〈第2回〉加藤実秋「警視庁レッドリスト2」

警視庁レッドリスト2

今度の調査事案は、職場内いじめ。
二人は吉祥寺署に向かった。

 ファイルを手に、慎は語りかけた。なるほど、オーソリティーか。ベテランだと年齢を感じさせるし、巧い表現だな。感心し、みひろも向かいを見た。

「いえ、そんな」

 川浪は返し、俯いて細く長い首を横に振った。面長で、くっきりした鼻の下の筋が目立つが、目は大きく切れ長。マスクをしたらすごい美人に見えそうだ。

「こちらへは、ご自身の希望で異動されていますね。本庁でキャリアを積む道もあったと思いますが、なぜ?」

 慎はさらに問い、川浪は答えた。

「父が入院したからです。私の実家は小金井市で小さな電機部品工場を経営していて、今は母が切り盛りしていますが、『手伝って欲しい』と言われました。吉祥寺なら家の仕事をしながら通えるし、希望を聞いてもらって助かりました」

「そうでしたか。大変ですね」

 口だけで微笑み、慎は返した。ファイルを置いてノートパソコンのキーボードを叩き始めたが、いま川浪が話したことは身上調査票にも記されている。笹尾同様、川浪の身上調査票も問題なし。警察職員のための共済組合から二十万円ほど借り入れているが、父親の手術用の一時的なものらしい。独身で、交際相手が「無」なのも笹尾と同じだ。しかし川浪は真面目で丁寧に職務をこなしているもののとくに優秀という訳ではなく、警察学校での成績も平凡だった。

 アラフォー独身のいわゆる「お局」で、せっかく本庁に抜擢されたのに家の事情で所轄署に逆戻りし、上司は二人とも年下。それが原因でいじめに走ったとも考えられる。加えて、川浪の口調と仕草は硬く、一度もみひろたちと目を合わせようとしない。

 どう斬り込んで行こうか。頭を巡らせつつ、みひろがキーボードの上でリズミカルに動く慎の白く長い指を眺めていると、

「あの。職場環境の調査って、悩みも聞いてもらえるんですか?」

 と向かいで声がした。顔を前に戻したみひろの目と、川浪の目が合う。慎が手を止め、みひろは大きく頷いた。

「もちろんです」

 川浪は「よかった」と呟くように言い、息をついた。制服の肩に入っていた力が抜け、体が少し小さくなったように感じられる。と、川浪は再び顔を上げてみひろを見た。

「私はいま、いじめに遭っています。職場改善ホットラインにも電話しました」

 

 5

 川浪の訴えを確認し、すぐに用度係の係員を会議室に集めた。前田も「同席したい」と言ったが、「後で報告します」と話して遠慮してもらった。

「さて」

 慎は言い、机上に両肘をついて両手を組んで向かいを見た。長机の中央に笹尾、両隣に笹尾と同期の森亜美と二十九歳の谷口明日香、椅子を一つ空けて川浪が座っている。

「よりよい職場の環境づくりのための聞き取り調査を行う過程で、看過できない情報を得ました。情報が事実か否か確認するために、みなさんに集まっていただきました」

「情報って何ですか?」

 不安と理不尽さが入り交じったような様子で、笹尾が問うた。その横顔を、ロングヘアで前髪を額に斜めに下ろした森が怪訝そうに見て、谷口は結婚指輪をはめた手でセミロングのワンレングスヘアを掻き上げ、胡散臭げに慎とみひろを見た。川浪は緊張した様子で俯いている。

「吉祥寺署会計課用度係でいじめが行われており、自分が被害者だというものです」

「えっ⁉」

「何それ」

 笹尾と森が声を上げ、谷口は表情を変えずに、

「被害者って誰ですか? 私はまだ聞き取り調査を受けていませんけど」

 と訊ねた。「私もまだです」と森が告げ、笹尾は、

「私は受けたけど、そんなこと言ってない」

 と申告する。たちまち、三人の視線が川浪に向いた。川浪は身を縮め、みひろは口を開いた。

「先ほど川浪さんから、いじめ被害の申し出がありました。私と阿久津は個別の事実確認を提案しましたが、川浪さんは『四人とも集めて下さい。いずれ話し合うことになるし、阿久津さんたちに立ち会って欲しい』とおっしゃったので、全員に来ていただいたんです」

「いじめなんて、そんな。昨夜だって、みんなで食事に行ったばっかりなのに」

 森が不服そうに言い、谷口も頷く。すると、笹尾が慎に訊ねた。

「川浪さんは、私たちからどんないじめを受けていると話したんですか?」

「川浪さんがオフィスやトイレに入ると、急に話をやめて目配せし合って笑う。グループLINEを既読スルーされる。さらに、署内各部署から依頼された必要物品の数の変更や、業者との打ち合わせの予定を一人だけ教えてもらえない」

 冷静かつ淡々と、慎は答えた。「なにそれ。ひどい」と森が独り言めかして抗議し、谷口は眉をひそめて頷いた。笹尾も言う。

「話をやめたのは、川浪さんが嫌がるからです。いま私たちの間で、ゾンビが出て来る海外ドラマがブームなんですけど、川浪さんに『ホラーやスプラッターは大嫌い』って言われたから。既読スルーは頻繁にやり取りしてるとついって感じで、みんな経験あると思います。変更や予定を知らされてないっていうのだって、川浪さんが家のことで大変だってわかってるからです……最近、遅刻や早退が多いでしょう? 正直、怖くて仕事を任せられないって言うか、アテにできません。だから必要な作業は私たちでやって、敢えて変更や予定を知らせなくてもいいようにしていたんですよ」

 前半は慎に返し、後半は川浪に語りかける。口調はきつめだが、眼差しは落ち着いている。顔を上げ、川浪も笹尾を見た。

「なるほど。川浪さん、言いたいことがあればどうぞ」

 慎が促す。その手は笹尾が話しだした時から、猛スピードでノートパソコンのキーボードを叩いている。気持ちを鎮めるように両手でハンカチを握り、川浪は口を開いた。

「遅刻や早退が多いのは本当で申し訳ないし、みんな怒っているだろうなとは思っていました……でも、本当にそれだけ? 他に何かあるんじゃない?」

 こちらも前半は慎に告げ、後半は笹尾、森と谷口にも問いかける。三名は顔を見合わせ、笹尾が困惑したように何か返しかけた時、「強いて言うなら、眉毛とか?」と、森が首を傾げた。「うん」と谷口が答え、笹尾も納得したように頷く。

「眉毛?」

 手を止め、慎が問う。みひろも訳がわからず川浪を見たが、きょとんとしている。

「川浪さんってどんなに遅刻して来ても、眉毛だけはきっちり、すごく綺麗に描いてるじゃないですか」

 笹尾の言葉を受け、慎を含めたみんなが改めて川浪を見た。確かにその眉は、太さと長さ、アイブロウの色や濃さのバランスが絶妙。しかも、左右対称に描かれている。

「確かに」と呟いてしまったみひろだが、一方で「取りあえず塗った」という感じのマスカラとファンデーション、ピンクベージュのグロスとのギャップに違和感を覚えた。慎は無言無表情で、それを批判と感じたのか、笹尾はこちらを見て早口で続けた。

「もちろん、どうでもいいし、すごく下らないことだってわかっています。でもいつもだし、みんな苦労して川浪さんのフォローをしてるから、『本当に申し訳ないって思ってる?』とか、『眉毛を描いてるヒマがあるなら仕事してよ』みたいな話になって。最近では、遅刻されることより『今日も眉毛が完璧』って方にイラッと来るようになっちゃって」

 だんだん情けなくなってきたのか、口調がトーンダウンしていく。そして話を終えると、笹尾は眉根を寄せて立ち上がり、川浪に「すみません」と頭を下げた。と、川浪も慌てて席を立ち、「ううん。私こそ、みんなの気遣いを誤解してた。ごめんなさい」と頭を下げた。それから「でも」と続け、手のひらで自分の眉毛を押さえ、恥ずかしそうに言った。

「この眉毛、描いてるんじゃないの。アートメイク。何年か前にやったのよ」

「ああ!」

 と笹尾、森、谷口、ついでにみひろも声を上げ、一斉に首を大きく縦に振った。

「アートメイク?」

 隣で慎が怪訝そうに呟いたが無視し、みひろは向かいの四人に見入った。すると、

「納得」

「そうだったんですか」

「じゃあ、いつも綺麗で当然ですね。誤解してたのは、私たちの方じゃないですか。本当にすみません」

 と森、谷口、笹尾が立ち上がって川浪に歩み寄った。川浪は眉毛を押さえたまま「ううん」「違う。遅刻する方が悪いの」と恥ずかしそうに応えている。森が「でも本当に綺麗。ちょっと見せて下さいよ」と川浪の眉毛を覗き込んだところでみんなが噴き出し、いつの間にか会議室には和やかな空気が流れていた。

 ほっとして、みひろは隣を振り返った。慎は片手を顎に当てて首を傾げたまま、向かいの四人を見ていた。

 


「警視庁レッドリスト」シリーズ連載アーカイヴ

 

加藤実秋(かとう・みあき)
1966年東京都生まれ。2003年「インディゴの夜」で第10回創元推理短編賞を受賞し、デビュー。『インディゴの夜』はシリーズ化、ドラマ化され、ベストセラーとなる。ほかにも、『モップガール』シリーズ、『アー・ユー・テディ?』シリーズ、『メゾン・ド・ポリス』シリーズなどドラマ化作多数。近著に、『渋谷スクランブルデイズ インディゴ・イヴ』、『メゾン・ド・ポリス5 退職刑事と迷宮入り事件』がある。
著者の窓 第6回 ◈ レ・ロマネスク TOBI 『七面鳥 山、父、子、山』
鳥居徳敏『ガウディ』/圧倒的魅力に満ちた独創的な建築様式