車の陰から出て男たちの後を追った。みひろも通りに戻ったが里見たちが気になり、エントランスのドア越しに目をこらした。里見が手にしたカギでオートロックを解除し、川口と奥のドアに進んで行く。川口は里見の背中に手を当てて何か言い、里見はこくこくと頷いている。二つの背中が開いたドアの向こうに消えるのを見届け、みひろは身を翻して慎を追いかけた。

 7

 里見のマンションを後にした男たちは、通りの先に停めてあった黒い車に乗り込んだ。

 慎はみひろを促して通りを戻り、車に乗った。男たちの車が走りだしたのを確認し、慎も車を出した。

 五分後。車は用賀駅前の繁華街で停まった。降車した男たちは、一軒の雑居ビルに入って行く。みひろたちも通りの先に車を停め、ビルに向かった。

 エントランスに入りエレベーターが三階で止まっているのは確認したが、壁のテナントの案内板に会社名などは記されていない。慎はエレベーターを呼び、みひろと乗り込んだ。

 三階に到着し、開いたドアからエレベーターを降りた。狭く短い廊下があり、突き当たりに曇りガラスのドアがあった。近づいて見るとドアには飾り気のない金色の文字で、「株式会社フォレストファイナンス」と書かれている。廊下に人気はなく、耳を澄ませても物音は聞こえない。ドアの写真を撮ってから、みひろが囁いてきた。

「これって、マンガやドラマでお馴染みの」

「登録詐称業者。通称・ヤミ金融ですね」

 ドアの脇にベタベタと貼られたチラシに目を走らせながら、慎は言った。「即日融資」「無審査」「他店で断られた方も諦めずにご連絡下さい!」等々の文字が並び、下端に記された番号は携帯電話のものだ。チラシも撮影し、みひろはさらに囁いた。

「やっぱり。どうします? 入って話を聞きますか?」

「いえ。相手はプロです。証拠もなしに、『はい。そうです』とは言いませんよ」

「でも」

 言いかけたみひろを「続きは外で」と促し、慎は通路を戻った。

 ビルを出て、停めた車に向かった。七時近くなってようやくあたりは薄暗くなり、看板に明かりを点した飲食店の前を、仕事帰りのサラリーマンや若者が行き来している。

「里見は三十万円をあの業者から借りてて、さっきの男たちは取り立て屋ってことですよね?」

 車の前まで行くと、みひろが口を開いた。足を止め、慎は頷いた。

「ええ。先ほどのマンション前での様子からしても、間違いないでしょう」

「なんでヤミ金なんかに。警察共済組合や消費者金融は限度額いっぱいまで借りてて無理だとしても、家族がいるでしょう」

「借りられない理由があるからです。先ほど三雲さんの推測を否定するような発言をしましたが、撤回します。里見は何か隠しています。それが職場の仲間とヤミ金から借金をした理由と関係しているのは明らかです」

 きっぱりと伝え、慎は頭を回転させ始めた。と、みひろは言った。

「でも、川口さんは事情を知ってるみたいでしたよね。彼が来たら男たちは立ち去ったし……川口さんって、里見がお金を借りたメンバーに入っていましたっけ?」

「いいえ。入っていません」

「里見さんに目をかけている様子で、借金絡みの事情も知ってる。にもかかわらず、救いの手は差し伸べていない。なぜかというと、差し伸べられない理由が──ああ、もう。理由理由って何なの!?」

 混乱した様子で声を大きくし、みひろは眉を寄せた。一方慎は頭の回転速度がさらに増し、それに連れて気持ちはどんどん冷静になり、研ぎ澄まされていった。

「里見が挙式前に表彰されたのはラッキーでしたね。披露宴の新郎新婦のプロフィール紹介で、ここぞとばかりにアピールしたんだろうな」。ふいに、さっきのみひろの言葉が蘇った。続いて大きく重たそうな酒の量販店のレジ袋を提げた川口の姿が浮かび、彼が里見や男たちとぼそぼそ話す情景も再生される。そこにかつて監察係で調査したいくつかの事案の書類と証拠写真、対象者の顔が重なり、一つの結論が導きだされる。

「里見が表彰につながる検挙をした時、一緒にパトカーに乗っていた隊員は?」

 緊張と興奮を抑え、慎は問うた。「えっ!?」と面食らい、みひろは肩からバッグを下ろし、中を引っかき回した。

「確かここに、里見の過去の勤務表が。でも、なんで」

 そう言って手を止めかけたので慎は、

「口ではなく、手を動かして下さい」

 と、つい子どもにするような注意をしてしまう。が、みひろは「はい!」と姿勢を正し、手を動かしだした。そんな二人を、通行人が怪訝そうに眺めて行く。

 


「警視庁レッドリスト」連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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