〈第7回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」

■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」
簡単に終わるかと思われた調査の最中、
あやしい男たちと遭遇する。


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「なので、僕はその車を見送ろうとしました。しかし里見巡査長が『絶対に怪しい』と言うので、停車させてバンかけしたんです」

 みひろが手にしたスマホから川口の声が流れ、画面に顔が映し出された。披露宴が始まってからそう経っていないはずだが、川口は既に呂律(ろれつ)が怪しく顔も真っ赤だ。

「そのあと里見巡査長がどんな大手柄を上げて栄誉を受けたかは、みなさんもよくご存じでしょう」

 マイクに向かって語りかけ、礼服姿の川口は横を向いた。一緒に映像も動き、画面に高砂席に座る里見夫妻が映し出される。里見は金色の肩章とモールの付いた警察官の礼服「儀礼服」を身につけ、亜子は肩と腕を露出させたビスチェタイプのウェディングドレス姿だ。

 里見がかしこまって川口に一礼すると映像はさらに動き、会場にずらりと並んだ円テーブルと、そこに座る招待客を映す。目をこらし、みひろは客たちに見入った。端や後ろの円テーブルには新郎新婦の同僚や友人らしき若者がいるが、高砂の向かいに座っているのは、軒並み五十代以上のおじさんだ。

 里見と奥さんの父親つながりの警察幹部だな。ぴっちり横分けに銀縁メガネばっかりで、見分けがつかない。クローン? いや、体格は微妙に違うからマトリョーシカだ。これが警察一家の職場結婚か。

「民間企業の職場結婚でも、似たような状況になり得るでしょう」

 隣から言われ、みひろはぎょっとして映像を止めた。

「えっ。私、声に出してました?」

「ええ。しっかり」

「どこから?」

「『ぴっちり横分け』あたりから」

 フロントガラス越しに前方を見ている慎にクールに答えられ、みひろの胸に恥ずかしさと気まずさが押し寄せる。

「すみません。映像を確認してたら、つい。でもプロフィール紹介だけじゃなく、里見の上司や同僚も表彰の件をアピールしまくってますね」

 慌てて捲し立てたが慎は呆れているのか、

「ええ」

 とだけ返し、口をつぐんだ。

 取り立て屋の男たちを追い、ヤミ金のビルに行って三日。あのあとみひろが勤務表を確認し、「里見が表彰された時、一緒にパトカーに乗っていたのは川口」と伝えると慎は意味深に頷き、「本庁に戻ります」と告げて歩きだした。その後、何度事情説明を求めても返ってくる答えは「僕は予想や憶測でものを言わない主義」だけだったが、今朝になって慎は「出動です」とみひろに告げ、二人で用賀分駐所に来た。

 終日パトロールに出た川口を見張り、用賀分駐所に戻ったのが午後四時過ぎ。それから分駐所の隊員たちも使う用賀署の通用門前で張り込みを始めたところ、さっき慎は急に「適当な口実で撮影した同僚から入手しました」と里見の結婚式のビデオ映像をみひろのスマホに送って来た。すぐに確認したのはいいが、今つい口に出してしまった感想以外は浮かばず、慎の思惑はさっぱりわからない。

「張り込みの目的を教えて下さい。それは状況説明で、予想や憶測じゃないでしょう?」

 スマホをジャケットのポケットにしまい、みひろは問うた。慎は「確かに」と頷き、こう答えた。

「証拠を摑むためです」

「川口が何かするってことですか?」

「はい。今日は給料日ですから」

「給料日? それがどう」

 言いかけてこれ以上訊いてもムダだと気づき、みひろは息をついた。

 半端に情報を得たせいで、もやもやが増しちゃった。訊かなきゃよかったな。口に出さないように注意しながら心の中でぼやいた時、慎が、

「来ました」

 と言って身を乗り出した。見ると、用賀署の通用門から川口が出て来るところだった。白いワイシャツにネイビーブルーのスラックス姿の川口はビジネスバッグを提げ、一人で通りを歩きだす。慎は素早く車を降り、みひろもバッグにファイルを突っ込んで後に続いた。そのまま尾行を開始する。

 川口に周りを気にする様子はなく、落ち着いた足取りで通りを進んだ。用賀駅から自宅に向かうのかと思いきや、駅を通り越して銀行のATMコーナーに入った。

「さっきの『給料日ですから』って、このことですか?」

 銀行の向かいの不動産店に立てられた幟で顔と上半身を隠し、みひろは訊いた。隣で同じように幟で顔と上半身を隠して慎が答える。

「そうとも言えるし、そうでないとも言えます」

「つまり、答える気はないんですね」

 イラッとして慎を睨もうとすると銀行のドアが開き、川口が出て来た。と、みひろたちの前を人影が横切り、川口に歩み寄った。スーツ姿の男が二人、フォレストファイナンスの取り立て屋だ。驚く間もなく隣から、

「動画を撮影して下さい」

 と潜めた声で指示され、みひろは急いでスマホを出してカメラを起動させた。幟の脇からスマホを突き出して向かいの三人にレンズを向け、録画ボタンをタップする。画面の中で取り立て屋の男たちは川口を囲むようにして立ち、何か言った。表情を険しくした川口だったが、短く返事をして通りの先に向かった。男たちが付いて行き、みひろと慎も後を追う。

 川口と男たちは、銀行の脇の小径(こみち)に入り足を止めた。みひろは一旦小径の前を通り過ぎてから傍らの洋食店の前にあったスタンド看板を抱え上げ、小径の入口に置いた。そしてうずくまって看板の陰に隠れ、脇から顔とスマホを持った手を突き出した。

「何するんですか」

 後ろから洋食店の店員らしい女性と、それに応対する慎の声が聞こえた。

 小径では川口と男たちが、こちらに横顔を向けて立っている。三人で短くやり取りした後、川口はスラックスのポケットから何かを出して三十代半ばの方の男に差し出した。緊張と同時に強い興奮を覚え、みひろはカメラのズーム機能を使って川口の手元をアップにした。

 川口が差し出したのは、二つ折りにした銀行の封筒。三十代半ばの方の男はわざとらしく頭を下げてそれを受け取り、中を確認した。一万円札が三、四枚はある。男はそのまま封筒をジャケットのポケットに入れ、三人がこちらに歩きだした。みひろは急いでスマホをしまって看板を抱え、洋食店の前に戻った。通りに背中を向けて看板を地面に下ろし、「もうちょっとこっちかな」と呟きながら位置を直すふりをする。慎も通りに背中を向け、店員の女性と話し続けているようだ。みひろと慎の後ろを川口が通り過ぎ、男たちは通りを反対側に歩いて行く。

「行きましょう」

 息をつく間もなく慎の次の指示が飛び、みひろは看板を下ろして振り向いた。が、慎は川口ではなく男たちに付いて行く。

「あれ。そっち?」

 戸惑いながらも店員の女性に「すみませんでした」と謝り、慎を追った。

 三十メートルほど進んだところで、慎は男たちに追いついて声をかけた。

「失礼。こういう者です」

 そう告げて警察手帳を差し出す。たちまち二十代前半の方の男が眉をつり上げて何か言おうとしたが、三十代半ばの方の男は仕草でそれを制した。

 慎は男たちを道の端に誘導し、みひろも続いた。四人で向き合うと慎は言った。

「フォレストファイナンスの方ですね? 今あちらの小径で川口武一から受け取った金について、質問があります」

 首を傾げ、三十代半ばの方の男が答える。

「さあ。知らねえなあ」

「川口? 誰だ、それ」

 二十代前半の方の男も加わり、とぼける。予想していたリアクションらしく、慎は、

「そうですか。では、証拠を」

 と続けてみひろを振り返った。意味がわからずぽかんとすると、「動画のことです」と冷ややかに指摘されたので、みひろは急いでスマホを出して動画を再生し、男たちに見せた。数分前の自分たちと川口の姿を見せられ、二十代前半の方の男は表情を強ばらせたが、三十代半ばの方の男にはまだ余裕がある。

「何を訊かれても答えねえよ。貸金業には、守秘義務ってもんがあるんだ」

 肩をすくめて見せた三十代半ばの方に、慎はこう返した。

「貸金業を名乗るには都道府県知事または内閣総理大臣の登録が必要と、貸金業法第三条で定められています。しかし登録貸金業者のリストには、フォレストファイナンスの名前はありません。つまり無登録営業となり、貸金業法違反で十年以下の懲役、または三千万円以下、法人の場合は一億円以下の罰金に処されます。加えて、取り立て行為に関しても貸金業法の規制が……まだ続けますか?」

 舌打ちして、三十代半ばの方の男は顔を背けた。二十代前半の方の男は呆気に取られ、慎を見返している。その反応にみひろは慎を頼もしく感じる反面、「ちょっとウザい」とも思った。

 メガネにかかった前髪を払い、慎は改めて男たちに向き直った。

「とはいえ、我々の目的は無登録営業の摘発ではありません。質問に答え、今後一切フォレストファイナンスに関わらないと誓約するなら、考慮の余地はあります」

 え、なに。裏取引ってやつ? 本当にやるんだ。ていうか、私たちにそんな権限あるの? 緊張と興奮に焦りも加わり、みひろは慎と三十代半ばの方の男を交互に見た。つられて、二十代前半の方の男も視線を動かす。

 しばらく沈黙があって、三十代の男は息をついた。

「わかったよ。何を知りたい?」

 無言で頷いた慎だが、俯いてメガネのブリッジを押し上げる一瞬、冷たく勝ち誇ったような笑みを浮かべたのを、みひろは見逃さなかった。

(つづく)

 


「警視庁レッドリスト」連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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