◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第7回 後編
十月八日、佐藤玄六郎の乗る板つづり舟は、荒れるオホーツク海の高波を何とか乗り越えアツケシへ到着した。
アツケシの運上小屋には、普請方下役の大石逸平(いっぺい)だけが残っていた。普請役の山口鉄五郎と青嶋俊蔵は、交易した品を積んだ神通丸で松前へ去った後だった。西蝦夷地ソウヤにおける山丹交易が不振だったのに対して、東蝦夷地アツケシの交易は好調でかなりの収益が見込まれるという。
山口と青嶋、そして大石らは、八月の半ばに予定通りキイタップからクナシリ島に渡り、クナシリの首長ツキノエと会い、千島列島で一つ先のウルップ島にロシア人が来ているとの風聞を得て、ツキノエに確認して来るよう依頼し、大石もその後から通辞を連れてウルップ島に渡ろうとした。
しかし、クナシリとウルップ間の海峡は潮の流れが異様に速く、ことに八月に入ると連日二丈(約六メートル)近い波が立った。先住民は、ウルップもその先のシムシリ島も屛風(びょうぶ)岩ばかりで、この時期は霧も深く立ち込め、出航してしまえば舟を着ける場所がたやすく見つからない、取りやめたほうが無難だと言う。言われるまでもなく、とてもウルップ島には渡れそうになかった。そこで大石はアツケシまで戻って来たのだという。
玄六郎は、先にノッカマップでションコから聞いたロシア品の隠蔽を確かめるべく、松前藩から通辞として遣わされた三右衛門を呼び寄せ、まずは内々のこととして問いただした。
三右衛門は、「確かにノッカマップで運上屋支配人の小次郎と申し合わせ、赤人が持ち渡ってきた品を少々焼き捨てました」と答えた。その品を尋ね返したところ、「赤人の皮衣を一つ焼き捨て、脇差(わきざし)一振りは土中に埋めました」と返答した。松前藩が、普請役の調査を妨害し、証拠となるような品はことごとく消滅させることに腐心している事実を確認した。玄六郎は、「松前に戻り次第、その件をとくと問いただす」と三右衛門に通告して帰した。
ロシア人がこの夏までウルップ島に滞在しラッコ猟をしていたことは、ノッカマップでションコから確認していた。玄六郎は、松前藩によってシベツに幽閉されているというツキノエを解放させるよう大石をシベツへ向かわせた。
佐藤玄六郎がアツケシに滞在している間、アツケシの先住民首長イトコイは、松前藩の監視をかいくぐり、夜間に先住民の通辞を連れて玄六郎の宿舎を訪れた。
「この秋に、江戸のお役人が赤人のことをお尋ねなされましたが、松前の役人と運上屋の者がわたくしどもに申しましたのは、江戸の方に赤人のことを話すな、もし話した場合は、首を斬って殺し、交易の船も送らないとのことでした。厳しく戒められましたために、今まで話すことができませんでした。
赤人は、毎年毎年ウルップ島まで来まして、美しい錦、更紗(さらさ)、木綿のたぐい、砂糖、薬種、そのほか数々の品を持って来て商いました。赤人は去年からウルップ島に来て年を越し、当年の夏まで逗留しておりました。
この夏、わたくしはウルップ島まで渡り、赤人と出会い、米をもって彼らの錦などと取り替え持って帰りましたところ、運上屋支配人と松前藩の通辞の者が、当年江戸の衆が来て調べるので、非常に都合が悪いから、赤人の品物を売るなと命じられました。それで我が家に隠して置きました。母が持っております錦は、とても美しいものです」とイトコイは語った。