【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第11話どえむ探偵秋月涼子の観察

人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第11回目は、「どえむ探偵秋月涼子の観察」。「観察」とは、ミステリアスなタイトル。前回に続き、想像を掻き立てるSMの世界が広がります。

五月末。涼子を裸にするのには、本当にいい季節だ。寒すぎず暑すぎず、梅雨前だから湿気で裸体がベトつくこともない。

新宮真琴さんはベッドに腰かけ、すらりとした脚を組んで、じっくりと涼子の姿を見つめた。涼子は、真琴さんの言いつけに従って、部屋の中央に全裸で立っている。右腕で両の乳房を隠し、左手で股間を隠そうとしているが、どちらも完全には隠しきれていない。

「涼子、いつまでも隠してちゃダメ。腕を上げて、腋をさらけ出してごらんなさい」

「そんな……恥ずかしいですわ」

「奴隷に恥ずかしがる権利なんてない。そうじゃないか?」

「は、い……」

涼子は、おずおずと腕を上げていく。

「そうそう。いい子だね」

真琴さんは、涼子に好みの姿勢を取らせようと、次々に指示を出していく。

「そんなふうに、両腕を揃えるんじゃなくて……右手を上に伸ばして、左手で肘のあたりを掴んでみて。そう、いい感じ。それでね……ちょっと左側のほうを向いて。上半身だけ、少しひねるの。……ああ、可愛い」

ほめてやっても、涼子の口元は、不安そうにわなないている。それもそのはず。涼子の大きな二つの目は今、アイマスクで目隠しされているのだ。これも涼子さんの指示。眠るときはたいていアイマスクを使っている――という涼子の話を聞いて思いついたのである。

真琴さんは、気づかれないよう音を立てずにそっと立ち上がると、涼子のすぐ近く、腕を高く上げている右側に立った。白いやわらかな腋が、目の前にあった。そこに、ふうっと息を吹きかけてやる。涼子はびくりと裸体を震わせ、その口から「ヒッ」と声にならない声をあげた。

「涼子の今の声、情けなくて、Mっぽくて、よかったよ」

「お姉さまって、意地悪すぎますわ」

「Sだからね」

新宮真琴さんは、聖風学園文化大学の三年生、学費完全免除の特待生で入学してきた才媛である。秋月涼子はその一年下の後輩。大金持ち秋月家のご令嬢だが、真琴さんのかわいい奴隷――あくまでSM遊びの上での――でもある。

「あの……お姉さま?」と、涼子は早くも落ち着いた声になって言う。この涼子の妙にタフなところが、真琴さんにとっては頼もしくもあり、また少し残念でもあるところ。

「まだ、涼子の体に触れていただけませんの? わたし、さっきからとても期待していますの。それに、そろそろキスもしていただきたいですわ」

「まだまだ。あとしばらくは、観察するだけ」

「観察?」

「そうだよ。わたしは考えたんだけど、観察っていうのは、SMの大切なファクターだと思うんだ。もちろんSがMを観察するのね。Mは観察されるだけ。そのために今日は、目隠しをしてもらったんだけど……見る・見られるという関係には、強い非対称性があるよね。自然を観察の対象とするというのは、デカルトから始まったとよく言われるけど、そこには自然に対する人間の優位性が前提とされていると思うんだ。つまり、観察する側は、観察するというただその点だけによって、観察される対象よりも上位に立つんだね。これをSMで考えると……」

「じゃあ、お姉さま」と、涼子は見事に話の腰を折って――

「今夜は、涼子……お姉さまのきれいなお顔を、拝見することができないんですか。それはいけませんわ。第一、今のお話、なんだか変です。だって、こんなふうにずっと目隠しをされたままだと、涼子、お姉さまのご機嫌をうかがうこともできないじゃありませんか」

「別にわたしのご機嫌なんて、うかがわなくていいんだよ」

「いけません、いけません。それに、見る・見られるということで言えば、Mこそ見る立場にあるべきだと思います。見る……というより、見上げる、仰ぎ見る、ということですわ。Mはただ、ひたすらご主人様を仰ぎ見て、ご命令を待つ。でも、ご主人様は、そのMの視線を冷たく無視したり、蔑んでからかったりするんです」

いったん始まると、涼子のおしゃべりを止めるのは難しい。

「そして、こんなことをおっしゃったりするんですの。なんだい、お前は? わたしのほうばかり見て。そんなにわたしのご機嫌を損じるのが怖いの? 本当に怖がりな子だね。秋月家のご令嬢だなんて威張っていても、お前の正体は、臆病で卑しい奴隷だよ。……そうしたら、涼子、お姉さまのお膝にすがって、許しを乞いますわ。お姉さまのお美しいお顔を仰ぎ見ながら……お姉さま、卑しい涼子をお許しください。一生懸命、ご奉仕いたしますから、罰だけはお許しくださいって……でも、どうしてもとおっしゃるなら、涼子、スパンキングの罰をいただきたいです。それも、お姉さまのお膝に抱かれてお受けするスパンキングを。なぜって、お姉さまのお体に触れているだけで、とっても安心できるんですもの」

初めは一般論だったはずなのに、いつのまにか真琴さんと涼子の話になってしまっている。でも、真琴さんはたぶん、涼子のことを「お前の正体は、臆病で卑しい奴隷だよ」なんて言ったりはしない。(それとは少しだけ違うことは言うかもしれないが。)それとも、涼子はそんなふうになじってほしいのか?

「ですから、観察力っていうのは、むしろMのほうに必要なものだと思います。それに、ほら……涼子は大学を出たら、探偵事務所を開く予定でしょう? 探偵には観察力が必要ですわ。たしかシャーロック・ホームズも……」

「議論は、やめよう」

真琴さんは、てのひらでそっと涼子の口をふさいだ。涼子が探偵の話を始めると、ますます長くなるのを知っていたからである。

涼子は、大学を出たら探偵事務所を開くのだと言っている。それも、自分はドMだから、世界初のドM探偵になるのだと息巻いている。バカなのか? バカなのだろう。

しかし、ただのバカ話とも言えないようなのだ。というのも、涼子は事務所開設費用その他の名目で、既に祖父から生前贈与を受けたという。その額を聞いて涼子さんは心底びっくりしたのだが、たとえ客が一人も来なくたって、つましくやっていれば十年くらいは持ちそうなのである。

「とにかく、涼子。九時までは、わたしの時間だろう? それとも、わたしの命令を受けるのは、もう嫌になった?」

午後八時から九時までは真琴さんの時間、九時から十時までは涼子の時間。これは去年から続く、二人の取り決めなのだ。

「まさか。涼子、お姉さまのご命令なら、どんなことだって……」

「じゃあ、今度はもっと恥ずかしい姿勢をとってもらおうかな。もちろん目隠しは、したままでね」

はい――と、涼子は急に小さな声になって、それでも素直な返事をした。真琴さんは、たいへん満足した。

翌日の午後五時、真琴さんがミステリー研究会の部室に行ってみると、涼子はまだ来ていなかった。真琴さんも涼子もミス研の部員で、そもそも二人が知り合ったのも、この部室でのことであった。

代わりに、加賀美蘭子さんと萩原和人くんがいた。加賀美蘭子さんは、真琴さんよりも一年上の四年生、この聖風学園文化大学の理事長の孫娘である。加賀美一族といえば、涼子の秋月家にも負けないくらいの大金持ちらしい。

萩原和人くんは、真琴さんよりも一年下、涼子と同じ二年生。この萩原家というのは、昔々、蘭子さんの加賀美家がたいへん世話になった殿様の子孫にあたるらしく、そのせいかどうか知らないが、蘭子さんは和人くんのことを「若様」と呼ぶ。実にバカっぽい。

そして、この二人は許嫁の間柄なのだ。最近、両家の間で正式に婚約が取り交わされたらしい。

和人くんは絵が上手い。特に人の似顔絵が上手で、ミス研の出す部誌のイラストは一手に引き受けている。部室でも、よくスケッチブックに絵を描いているが、今日は蘭子さんとなにやら談論風発といった感じであった。

「涼子は?」と尋ねた真琴さんに、和人くんは――

「自治会の会合です」

「ああ、そうだったね」

涼子は、今年からミス研の渉外を務めているのである。

「なんでも自治会長の選挙についての会合らしいですよ」

「あの選挙は、本当にわずらわしいな。変な放送は聞かなくちゃならないし、投票は半分、強制みたいなものだし……」

「新宮さん、そんなこと言ってはいけないわ」と、今度は蘭子さん。

「大学の自治は、とても大切なものじゃありませんか」

「まあ、それは正論でしょうけど……でも、うちの自治会は、現実には学生課の使い走りにすぎないでしょう。あれだと、だれが自治会長をやっても同じ。つまり、選挙にも大した意味がないということでは?」

「大学の自治が大切だということと、現実の自治会が頼りないということは別問題です」

真琴さんが「変な放送」というのは、立候補者の演説を流す放送のことである。この聖風学園文化大学というのは規模のごく小さな大学で、どこか高校みたいなところがある。とにかく学生を全部集めて何かやらせるというのが、大好きなのだ。

自治会長選挙にまつわるあれやこれやは、その最たるもので、立候補者の最初の演説を流す放送は、原則として全学生が所定の教室に入って聞かなくてはならない。また、それとは別に立候補者を集めて行われる立会演説会、さらにその後の立候補者討論会も、全学生が体育館に集まって謹聴しなくてはならないということになっている。

もちろん病欠その他の理由を挙げて休む者も多いのだが、いわゆる特待生として学費の免除を受けている真琴さんとしては、そうしたことはなるべく避けたい。学生課の心証を害するのは危険である。いつだってどこでだって、金のない者には余計な気苦労がついて回るのだ。

「今の自治会が、学生課の使い走りにすぎないというのなら……」と、蘭子さんの言葉は続く。

「あなたが自治会長に立候補して、自治会の改革を断行すればいいじゃありませんか」

「遠慮します」

涼子が部室に入ってきたのは、そんな話をしているときだった。

「みなさん、たいへんです!」

涼子は、三人の顔を見回すと、いつもの「ごきげんよう」の挨拶も忘れて叫んだ。

「たいへんな不祥事ですわ!」

「ええっと、つまり……」

真琴さんは、長々と続いた涼子の話をまとめてやった。真琴さんの頭脳は、こういった作業――つまり、脱線の多い長話の要点をまとめる――といった作業には、非常に適している。

「明日の自治会長選挙の立候補者の演説のために、みんなで機材を運ぶことになった。すると、機材を入れていた物置部屋に、だれかがベッドを持ちこんでいて、さらにその上で性交渉をした跡もあった。ぶっちゃけて言うと、ゴミ箱に使用済みの避妊具が捨ててあった……と、そういうこと?」

「その通りです、お姉さま。なんてことでしょう」

「そのくらいは……あることじゃないのか?」

真琴さんは、この大学の学生には珍しく、少々育ちが悪い。その真琴さんの目から見ると、大騒ぎするほどのことには思えない。

「涼子が不祥事というのは、そのこと自体じゃありませんわ」

「と言うと?」

「学生課のおじさまたちが、このことは黙っていてくれなんて、おっしゃるんですの。あきれた隠蔽体質ですわ。学内でこんな破廉恥な行為が行われたというのに、犯人を捜そうともせず、ただ揉み消しに走るなんて、涼子、許せません! ですから涼子、こう申し上げましたの。事実を語るのを禁じることはできません、わたしは、聞かれたら事実をそのまま語りますって」

だが、今、涼子は聞かれもしないうちから、その事実を語っている。

「まあ、外聞のいい話ではないし……」

と言いながら、真琴さんは、ふと思った。学内ではないにしても、自分と涼子も似たようなことを盛んにやっているのだが、それはどう解釈すればよいものか――と。

「でも、警察に届けたら、犯人はすぐにわかるんじゃないの?」

今度は和人くんが、涼子に尋ねる。

「ほら、DNA鑑定とかで……」

「若様、このくらいで警察はDNA鑑定なんてしませんよ」

「それが、学生課のおじさまが、その場で捨ててしまったんです。最初から警察に届けようという気も、犯人を見つけようという気もないんです。情けないですわ。だから、わたし、決めたんです!」

「決めたって、何を?」

「この事件の犯人を捜し出しますわ。ドM探偵、秋月涼子、ついに現実の事件に乗り出します!」

「涼子、それは……やめようね」

真琴さんは、涼子の身体をそっと自分のほうに引き寄せた。

「あら、どうしてですの? お姉さま」

「危ないから……学校の倉庫に忍び込んでセックスするなんて、どうせイカれた奴らだよ。関わらないほうがいい」

「まあ」

涼子は、真琴さんの顔を見上げ、嬉しそうに微笑んだ。

「涼子のことを心配してくださるんですね。いつもいつも、お姉さまはお優しいですわ。でも、大丈夫!」

涼子は、真琴さんがますます心配になるようなことを言った。

「わたし、変質者なんかには負けませんわ!」

「それにしても、なんか話が変だなあ」と、和人くん。

「何が変なんですの? 若様」

「録音のための機材って、人が何人も出て運び出すようなものなのかな」

「ああ、それは……」と、涼子。

「五十年続いている変な伝統というのがあって、立候補者の演説をまずテープに論音するんだそうです。その録音機というのがけっこう重くて……なんでもデンスケっていう、録音機だそうですよ。カセットテープを使うんです。それにマイクも……」

「おおっ、カセットデンスケ!」

「どうした、和人くん」と、尋ねた真琴さんに――

「カセットデンスケというのはですね、ソニーが作っていた伝説のポータブルカセットレコーダーなんです。うちの祖父も持っていました。それで生録に出かけるわけです」

「ナマロク?」

「野外で、いろいろな音を録音するんです。渓流の音とか、鳥のさえずりとか……蒸気機関車の音とかをですね。この生録というのは、デンスケが発売されたことが原因で流行り始めたっていう説があるくらいです。そのくらい有名な製品なんですね。伝説の名器です。うちにも、祖父の撮ったテープがたくさん残ってますよ。ただ残念なことに、うちのデンスケはもう壊れてしまっていて……」

「なんだか古い話だな。じゃあ、そのデンスケとかいうのは、五十年も昔の機械なのか? さっき涼子が、五十年の伝統とか言ってたけど……」

「そう言えば、それはちょっと古すぎるような気もしますね」

「若様、カセットデンスケになったのは、その伝統が始まってから、しばらくあとです。それ以前はオープンリールテープを使う、カセットではないデンスケで録音してたんです」

――とは、蘭子さんの説明。さすが理事長の孫娘だけあって、大学の歴史には詳しいらしい。蘭子さんの言葉は、よどみなく続く。

「立候補受付当日に演説を録音するのは、興味本位で立候補するのを避けるためです。昔、立候補はしたものの、演説にも討論会にも出ない人がいて、問題になったんです。だから、立候補するのなら、ちゃんとその場で演説できる程度の準備をして来いって、そういう意味なんですね。それから、演説内容を最初に学生課がチェックするという目的もあります。公序良俗に反するような演説をした場合は、録音を消去して放送には流さないことになってるんです。今ではたしか、録音をする前に演説原稿をチェックする体制になっています」

「あら……」と涼子。

「それって少し、横暴じゃありませんこと?」

「たしかにね」

蘭子さんはうなずくと――

「でも、学生課としては、いきなり大学批判なんかをやられるのが、嫌なんでしょう」

「ということは、加賀美先輩。自治会長の立候補の受付は、録音をする日と同じってこと?」

「そうです、若様。立候補受付も演説の録音も、明日の朝ですけど、それが何か……」

「立候補できる学年は、決まってるんですか」

「いいえ、何年生でもかまいません。ふつう二年生か三年生ですね」

その返事を聞くと、和人くんが実に意外なことを言い出した。

「じゃあ、ぼく、立候補しようかな」

「どうして?」

と、残りの三人が、ほぼ同時に叫び声を上げた。すると和人くんは――

「デンスケに声を吹き込んだって言ったら、うちの祖父は喜びそうだし……。それに、さっき加賀美先輩も新宮先輩も、自治会が学生課の使い走りになってる、自治会改革が必要だって、言ってたじゃないですか。ぼくが、自治会改革をやります。自治会は、学生課の使い走りから脱却すべきだって。どう思います? 新宮先輩。応援してくれますか」

「わたしは別に、自治会改革が必要だなんて言わなかったぞ。でもまあ、和人くんが立候補するというのなら、できる範囲で応援はしてあげる」

できる範囲で――というのがミソで、真琴さんはいざとなれば、「できない、できない」で、みんな断るつもりなのだ。

「でも、和人くん。今の加賀美先輩の話からすると、学生課の悪口なんて言ったら、録音させてもらえないんじゃないか」

「それなら心配は要りません」

蘭子さんが、妙に決然とした声で言った。

「若様が立候補なさるのなら、わたしが明日、ついて参ります。もし演説の内容にケチをつけてくるようなら、加賀美家を代表して、その場で抗議しますわ。そうだ、秋月さん、あなたもいっしょにいらっしゃい。加賀美家と秋月家がそろって圧力をかけたら、学生課には何にもできはしません」

「もちろん涼子も参りますわ。ミス研から自治会長が出たら、渉外の仕事もとってもやりやすくなりそうですし。それに、例の倉庫でセックス事件の犯人を見つけるのに、役立つかもしれませんもの。わたし、あの避妊具を捨てた学生課のおじさま、少し怪しいと思うんです。あのおじさまの親戚の学生が、犯人かも。あれを、あんなにすぐに捨ててしまうなんて、証拠を隠滅しようとしたのかもしれません」

真琴さんは、他の三人に気づかれないよう、小さくため息を漏らした。圧力――などという言葉を平然と口にする蘭子さんにもあきれたが、未だに犯人捜しなどと言っている涼子には、もっとあきれた。まったく、この部活はイカれた奴ばっかりだ。

翌日の立候補の届け出、および立候補者の演説録音には、結局真琴さんもついて行った。涼子一人が、蘭子さんと和人くんのペアにくっついているという状況には、持って行きたくなかったのだ。

どうやら真琴さんが一番乗りだったらしい。自治会のある二号館の入り口の前で待っていると、和人くんが姿を現した。ごく身軽な格好で、両手をポケットに突っこんだまま、なんだかヒョコヒョコした歩き方でやってくる。肩から斜めに、大きな汚い頭陀袋のようなものを掛けていた。袋の中にはほとんど何も入っていないらしく、へしゃげて膝のあたりにまとわりついている。いつも思うのだが、和人くんは身なりから歩き方から、どこか、ほんの少しだけ、ふざけている感じがする。世間を舐めている感じがする。

本気で自治会長に立候補するという熱気が、どうにも全く感じられない。そもそも、いったいなぜ立候補などを思い立ったのか、真琴さんにとっては未だに謎である。和人くんはデンスケがどうした、自治会改革がどうしたなどと言ってはいたが、本気だとはとうてい思えない。

「和人くん、演説の原稿は?」と、真琴さんが尋ねると――

「ここに保存してます」と、頭陀袋の中からスマホを取り出した。読ませてもらうと、なかなか痛快なことが書いてあった。真琴さんが昨日使った「今の自治会は学生課の使い走り」という文言も、何度か出てくる。

学生課がこれを認めるかな? 

真琴さんのほうが、そんな心配をしたくらいだが、当の本人は「デンスケ、楽しみだなあ」などと、呑気なもの。やがて蘭子さん、そして涼子が現れ、四人は立候補受付会場となっている教室に乗りこんだ。

乗りこんだ――といっても、別に何事が起こったわけでもなかった。真琴さんにとっては、ただただ退屈な時間にすぎなかった。

まずは機材の設置から。昨日、涼子たちが倉庫から運び出したという段ボールから、マイクやらスタンドやらが、次々と取り出される。和人くんがそれをいそいそと手伝っている。

「おおっ。デンスケだ」

と、和人くんは声を上げたが、その「カセットデンスケ」とやらも、真琴さんから見れば、ただの古ぼけた、妙に重そうなレコーダーにすぎなかった。

立候補者は、全部で四名。それぞれ数人の付添人がいるのは、真琴さんたちと同じである。立候補の正式な受付は、すぐに済んだ。あとは、一人十五分ずつの演説。ただし、演説と演説の間には、学生課による原稿のチェックやマイクテスト、数分間のリハーサルなどが入るので、全部で二時間と少しはかかったか。

和人くんの演説原稿は、さすがにチェック段階で物議を醸したらしい。が、それも蘭子さんと涼子が、学生課の職員と別室で数分の話し合いをした結果、お咎めなしということになった。それが当然だが、そもそも演説内容に学生課からチェックが入るということ、しかもそのチェックが理事長の孫娘の抗議によって、今度はすぐに引っこんでしまうということ――この二つの事実は、真琴さんを少しばかり嫌な気持ちにさせた。

候補者は、自分の演説が済んでも、全て終わるまで待っていなければならない。互いに他の立候補者の主張に敬意を払うべき、というのが、その理由だそうである。それは結構。だが、真琴さんにとっては、やはり退屈というほかはない。

和人くんの演説は二番目。演説を済ませたあとは、機材の調整を手伝ったり、演説風景をスケッチしたりしていた。(とにかく絵を描くのが好きなのである。)さらには、他の立候補者や、その付添人たちに声をかけては似顔絵を描き、それをプレゼントまでしている。男女とも特徴をうまくつかみながら、実物よりは三割ほど見栄えよく描いてあるので、評判はよかった。

その様子を、蘭子さんがにこにこして見守っている。

涼子がくすくす笑って言った。

「和人くん、安心したみたいですわね」

なるほど、さすがの和人くんも、一夜漬けの演説がうまくいくかどうか心配だったのか。だから演説が終わった途端に、普段の倍ほどもサービス精神を発揮しているのか。

そう思うと、真琴さんも少し微笑ましい気持ちになった。

二週間の選挙戦の結果、和人くんは見事、自治会長に当選した。真琴さんも、涼子や蘭子さんに誘われ、応援活動(主に他の部活の幹部に会うこと)に引っ張り回されたが、その甲斐があったというもの。もっとも和人くん自身は、大して当選したくもなさそうだったので、それだけになぜ立候補したのかと、疑問は膨らむばかりだったのだが……。

さて、本当に和人くんが自治会改革に乗り出すか否か、それは今の段階ではわからない。

自治会選挙が終わってから数日後の夜。午後十時十五分。真琴さんと涼子はベッドの上――薄い毛布にくるまって、裸で抱き合っていた。

涼子は、アイマスクで目隠しをしている。これが今夜の新趣向。午後九時から十時のあいだは涼子の時間なのだが、真琴さんは目隠しをさせたまま、涼子に「ご奉仕」をさせたのである。

これは大成功だった。このところの涼子の「ご奉仕」は、真琴さんにとっては少し激しすぎるというのか、上手すぎるというのか――うまく表現できないが、とにかく全てを受け止めかねるところがあった。ところが、目隠しをさせていると、いろいろなことが拙く、たどたどしくなって、それが可愛らしく、また真琴さんにとっては実に「ちょうどよい」感じだったのだ。

「お姉さま?」

「ん?」

「お姉さまは、今も、涼子を観察していらっしゃるの?」

「そうだよ。ずっと見てる。でも、涼子は目隠しをしているから、見えないね。涼子だけが見られているんだよ。恥ずかしい?」

「恥ずかしいです。でも、それ以上に、心配ですわ」

「何が?」

「目隠しをしていると、お姉さまに喜んでいただけているのかどうか、自分の目で確かめられないでしょう? Mとしての務めが果たせていないんじゃないかって、とっても心配になりますの」

「そんな心配はしなくていいんだよ」

「そろそろ、目隠しをとってもいいでしょうか? お姉さまのお顔を拝見したいですわ」

「もう少し、そのまま我慢して。今、お前の顔をじっと見ているところだから」

「まあ」

涼子の頬は、ほんのりと上気したようだ。真琴さんは、その頬にそっと口づけてやった。

またしばらくのあいだ、二人は静かに抱き合ったままだった。

ふと、真琴さんが言った。

「和人くん、当選してよかったね」

「ええ。お姉さまの応援のお陰ですわ」

それはない。それだけはない――と思いつつ、真琴さんは――

「それにしても、不思議だなあ」

「何がです?」

「和人くんは、なんだって、いきなり立候補したんだろう」

「あら?」と、涼子がいきなり頓狂な声を上げた。

「ん? どうした?」

「あらあらあら?」

「だから、どうした?」

「お姉さま、ご存じなかったんですか? ほら、あの倉庫でセックス事件」

「ああ、あれね。あれが?」

「あの犯人が、和人くんだったからですわ」

涼子は、自信満々でそう断言した。

「それが、和人くんが自治会長に立候補した理由です!」

「ええっと、つまり……」

真琴さんは、涼子の長い話を要約していく。前にも言ったが、真琴さんの優秀な頭脳は、こうした作業に向いているのだ。もっとも、今ではその頭脳の優秀さに対する自信も、少しばかり揺らいでしまったのだが……。

「あの倉庫に、使用済みの避妊具を残した犯人は、和人くんだった。そして、和人くんは、それ以外にも、倉庫の中に証拠となるものを残してしまっていた」

「あのカセットデンスケの入った、段ボールの中にですわ」

「その証拠品を回収するためには、なんとかしてあの段ボールに近づかなければならなかった――と、そういうことだね」

「その通りです。そのためには、立候補者となって演説をする以外に、手はなかったんです。和人くんが機材の設置を手伝ったのは、デンスケに興味があったからだけじゃありません。証拠品を確認・回収するためだったんです」

「なるほど。で、その証拠品というのは?」

「あのスケッチブックですわ、お姉さま。和人くんは、倉庫から出るときに、あのスケッチブックを忘れてしまったんです。そして、あの日、部室でわたしの話を聞いて、自分のスケッチブックがデンスケといっしょに倉庫から運び出されていることを知ったんですわ」

「根拠は?」

「演説を録音した日、会場に入る前には、和人くんはスケッチブックを持っていませんでした。でも、自分の演説が終わったあとには、スケッチブックに絵を描いていたじゃありませんか」

「いや、和人くんは、あの朝、なんだかでかい袋を持ってきてたぞ。スケッチブックは、あの中に入っていたんじゃないか?」

「さすがはお姉さま、記憶力が優れていらっしゃいますわ。でも、あと少し……あと少しだけ、よおく思い出してください。あの朝、あの袋は和人くんの脚に絡まりついて、ぐにゃぐにゃしていたじゃありませんか。もし表紙が固いスケッチブックが入っていたら、あんなふうにはなりませんわ」

真琴さんは、思い出してみた。たしかに涼子の言うとおり、あの朝、あの頭陀袋の中には、ほとんど何も入っていなかったはずだ。

「言われてみれば……」

「それに、涼子、最初から和人くんが怪しいって思っていましたの。だって、和人くんったら、いきなりDNA鑑定の話なんか始めたでしょう? 少し極端すぎると思いません? だから、わたし、こう思ったんです。万が一にでもDNA鑑定なんてされたらまずい。そういう不安な気持ちから、あんな話を始めたんじゃないかって……」

「なるほど」

「それで、録音のある日も、じっと和人くんを観察してたんです。あの人、なかなか落ち着いていましたわ。機材を設置するときに、あのスケッチブックを見つけても、すぐには取り出さなかったんです。自分の演説のときまで待って、周りに人がいなくなってから、悠々と取り出していましたわ。でも、涼子、その様子をバッチリ見てしまいました。この目撃証言が、動かぬ証拠です!」

「さすが、涼子。じゃあ、宣言通り、倉庫でセックス事件は解決したってわけね」

「ありがとうございます、お姉さま。でも、それもこれもお姉さまのお陰ですわ。お姉さまが、SMには観察が大切っておっしゃったあの瞬間から、涼子、観察力を磨かなければって、がんばったんですの」

「いや、わたしが言ったのは、そういう意味じゃないけど……でも、それで、相手は誰だったんだろう? その……倉庫でセックスの……加賀美先輩?」

「たぶん違うと思います。あのお二人、今度の件では、少し連携に乱れがあったように感じますの。和人くんは、立候補はするけれど、当選までは考えていなかったと思います。でも、蘭子先輩は、本気で応援活動をしていましたわ」

「なるほどねえ」

10

真琴さんは、しばらくしきりに感心していたが、ふとあることに気がつくと、猛然と腹が立ってきた。声が少し荒々しくなる。

「でも、涼子。なぜ今まで、わたしに黙ってた? まさか、和人くんと何か取引をしたとか……」

「とんでもない、お姉さま。涼子、和人くんにも蘭子さんにも、まだ何も言ってませんわ。わたしのせいで二人の間に波風が立ったりしたら寝覚めが悪いですし……もっとも、そのくらいで波風なんて立ちそうもありませんけど。それに涼子、お姉さまはとっくにご存じだと思っていましたの。だって、ほら……あの日、和人くんも安心したみたいって申し上げたら、お姉さまもうなずいていらしたじゃありませんか」

あれは、そういう意味だったのか。

「それにしても……」

涼子がさり気なく、聞き捨てならないことを言った。

「お姉さまの観察力って、さほどでもありませんわね」

「涼子……あんまり生意気だと、わたし、怒るよ」

「ごめんなさい、お姉さま」

「わたしの言う観察力は、そういうものとは違うの。SがMを支配するための観察なんだから……つまり、可愛い涼子を観察する以外には、不要なものなんだ。わたしの観察力は、涼子、お前のためにだけにあるの!」

「まあ、お姉さまったら! なんてお口がお上手なんでしょう。涼子、またご奉仕したくなりました。目隠しをはずして、思い切りご奉仕したくなりましたわ」

「ああ、いや、うん……」

真琴さんは、少し慌てて言った。

「それはまた……今度にしよう。今夜は、ほら、もうあまり時間がないし。ね?」

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◆おまけ 一言後書き◆
この「どえむ探偵」の話は、この第3話でいったん終わりにするつもりでしたが、割と評判がよいという話なので、あと2話ほど続けようかな、とも思っています。今回は少し長くなってしまいましたが、お楽しみいただけたのなら幸いです。

2019年8月21日

美咲凌介(みさきりょうすけ)

1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。

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初出:P+D MAGAZINE(2019/08/23)

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