〈第9回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト」

■連載小説■ 加藤実秋「警視庁レッドリスト」〈第9回〉
慎とみひろは、新たな調査事案のため
奥多摩に向かった。


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 大学病院に着いたのは、午後二時前だった。奥多摩署のワンボックスカーは病棟の裏口に近い搬入業者用の駐車場に停まっていた。ガードマンに警察手帳を見せ、慎は距離を取ってワンボックスカーと裏口を見渡せる位置に車を停めた。

「柿沼さんはあと何年かで定年なんですね。高卒で入庁して、ずっと刑事畑……この杉並(すぎなみ)区のOL殺人事件、覚えてます。柿沼さんが解決したんだ。こっちの文京(ぶんきょう)区のコンビニの連続強盗事件も。優秀な捜査員だったんですねえ」

 助手席で広げたファイルに目を落とし、みひろが言った。運転席からフロントガラス越しに外を眺め、慎は返した。

「五十七歳、階級は警部補。独身で離婚歴はなし。四十代の前半には捜査一課への栄転の話も出たそうですが、子宮がんを患って休職しています。復職後は生活安全課と警務課で、防犯活動や犯罪被害者の心のケアなどに当たってきました。奥多摩署は三年目で、捜査と名の付く部署に配属されたのは、これまでの功績への配慮でしょう」

「ぶっきらぼうだけどタフな女刑事って感じで、悪い印象はないですけどね。本当に、みのりの道教団の信者なのかなあ。そもそも、なんで宗教が非違事案の調査対象になるんですか? 日本国憲法の第二十条に、『信教の自由は、何人に対してもこれを保障する』って書いてありますけど」

 満を持してといった感じで、みひろが質問を投げかけてきた。また勉強したんだな。そう認めながらも面倒臭さを覚え、慎は答えた。

「はい。しかし同じ日本国憲法の第八十九条には、『公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない』とも記されています。我々公務員の給与は税金によって賄われており、『公金その他の公の財産』と位置づけられます。従って、公務員が職務時間内に個人的な思想や信仰を宣揚(せんよう)、流布する行為は、『公金その他の公の財産』を『宗教上の組織若しくは団体』に供したと判断されるのです」

「じゃあ、職務時間外にやる分にはOKってことですよね? あと私の実家は真言宗で、前の部署にはミッション系の学校出身で洗礼を受けてる同僚がいましたけど、私たちも調査対象? 赤文字リスト入り?」

「一つ目の質問の答えはイエス。二つ目と三つ目はノーです。宗教活動が常識の範囲内で、公務の信用を失墜させるような行いがなければ調査対象にはならず、赤文字リスト入りもしません」

 慎はさらに続けた。

「『常識の範囲内ってなに?』ですか? みのりの道教団の資料を読んだでしょう。答えはそこにあります。いかがです?」

 首を傾げ、少し考えてからみひろは答えた。

「……微妙」

「そう、微妙。だから調査を行うのです」

 自信と確証を持って慎は返したが、みひろは不服そうだ。

「上手く丸め込まれた気がするなあ。それに何かに依存したり洗脳されてる人って思い込みが激しくてアンバランスな感じがするけど、柿沼さんはそんなじゃなかったですよ」

「同前。だから調査を行うのです。あとは──いえ、何でもありません」

 言いかけてやめた慎をみひろは怪訝そうに見たが、すぐにファイルに向き直った。

 あとは、柿沼の俺に対する態度だ。心の中でそう続け、慎は胸の前で腕を組んだ。外見からこちらの経歴を推測するのは難しくなく、それを快く思わず、遺体を見せて嫌がらせをしたという可能性はある。しかし先ほどの、「警察学校の法医学の教科書通りだね」という言葉を含め、嫌がらせとはまた違う意図を感じる。

 その後、数時間経っても柿沼は病棟から出て来なかった。遺体の状態や立ち会った捜査員の指示で解剖は長引くと知っている慎は、冷静に見張りを続けた。しかしみひろは、「ちょっとトイレに」や「別の出入口を見回って来ます」と言っては車を降り、明らかに長すぎる時間を経て戻って来るのを繰り返し、慎を呆れさせた。そうこうしているうちに周囲は暗くなり、敷地内にある複数の病棟の窓に明かりが点った。

 裏口から活動服を着たずんぐりした体が出て来たのは、午後六時過ぎだった。駐車場に入るのかと思いきや、柿沼は病棟に沿って延びる通路を歩きだした。肩には、さっきと同じバッグをかけている。

「行きましょう」

 慎が促すと、みひろは頰張っていた夕食のメロンパンをむせながら飲み込み、バッグを抱えた。二人で車を降り、通路に向かう。

 通路には他に人気(ひとけ)がないので間隔を空け、足音も忍ばせて慎たちは柿沼を追った。柿沼は片手でバッグの持ち手を摑み、すたすたと進んで行く。間もなく、柿沼は角を曲がって隣の病棟との間の通路に入った。人通りが増え、明るく賑やかになる。気づかれる可能性が低くなったので、慎は柿沼との距離を縮めた。

 ふいに足を止め、柿沼が振り返った。とっさに慎は立ち止まり、みひろも倣う。

「それで、私は赤文字リスト入りなの?」

 抑揚はないがよく通る声で、柿沼は問うた。通路の脇に立つ外灯が、こちらを無表情に見る小さな目を照らしだした。

(つづく)

 


「警視庁レッドリスト」連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
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