師いわく 〜不惑・一之輔の「話だけは聴きます」<第52回> 『職場の新人に気遣われすぎています』

本日は、テレビの収録後の一之輔師匠と、神保町の老舗中華料理店で待ち合わせ。私キッチンミノルは、北海道で漁師さんの取材から帰ってきたその足でお店に向かった。早めに着いた私は気を遣って先に注文をしておいたのだが……

 

店員:鶏肉とカシューナッツの炒めものです。

一之輔師匠(以後、師):……

店員:このあと、皮付き豚バラ肉の角煮が、まもなくまいります。

師:角煮!?

キッチンミノル(以後、キ):皮付きです!

師:……おい!

キ:はい?

師:さっきから注文に、まったくセンスが見当たらないんだけど?

キ:センス?

師:前菜はいいよ、前菜は。

キ:はい……前菜はお店の方が、適当に見繕って出しますねって。

師:そのあとにいきなり海老マヨはないだろ!

キ:……

師:そのあと、なにがきた?

キ:……酢豚です。

師:そのあとは?

キ:青椒牛肉絲(チンジャオニュウロウスー)。鶏肉とカシューナッツの炒めもの。そして最後に…

師:角煮だろ。

キ:皮付きです。

師:もういいよ!

キ:一応、まんべんなく注文したほうが良いだろうなと…

師:あのね。“まんべんなく”っていうのは鶏肉・豚肉・牛肉の料理をひととおり頼むってことじゃないからね。野菜系はないのかよ? さっぱりした「季節野菜の塩炒め」みたいなのは。

キ:ありません。

師:じゃあ点心は? 餃子とか春巻みたいなのは頼んでないの?

キ:すみません。北海道の漁業についての取材で魚ばかり食べてきた反動で、つい肉を……

師:口の中がしょっぱいよ! ……センスレス、キッチンはセンスレス!

キ:そういえばお店の人に、「バランスよく海鮮類もいかがですか?」と勧められました。

師:それで注文したのが、よりによって海老マヨかよッ!?

キ:すみませんっ! ……じゃ…あ、野菜を注文しましょうか?

師:もういいよ。腹いっぱいだよ。テーブルの上を見てごらん、この茶色の世界を。

キ:…………

 
師いわく52回で使用

▲「…………」。困惑を隠せない我らが師。角煮の付け合わせの青菜だけが緑色に輝いています。

 

師に問う:
私の悩みは、職場の新人ちゃんにとても気を遣われていることです。
私は44歳(女)、新人は20歳(女)、さらにボス65歳(男)…という、小さなアトリエ系の事務所です。新人ちゃんの気遣いとは……。
私の後ろを歩くときにソローリソローリ歩く。(コピーするときもソローリソローリ!) お茶や茶菓子はセルフなのに、毎回いちいち持ってくる。出先では私の後ろを歩く…などなど。
その都度、「そこまでしなくても」と言ったり、「私の考える気の遣い方」を話したりするのですが、それでも「いえいえ、私なんか…」ってさらに下へ。私は「気を遣わない、気の遣い方」っちゅーのがあると思うし、そのほうが心地良いのですが、新人ちゃんの気遣いは、「下に下にへりくだる」ばかりで息苦しいのです。
仕事や社会に慣れたら馴染んでいきますかねぇ? これまでも歳下の子たちがいたけど、こんなに息苦しいのは初めてです。
(ユーカリ/女性/44歳/沖縄県)

 
 

師:いるよね、こういうヒト。

キ:いますよね。気遣いをしているつもりなんだろうけど、そういうことじゃないんだよねっていう…

師:お前だよ!

キ:すみません。

師:でも、気を遣いすぎているのは新人なんでしょ? 今年入社したばっかりってこと?

キ:そこまではわからないですが……たぶん。

師:もし入ったばっかりだとしたら、それくらいの気遣いがあってもいいんじゃないの? いままでの悩み相談は、どっちかというと後輩の態度がでかいとか仕事をしないとかそういうのが多かったじゃない。

キ:はい。

師:そういうのから比べたら、はるかにいいよ。ここから徐々に互いの距離を縮めていくわけなんだから。

キ:そうですね。

師:これで新人が、入社6年目とかなら困るけど…

キ:ああ、下が入ってこないから中堅どころなのに「新人」と呼ばれ続けているだけみたいな…でも新人さんは20歳ですから、入社6年目ってことはないと思います。

師:それなら、逆にこれくらい気を遣っているほうがいい。

キ:そうですか? まぁ噺家さんは、気を遣われるのに慣れてますからね。

師:う〜ん、それはそうかもな。

キ:私みたいに気を遣われることに慣れていない人間には、「そんなに細かく気遣われたら、かえってやりにくいよ!」って思うことはあります。

師:でも向こうは20歳の新人だよ。そいつが相手の気持ちを想像するのにも限度があるでしょ?

キ:そう言われればそうですね。気を遣うっていうのは相手の状況を想像するってことだから、いろいろ経験していないと、なかなか難しいかもしれません。私なんていまだにできない。

師:だからユーカリがいくら言っても、その内容が新人の想像力の限界を超えちゃってんの。

キ:なるほど。新人さんには、ユーカリさんが言っていることがまだ理解できないんだ。……それじゃ、今みたいに、説明したり注意したりする必要はない?

師:ないね。それはかわいそうだよ。すごくいい子だよ、この新人は。

キ:先輩をなめてかかってくる新人なんかと比べたら雲泥の差ですもんね。だからこそなんですが、ひとつ心配がありまして……

師:なに?

キ:この新人さんが毎日気を遣いすぎて、自分で勝手に息苦しくなって、この事務所を辞めてしまわないかということです。

師:そうなんだよ。そこなんだよ。取り返しのつかないことになる前にさ…

キ:はい。

師:ここはひとつ、ユーカリのほうからアクションしてあげるのがいいと思う。

キ:先輩の側から後輩の目線に下りていって…

師:おうよ。言葉で言っても伝わらないんだったら、態度で示せばいい。

キ:…と言いますと?

師:この新人がするように、ユーカリもソローリソローリ歩いてみたり、外出するとき新人の背後のポジションを先に奪ったりすればいいんだよ。

キ:いやいや、当てつけにしか取られないと思うんですけど……?

師:もし新人がすごく嫌な顔をしたらさ…

キ:きっと、するでしょうね。

師:「新人ちゃん、こんなことされるのはイヤ?」
「……はい」
「そう…………私もよ」

キ:怖いですって! 恨み節満載みたいなその言い方!! そんなことしたら気遣い戦争勃発ですよ。新人さん、次の日から職場に来なくなりますって。

師:効果は絶大だろ!?

キ:絶大すぎて、新人さんには刺激が強すぎます。

師:そうかぁ。……他には、この先輩に気を遣うのがばかばかしいと思わせるのも手だよね。

キ:例えば?

師:朝からずーっと、鼻水をたらしているとかね。

キ:いやいや、そんなことしたら先輩としての立場が…

師:先輩の立場かぁ……そんなの必要?

キ:え〜と、まあ一応…バカにされない程度には……

師:この新人もさ、気を遣うことで先輩に近づこうとしているんだけど、過剰な気遣いっていう壁を同時につくってしまっているから、心と心が全然近づいてないんだよね。ユーカリもその壁のせいで、なかなか新人のそばまで行けなくなっているわけよ。

キ:歯がゆいですね。

師:悪循環。

キ:どうしたらいいでしょうか?

師:「同じ釜の飯を食う」じゃないけど、互いに仕事抜きにした時間を毎日少しでも持つことが大事なんだと思う。

キ:はい……

師:無理に吞みにいったりする必要はなくて、例えば朝、一緒になにかする時間を設けてみたらいいんだよ。

キ:共有する時間、いいですね。

師:みんなでおめざを10分だけ食べるだけでもいいじゃない。
お菓子は事務所にあるわけだから、お茶だけ入れてさ。

キ:おめざ用に特別のお菓子を順番で買ってくるっていうのも、いいかもですね。

師:お菓子とお茶を飲みながら、どうでもいいような雑談をして…

キ:子どもの頃の思い出とか、休日なにをして過ごしたのかとか?

師:そうそう。それで時間が来たらまた黙々と仕事に打ち込む。……ちょっとの時間でも共有することが大事。そういうことで、距離って徐々に近づいていくもんだから。

キ:それはいいかもですね。師匠も、お弟子さんたちと顔を合わせる時間があまりないから、朝食だけは一緒に食べるようにしていると言ってましたもんね。
【編集部注】…小社刊『春風亭一之輔の、いちのいちのち』の「一之輔動静」参照。この本に写っていた一番弟子のきいちさんは、名前を「㐂いち」に改め、五月に二ツ目に昇進しました!

師:でもこれだと普通でしょ?

キ:そ、そうです…かね。すてきな提案だと思いますが……

師:ノンノン。ユーカリには、一之輔からもう一歩進んだご提案っ!

キ:ノンノン?

師:一之輔的、朝のオススメは……

キ:……

師:福笑いです!

キ:……はぁ、福笑い? 正月にやる?

師:正解。いいぞ〜、福笑いは。笑うぞ〜!

キ:子どものころに遊んだ記憶がかすかにあるだけですが……

師:「はいこれ右目〜」「次は鼻〜」ってやっていってさ、単純だけどなぜか底抜けに面白い。

キ:なんにも意味がないですけどね。

師:わかってないね。そこに意味がないからいいんだよ。

キ:う~~ん…

師:あのね、現代社会は、なにかにつけて意味を求めすぎ。そのせいでユーカリたちは、つくらなくてもいい余計な壁をつくってしまっているんだから。

キ:あ〜、なるほど。

師:朝からみんなでゲラゲラ笑って。肩の力を抜いて…

キ:うんうん。

師:ひとしきりゲラゲラ笑ったところで、「それでは今日も一日頑張りましょう!」って、また仕事。でもしばらくすると…

キ:新人が自分の席で思い出し笑いなんかしちゃって…

師:気づいたら、みんながまた笑っていたりするんだよ。

キ:あ〜、それはいい職場ですね〜。

師:おうよ! ユーカリの仕事はアトリエ系なんだから、福笑いを手作りしてもいいじゃない。新人はあくまでも新人。こちらから歩み寄ってあげなよ。これもひとつの気の遣い方。

キ:それじゃ決まりですね! 後輩との心の距離が遠いなって思ったら、朝から福笑いで……

師:いっしょに笑っChao!!

キ:わ~~い!

 

師いわく:
笑っchao

(師の教えの書き文字/春風亭一之輔 写真・構成/キッチンミノル)※複製・転載を禁じます。

 

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プロフィール

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撮影/川上絆次

(左)春風亭一之輔:落語家

『師いわく』の師。
1978年、千葉県野田市生まれ。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。前座名は「朝左久」。2004年、二ツ目昇進、「一之輔」に改名。2012年、異例の21人抜きで真打昇進。年間900席を超える高座はもちろん、雑誌連載やラジオのパーソナリティーなどさまざまなジャンルで活躍中。

(右)キッチンミノル:写真家

『師いわく』の聞き手。
1979年、テキサス州フォートワース生まれ。18歳で噺家を志すも挫折。その後、法政大学に入学しカメラ部に入部。卒業後は就職したものの、写真家・杵島隆に褒められて、すっかりその気になり2005年、プロの写真家になる。現在は、雑誌や広告などで人物や料理の撮影を中心に活躍中。

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