師いわく 〜不惑・一之輔の「話だけは聴きます」<第55回> 『やり方じゃなくて答えを教えて…と言われます』
いつものように、落語会を終えた一之輔師匠を捕まえて、編集の高成さんが予約したお店に向かう。時刻は21時30分。タクシーを降りた目の前に立ちはだかったのは、派手なメキシコ料理店。店の外まで響く、激しめのメキシカン・ミュージック。どう考えても静かに相談ができるような店ではない。師匠は「高成さ~んッ!」と大きな声で叫んでいた。
キッチンミノル(以後、キ): ……今朝は師匠から急に「引っ越しを手伝ってくれ」と呼び出されて、3日前に引っ越しがあったハズなのにおかしいなと思いながら旧宅に向かったら、荷物がゴッソリ残っていて愕然としましたよ。
一之輔師匠(以後、師):……え? なんだって?
キ:ですから、師匠の家に! 今朝、行ったじゃないですかぁ!!
師:……ああ、はいはい!!
キ:荷物がぁー! いっぱい残っていてびっくりしました!!
師:いいんだよ! 1か月かけて片づけるんだから!!
キ:……ええっ? なんですか??
師:1か月〜!! か・け・て、引っ越しするから! いいんだよ!!!
キ:なんて贅沢な!
師:優雅にやりたいんだよ!! こっちはっ!
キ:それにしてはイライラしてましたけどね……
師:なんだって!?
キ:イライラし・て・た!!
師:うるせーーッ!! オレは疲れてるんだよ!!
キ:ふ〜……もう少し顔を近づけて喋りましょうよ。
編集の高成さん(以後、タ):すみません。こんなに騒がしいとは思わなくて…
師:食べログには「騒げるお店」って書いてあったけどね!
キ:高成さんはちゃんと書きこみ読んだんですか? 「飲んで騒ぎたい日はこういう店!」みたいなのばっかりでしたけど?
タ:いや〜…正直、読んでないです。
師:読んでないの!? いつも個室のあるお店にしていたのに……急にどうしたんですか! この騒々しさと隣の席との近さは想定外だよ。
タ:す…すみません。個室は探していたんですが、この界隈でこの時間から予約できるところがなくて…あっても10時半には閉店みたいなところが多くて……
師:それってつまり、オレのせいってこと?
タ:あっ、いやいや! そういうつもりではないですが……
キ:でも結果的には…
師:オレのせいだってことを遠回しに言ったよね?
タ:いやいやいや……
キ:まぁまぁまぁ。高成さんは10月に入ってから仕事が忙しすぎて、一度も家に帰ってないみたいなんでお手柔らかにお願いします。
師:働きすぎだよ! この店もヤケクソで選んだんだろ!
タ:…………
音符を読むのが苦手な小学生に、読み方を説明していたら、「ねえ、やり方じゃなくて、答え教えて」と言われてしまいました。
やり方(楽譜の読み方、楽器の演奏法等)を教えるのが自分の仕事と思って、四半世紀教えてきましたが、間違ってたのかもと思うと気持ちが落ち込みます。
何人ものお弟子さんを抱える一之輔師匠、教えることって「答えを教えること」でいいんでしょうか?
(みゆきち/横浜在住)
師:……そういえば小学生のとき、すげえ怖い音楽の先生がいたなぁ。
キ:どんな?
師:3年生か4年生のときに音楽の菅原先生が産休に入ったんで、その代わりに来た先生なんだけど……たぶん戦争に行ったんだろうなって感じのつるっ禿げの先生で、「ワシは、ハタと申します」って自己紹介したのを覚えてる。
キ:殴られました?
師:殴られはしなかったけど、殴られんばかりの勢いだったよ。とくに斎藤さんっていう女子のこと、「なぜわからんのかぁッ!!」って背中をバンバン叩いてさ。
キ:ええーッ!? 迫力的には、本当に殴られているのと変わりなさそうですが……
師:「和音は、ここなんだぁ!」って。そのあとオルガンをブーブーって。和音のところを弾くんだよ。
キ:……
師:それが始まると、みんな下を向いちゃってさ。
キ:でしょうね。
師:なのに、さっきまで激昂していた先生が急に、「はい、楽しく歌いましょう!」って言って曲を弾き出すんだけど…
キ:歌えるかっ!
師:全然楽しくない。
キ:……ちなみに師匠も、お弟子さんとかにご自身の噺を教えることがあると思うのですが、その場合はどうしているのですか?
師:オレが噺を教える場合は、自分が最初に習ったままのかたちで教えるようにしている。
キ:と言いますと?
師:よく演っている噺っていうのは、自分なりにくすぐりを変えて演っていたりするんだけど、それを教えるんじゃなくて、もともと習ったオリジナルの型で噺を教えている。
キ:でもそれだと納得しない人もいるんじゃないんですか? 普通なら、師匠が進化させた噺のほうを教わりたいって思う気がするんですが?
師:そうかもね。だから後輩とかが教えてくださいって言ってきたら、ちゃんと最初に「オレが最初に習ったかたちで稽古をつけるけどいい?」って訊くようにしてる。
キ:それで納得しますか?
師:「それならやめておきます」っていうヤツはいないけど、「うっ…」っていう感じで少し間が空くヤツはいる。
キ:それはまさに、師匠が噺を面白くした部分…この質問でいう「答え」を教わりたかったんでしょうね。
師:だろうね。だけどそこは自分で考えようよ!…って思う。古今亭志ん生師匠も教えるときには自分が考えたくすぐりを省いて教えていたって聞くよね。癖の強い人やウケている人からそのままのかたちで噺を教わると、それを超えるモノを自分で作ることが難しくて、そのままになっちゃうことが多い。
キ:へ〜。
師:それよりも、一本の樹木でいうと幹になるオリジナルを覚えておくほうが、あとで自由に枝葉を伸ばしていくことができるんだよ。
キ:なるほど。もともとあった噺から自分なりの枝葉を伸ばして、自分だけの噺にしていくんだぁ…。
師:それを最初から「くすぐりはこれがいいよ」とか「ここの声色はどういうふうに出したらウケるよ」っていうのを教えたら、その先の展開がなくなっちゃうからね。
キ:そこまで考えて、お弟子さんたちには教えているんですね。
師:それに、噺のやり方というのはその人の持つ個性によっても違うし、場の雰囲気によっても違うんだから。
キ:まさにそれこそプロの立場からの意見ですね。同じ噺に自分の個性を織り込んでいって徐々にその噺を自分のものにしていく。自分にとって稼げる噺に育てていく。
師:そう。オレらは稼げる噺を、自分でこしらえていかないとダメなの。
キ:そうはいっても、音楽教室で習っている子どもって、もちろんなかにはプロを目指そうと思っている子もいるんでしょうが、そこまでストイックに学ぼうという子どもは少ないように思うんです。
師:そうね。噺家の場合は互いにプロ同士だから少し突き放しているような教え方でも成り立つけど、教室の場合は相手の子どもは素人。先生はプロだからね。
キ:立場が違います。
師:みゆきちの教え方は間違ってはいないけど、その方法が向いていない子どももいるだろうから、ひとつの教え方で伝わらなければ、別のやり方をしてみたらいいんだよ。あくまでも相手は素人。先生はプロ。
キ:なるほど。
師:だから、答えを求めている子には最初っから答えを与えてしまってもいいと思う。それによって子どもは、みゆきちの想像を超える反応を示すかもしれない……わからないけど。
キ:どうなるかは、やってみてからのお楽しみ。
師:「答えを先に教えてよ!」って言う子は、まだ音楽の楽しさを感じていないだけなのかもしれない。もしかしたら早くもっと上手くなりたいっていう前向きな気持ちの表れなのかも。そうであれば「答え」を先に教えることによって、そいつのやる気スイッチが入るかもしれない。
キ:やる気スイッチが入りますか…
師:だって、どうせ教えることができる「答え」の中には本当の答えなんてないわけだから。その子どもだって、いずれ試行錯誤が必要になるときが来る。
キ:なるほど。
師:試行錯誤が必要になったときにより努力をして、その音楽を自分のものにしようと思うかどうか。
キ:分かれ道ですね。
師:うん。それでそいつに訊いてみたらいいんだよ。
キ:なんて?
師:「あなたはそれで楽しいの?」って。それで楽しいって答えたら、それはそれでいいじゃない。その程度のヤツなんだから。
キ:“その程度のヤツ”って…
師:でもそうだろ? 音楽は数学じゃないんだから、本当は正解なんてないんだよ。落語もそうだけど自分で答えを見つけていかないと。基本さえできていれば答えは無限にあると言ってもいい。
キ:ほ〜。
師:もしその子どもが「楽しくない」って言ったとしたら…
キ:言ったとしたら?
師:そいつには見込みがあるよ。すかさずこう言ってやればいい。
キ:うん……
師:「大丈夫。先生だっていつも答えを探しているんだから」って。
キ:子ども自身が思っていた「答え」が、実はそうではなかったということに気がつき始めて立ち止まりそうになったところで、この一言!
師:答えは…
キ:無限にある!
師:そう。そしてその答えを探す過程が一番おもしろい。
キ:なるほど!
師:そのことを知ってほしいね。
キ:ありがとうございました。
師:はい、一件落着と。……喉が渇いたな。
キ:メニューに「テキーラ・ハイボール」っていうのがありますよ。
師:テキーラはキツイだろ。普通のハイボールでいいよ。
キ:店員さ〜ん! テキーラのハイボールではなくて普通のハイボールってありますか?
いかにも一癖ありそうなお店の人(以後、店):……まあ、あることはありますけど、ウチに来てテキーラを飲まないなんてもったいないですよ。それに、ウイスキーとテキーラってほとんど同じ度数ですし。
師:え、そうなの? じゃあなんでもいいんでテキーラ・ハイボールを!
店:まぁまぁそう言わずに、うちにはメニューに載っていないテキーラもあるんで、ぜひ選んでくださいよ。……たとえばコレ、香りだけでも試してみてください。ほら、ほら! ほらほら!!
師:……あ、本当だ。全然違う! なんかすごくいい香り!
店:これらのテキーラは、原料が100%アガベから作られたもので、日本酒でいうと純米酒みたいなものです。よくテキーラというと一気飲みをするイメージがありますが、あれはアガベだけで作ってない場合が多いんです、だから逆に、このテキーラを一気飲みしているのを見るともったいないなぁと私なんかは思ってしまいます。
師:なるほどね〜。
店:もしハイボールでということであれば、割っても香りが残るこの「1800」と書かれたラベルのものはいかがでしょうか?
師:「1800」?
店:そのままなんですが、スペイン語で「ミルオチョシエントス」って言います。“ミル”はミル・マスカラスの“ミル”ですね。
師:“千”の顔を持つ男!
店:そうです! ぜひ飲んでみてください。
師:よし、それ飲もう!
店:……じつは私、テキーラマエストロなんです。こうやってお客さんと話してテキーラの楽しさをお伝えするのが、いちばんの仕事なんです。
タ:へぇ、テキーラにもソムリエみたいな資格があるんですね。
店:今から飲んでいただくのは「ミルオチョシエントス」のレッドラベルになります。
キ:「ミルオチョシエントス」のレッドラベルですね。覚えました!
店:今度、ほかのテキーラ・バーに行って「ミルオチョのレッドある?」って訊いてみてください。
キ:おお〜!! 通っぽい!
店:そうでしょ! だから、ちょっと通ぶっているイヤミが出るので、店の人にはきっと嫌われます。
キ:お〜い!
師:いや〜…うまいです!
店:ありがとうございます。
キ:普通のハイボールにしなくてよかったですね。
師:本当だよ。こうやって店員さんと話して、あーだこーだ言って一杯のテキーラ・ハイボールにたどり着く。最高!
▲「ミルオチョのレッド」を手に、ご機嫌な我らが師。
キ:店員さんが説明もなしに最初からミルオチョのレッドを出してきたら、ここまで楽しくないし深く味わって飲もうなんて思わなかったですからね。
師:キッチンがミルオチョなんて呼び方もできなかったわけだしな。
キ:……
師:高成さん!
タ:は、はい。
師:この店に来てよかったよ! この店じゃなかったら普通にハイボール頼んで終わりだったわけだから。
……やっぱり答えだけ手に入れるよりも、そこにたどりつく過程があるほうが面白い!
タ:ああ、良かったです……ホッとしました。
師:いやいや、答えを出すのはまだ早いぞ!
タ:え?
師:もしかしたら帰り道に車にはねられて、やっぱりこの店に来なきゃ良かったってなるかもしれないから。
タ:…………
【編集部注】…我らが師は無事に帰宅されました。
(師の教えの書き文字/春風亭一之輔 写真・構成/キッチンミノル)※複製・転載を禁じます。
プロフィール
撮影/川上絆次
(左)春風亭一之輔:落語家
『師いわく』の師。
1978年、千葉県野田市生まれ。2001年、日本大学芸術学部卒業後、春風亭一朝に入門。前座名は「朝左久」。2004年、二ツ目昇進、「一之輔」に改名。2012年、異例の21人抜きで真打昇進。年間900席を超える高座はもちろん、雑誌連載やラジオのパーソナリティーなどさまざまなジャンルで活躍中。
(右)キッチンミノル:写真家
『師いわく』の聞き手。
1979年、テキサス州フォートワース生まれ。18歳で噺家を志すも挫折。その後、法政大学に入学しカメラ部に入部。卒業後は就職したものの、写真家・杵島隆に褒められて、すっかりその気になり2005年、プロの写真家になる。現在は、雑誌や広告などで人物や料理の撮影を中心に活躍中。
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iwakuichinosuke@shogakukan.co.jp
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初出:P+D MAGAZINE(2019/10/11)