〈第2回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト2」

警視庁レッドリスト2

今度の調査事案は、職場内いじめ。
二人は吉祥寺署に向かった。

CASE1 シークレット・ガーデン :  男社会の女の園(2)


 

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 吉祥寺署は、吉祥寺の街の賑やかさから少し離れた五日市街道沿いにあった。五階建ての古く大きなビルで、約三百名が勤務している。一階の駐車場にセダンを停め、みひろは慎と署内に入った。

 受付で慎が名乗ると、一階の奥の署長室に通された。署長と会計課長に挨拶を済ませたところに用度係長の前田が来たので、彼の案内で二階に向かった。

「いや、驚きました。職場環境改善推進室の話は聞いていましたし、うちもいつかは聞き取り調査をされるんだろうなと思っていましたが」

 職員が行き交う廊下を進みながら前田は言い、ハンカチを鼻の下に当てた。歳は三十三歳で、職名は副主査。痩せ型で顔も細いが、目は厚ぼったい一重まぶただ。

「事前に通達する場合もありますが、抜き打ちの方がリアルな調査結果が得られるので。これも、よりよい職場の環境づくりのためです」

 隣を歩く慎が、無表情に応える。前田は慌てた様子で「もちろん。おっしゃる通りです」と返し、ハンカチをスーツのジャケットのポケットに戻した。前田と目が合ったので、慎の隣を歩くみひろは極力柔らかな笑顔で頷いて見せた。

 本庁人事第一課監察係からの出頭要請は、対象となった職員が不祥事を起こしたことを意味する。その場合、該当職員だけではなく上司や人事担当の警務課長、場合によっては署長も管理監督責任を問われる。ゆえに同じ人事第一課というだけで、みひろたちの訪問を恐れたり、取り乱したりする職員も多い。

 前田は廊下の途中で足を止め、「昼休みが終わったところなので、みんな在席しています」と告げて傍らのドアを開けた。前田、慎に続いて室内に入り、みひろは目を見張った。

 壁際に棚とデジタル複合機が置かれ、中央にスチール製の事務机が向かい合って並んでいるのは普通だ。しかしその机に着いている四人の用度係は、全員女性。職員の男女比が九対一の警視庁では、とても珍しい。しかし慎は、平然と前田の後から室内を進んだ。みひろも肩にかけたバッグの持ち手を掴み、係員たちに会釈しながら机の列の後ろを進む。係員たちはノートパソコンを弄ったり、書類を読んだりしながら会釈を返してきた。

「ちょっといいかな」

 奥の窓際に置かれた自分の机の前に立ち、前田は向かいに語りかけた。係員たちが顔を上げて振り向く。

「こちらがさっき話した、本庁の職場環境改善推進室の阿久津警部と三雲巡査長です。今日からしばらくうちを調査するそうなので、協力をお願いします」

 身振り手振りを交え、前田は説明した。上げられた口角と必要以上に丁寧な口調に、女の中に男が一人という立場の苦労が現れている。

「はい」と返しながら、係員たちがこちらを見た。全員白いワイシャツと濃紺のベスト、膝丈のスカートという制服姿だ。その視線の多くが慎、自分、再び慎と動き、彼の白く整った顔に固定されたのをみひろは感じた。

 それから、二階の会議室を借りて聞き取り調査を始めた。最初に部屋に入って来たのは、小柄でややぽっちゃりしたショートカットの女性。

「よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げ、女性はみひろと慎が着いた長机の向かいに座った。舌足らずで、やや籠もり気味の高い声が印象的だ。

「笹尾百香さん。四年前に警視庁に入庁し、卒業配置で吉祥寺署へ。警務係を経て現職。二十七歳で主任ですか。優秀ですね」

 身上調査票が収められたファイルに目を向け、慎は言った。主任は係長に次ぐポストで、警察組織の中では初級幹部に位置づけられる。口調が大袈裟なのは、同じ二十七歳ながら「キャリアアップとか興味ない」と発言したみひろへの当てつけか。みひろが横目で慎を睨むと、笹尾は言った。

「去年合格したばかりで、何もできていなくて。でも嬉しいです。ありがとうございます」

 さらに高くなった声といい、重ねた両手を片頬に添える「お願いポーズ」といい、アニメのキャラクターチックだが、本当に嬉しそうだし優秀なのだろう。

 みひろも身上調査票のファイルを手にしているが、笹尾は合格率三十パーセントと言われる主任の昇任試験に一発で合格し、パソコン操作や文書管理などの資格も有している。身上調査票には他にも賞罰歴や借金の有無、飲酒喫煙の傾向、SNSの利用状況なども記されているが、全て問題なし。ちなみに独身で、交際相手も「無」となっている。

 でも、肩書き=職務への熱意じゃないし。心の中で異議を唱え、みひろも口を開いた。

「主な職務は、消耗品の管理ですか?」

「ええ。文房具や雑貨はもちろん、制服や様式文書、移動式の標識なども管理しています。週に一度各部署から必要物品の依頼書が上がって来るので、倉庫にあるものは届けて、ないものは業者に発注します。取引業者は本庁の用度課が入札で決めますが、打ち合わせや検品は私たちがやります。他にも、高額な物品を購入する時の稟議書を作成したり」

 笹尾は淀みなくはきはきと返し、慎はそれを机上のノートパソコンに入力した。ふんふんと頷き、みひろはさらに訊ねた。

「じゃあ、拳銃や手錠も? 責任重大ですね」

「警察手帳もそうです。気は遣いますけど、その分やり甲斐も感じます。拳銃はともかく、手錠と警察手帳なしじゃ、警察官は仕事になりませんから」

 最後のワンフレーズを大真面目に言った笹尾がちょっとおかしく、みひろが「確かに」と笑うと笹尾も表情を緩めた。すべすべとした白い頬に浮かんだえくぼが、愛らしい。

 場が和んだと判断したのか、慎は手を止めて本題を切り出した。

「吉祥寺署会計課用度係は、全員が警察行政職員。それは珍しくありませんが、前田係長を除く全員が女性というのは珍しいですね。私は職務で様々な部署を廻っていますが、初めてのケースです。前田係長の気苦労はおいておくとして、笹尾さんはいかがですか?」

 前田係長の気苦労云々が面白かったのか笹尾はくすりと笑い、真顔に戻って答えた。「私、中学から大学まで女子校だったので、女ばっかりの環境には慣れているんです」

「そうですか。でも笹尾さん以外は全員主事、つまり部下ですよね。それは学校にはないシチュエーションでしょう? 気を遣うし、トラブルも起きやすいと思います。もし何かあれば、些細なことでもいいので話して下さい」

 みひろも本題を切り出す。他の女性係員三名のうち一名は笹尾の同期だが、残りの二名は年上だ。内通者は笹尾で、いじめに遭っているのかもしれない。慎も同じことを考えていたらしく、「秘密は厳守しつつ、速やかに対処します」と補足した。しかし笹尾の答えは、「いえ。何もないです」だった。その口調に迷いはなく、丸い目はまっすぐにみひろを見ている。そして、

「主任として用度係に配属された時に、『何かあったらその場で言い合いませんか?』って提案したんです。みんな賛成してくれて、実行しています。職場では言いにくいことは、食事会や飲み会をやって話したり。すごくいい雰囲気で職務に取り組めていて、よく『部活みたいだね』って話すんです。キャプテンが私で、部長は川浪さん」

 と続け、にっこり笑った。

 ウソは言っていない気がする。「何かあったらその場で〜」を命令ではなく提案という形で部下に告げたのは巧いし、部活のたとえにも、リアリティが感じられた。川浪とは、前田を含め、用度係最年長の係員だ。

 みひろは「わかりました」と返し、慎は勢いよくノートパソコンのキーボードを叩きだした。

 その後いくつか質問して、笹尾への聞き取り調査を終えた。入れ替わりで会議室に入って来たのは川浪樹里、三十七歳だ。

「失礼します」

 川浪は背筋を伸ばして一礼し、慎が「どうぞ」と勧めるのを待って椅子に座った。痩せて背が高く、長い髪を後ろで一つに束ねている。

「入庁後三つの所轄署で会計職務に携わり、吉祥寺署の前は本庁の用度課に在籍。川浪さんは事務職のオーソリティーですね。実に頼もしい」

 


「警視庁レッドリスト」シリーズ連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
著者の窓 第6回 ◈ レ・ロマネスク TOBI 『七面鳥 山、父、子、山』
◎編集者コラム◎ 『まぎわのごはん』藤ノ木 優