【SM小説】美咲凌介の連載掌編「どことなくSM劇場」第18話 学園祭不連続盗難事件――どえむ探偵秋月涼子の鎖自慢
人気SM作家・美咲凌介による、書き下ろし掌編小説・第18回目は「学園祭不連続盗難事件」。鍵を握るアイテムはなんと「鎖」。SMの香が色濃く漂います……! 「どえむ探偵秋月涼子」の「鎖自慢」とは?
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ごく簡単にまとめてしまうと、それは、こんな物語だった。
時代はわからない。かなり昔のことなのかもしれない。舞台もわからない。たぶん外国のどこかだろう。
青年と娘がいっしょに暮らしていた。青年の右目の瞳は青、左目の瞳は緑だった。娘の右目の瞳は緑、左目の瞳は青だった。
娘は真っ白で大きな犬を飼いたがっていた。しかし、二人はとても貧しかったので、犬を飼う余裕などはなかったのである。そのことが元で、二人は時々悲しい諍いをした。
ある夜、魔法使いの老婆が二人のもとを訪れた。老婆は言った。
「青い瞳と緑の瞳を持つ二人がともに願いを言えば、どんな願いでもかなうのだよ」と。
青年は願った。「どうか、この娘とずっといっしょにいられますように!」
娘は願った。「どうか真っ白で大きな犬が飼えますように!」
その夜以来、青年の姿は消え、娘は真っ白で大きな犬といっしょに暮すようになった。その犬の右目の瞳は青、左目の瞳は緑色をしていた。
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この物語を書いたのは、聖風学園文化大学文学部国文科三年生の春日大地くん。文芸部所属。新宮真琴さんとは、学年も学科も同じである。大学入学以来の付き合いで、古い言い方をすれば言葉敵といったところか。会えば互いに悪口を言い合う仲である。
よく男女の友情は存在するか否かという問題が話題になるが、真琴さんは存在する派である。高校時代も男子生徒――それも少しだけガラのよくないタイプ――とは恋愛抜きで割と仲がよかったし、大学に入ってからは、この春日くんの存在がその証拠になると考えている。
初めこの物語を見せられたとき、真琴さんはあまり感心しなかった。少し感傷的にすぎるのではないか? 春日くんがこれを、あるタウン誌が月例で募集している短編小説の賞に応募すると言ったときには、「おそらく落選するだろう」と予測した。
「ほう、それなら、もし入選したら飯でもおごってもらおうじゃないか」とは、そのときの春日くんの言葉。
「受けて立とう」と真琴さん。
今、春日くんが真琴さんの金で、けっこう高級なレストランのステーキを貪り食っているのは、そういうわけである。
真琴さんは、自宅で涼子といっしょに食事をとるつもりなので、サラダとコーヒーだけにした。それに財布の事情もある。お金持ちの子女が多く通うこの大学の近所は、変にお高いレストランが多い。今、二人がいる店も、その一つなのである。
「それにしても、あの程度で入選してしまうなんて、要するに賞のレベルが低いっていうことじゃないの?」
そう言った真琴さんの目をじっと見つめたまま、春日くんはしばらく肉をもぐもぐと噛んでいたが、やがてぐっと飲み込むと
「そういう負け惜しみは言わないほうがいいよ、新宮さん」
春日くんはあまり行儀がよいとは言えないが、クチャラーでない点は評価したい。
「自分が間違っていましたって、素直に認めたほうがいいと思うね」
「落選するだろうという予測は間違っていたけど、作品に対する評価自体は変わらない」
「負けず嫌いだなあ。まあ、ぼくは君に経済的損失を与えただけで、十分満足だけどね」
「春日くんこそ、そういう憎まれ口はきかないほうがいい。ほら、わたしだって、君に敬意を表して、この雑誌を自腹で買ってあげたんだからね」
真琴さんは、バッグから例のタウン誌を取り出し、春日くんの小説が載っているページを開いた。
「読まなくていいよ、どうせ粗捜しするだけなんだろうから」
そんな春日くんの言葉を無視して、真琴さんはその物語を初めから読み直していく。もうサラダを食べ終わってしまっていて、暇だったのだ。
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しばらくして、真琴さんはぽつりと言った。
「なんだか、似たようなのを読んだ気がする」
「おっ。今度は盗作呼ばわりか」
「そういうわけじゃないけど……」
「まあ、似たオチの話はあるかもしれないな。変身譚っていうのは、ある程度型が決まっちゃうから。それよりも文体に着目してくれ」
「いや、まさにその文体に関わる話だけどね……ほら、魔法使いが現れる場面があるだろ? 『雨が降っていた』で始まって、『雨は止んでいた』で終わるところ」
「あるね」
「これと同じような文章を、たしかにどこかで読んだような……」
「あくまでケチをつけようって魂胆だな」
「そういうわけじゃない。ただ、そんな記憶があるというだけで……」
「まあ、芥川龍之介と梶井基次郎ばかり読んでいる君から、そう言われるってことは、ぼくの文章もそのレベルになったという誉め言葉として受け取っておこうか。ああ、いや、君は推理小説もたくさん読むんだったね。それにしても、どうにも勘に触るな……」
春日くんは、しばらく考えこんで
「よし、それじゃこうしよう。君が、ぼくのに似ているっていう、その作品を見つけ出してきて、ほら、ここに同じような文章があるって指摘できたら、今度はぼくが飯をおごろうじゃないか。ただし、期限を決める。学園祭が始まるまでっていうのは、どうだ?」
今は十一月半ば。学園祭までは一週間と少しである。
「どうして期限を決める必要があるの?」
「『雨が降っていた』で始まって『雨は止んでいた』で終わる段落なんて、しらみつぶしに探せば、どこかにはあるだろう? 君が今まで読んでもいない作品まであさって、それを見つけたとしたら、公平だとは言えないからね」
あまり納得のいく説明ではなかったが、真琴さんはこれも受けて立つことにした。
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しばらくすると、涼子がやってきた。真琴さんが呼んでいたのである。今夜は、涼子をアパートの部屋にまで連れ帰って、食事のあと、恒例のSM遊びを楽しもうという予定を立てている。
秋月涼子。聖風学園文化大学文学部英文科の二年生で、この地方きっての資産家の箱入り娘。そして、真琴さんのことを「お姉さま、お姉さま」と呼んで慕い、いつでもトコトコとあとをついて回る、真琴さんのかわいい後輩。それだけではなく、真琴さんのSM遊びのお相手までを務めてくれる、自称ドMの小柄な美少女である。
「お姉さま、春日先輩、ごきげんよう」
涼子は、真琴さんの隣に腰かけると、ふうっとため息をつき
「会議が長引いてしまって……」
真琴さんと涼子は、二人ともミステリー研究会に所属している。そのミス研の渉外を務める涼子は、このところ学園祭関係の会議によく出席しているのである。
「ああ、模擬店の場所取りの会議だね」と、春日くん。
「そうなんです。もう一度は決まっていて、机やなんかを運び出してるサークルもあるのに、また変更してほしいって言いだすところもあって……。なかなか決着がつかないんです。文芸部さんは、模擬店をなさるんですの?」
「いや、うちはやらない。怠け者ばっかりだから」
「ミス研もです。それなのに、会議には出なくてはならないんです。理不尽ですわ。ああ、でも……お姉さま?」
涼子は、真琴さんの顔を見上げるようにして
「耳寄りな情報も手に入れてきたんです。マンガ研究会で、似顔絵用に用意していた色紙が一枚なくなったんですって。それに、囲碁部では湯呑が五つも消えたそうですわ」
「それのどこが耳寄りな情報なの?」
「涼子、これは盗難事件じゃないかって思うんですの。学園祭連続盗難事件。なんだか胸がわくわくします。この事件を涼子とお姉さまで解決すれば、ますます名声が上がること、間違いなしです!」
「涼子、今の発言にはだいぶ問題があるぞ」
「あら、どうしてです?」
「まず、盗難事件である可能性は、そんなに高くない。誰かがどこかに置き忘れただけっていう可能性のほうが高そうだ。次に、それが盗難事件だとしても、涼子がそれを解決しなくちゃならない理由がない。まして、わたしが探偵ごっこをしなくちゃならない必然性なんて一つもない。最後に、ますます名声が上がるって言うけど、そもそも名声なんて存在していない」
「いや、そうでもないよ」と、春日くん。
「君たち、少しだけ有名になってるよ。なんでも、遺産探しで何百万か儲けたとか、消えた万年筆事件というのがあって、それを見事に解決したとか……文芸部の後輩も噂してた」
「ほら、お姉さま。御覧なさい」
「春日くん、あんまり煽らないでくれる? この子、ますます調子に乗っちゃうから」
「お姉さまったら、意地悪ばかりおっしゃって。実際に解決したんですから、正当な評価ですわ。それに、本当は、少しだけ有名になったくらいじゃ、まだ足りないんです。だって、涼子、将来は探偵事務所を開きますでしょう? そのときすぐにお客さんが殺到するように、今からすごい評判を立てておきたいんですの」
そうなのだ。涼子は大学を卒業したら、すぐに自分で探偵事務所を開くと宣言している。それも自分はドMだから、世界初のドM探偵として活躍すると称しているのだ。
ドM探偵が本領を発揮するには、Sのパートナーが必要である。そのためには、真琴さんにぜひとも協力してもらいたい。最近はそんなことまで、ベッドの中でねだるようになってきた。
バカなのか? バカなのだろう。
「まあ、どうでもいいけど……」
文芸部でも噂になったという、その噂の出どころは、おそらく涼子本人に違いない。真琴さんはそんなことも思ったが、わざわざ指摘するのはやめておいた。少し面倒くさくなったのだ。
「それより、ほら。この雑誌を見て。春日くんの小説が載ってるんだよ。入選したんだって」
「まあ、本当ですの。素晴らしいですわ。あたし、自分でも一冊買います。いいえ、何冊も買って、知り合いに配りますわ。うちの大学の名誉でもありますし……」
「いや、まあ……」と、春日くんが戸惑うほど大仰に、涼子は褒め称えた。根っから褒め上手なのである。
「ここで読んでもいいんですの? いいえ、ぜひ今、読ませてくださいね」
「別に無理に読まなくても……」
「そんなことおっしゃらずに、ぜひ読ませてください」
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読み終えると、涼子は一言、こう言った。
「これは……SMですね」
「え?」と、春日くん。
「間違いなく、SMですわ。この青年は、娘をとても愛していました。そして、それだけが……娘への愛だけが、彼の望みだったんです。ですから、娘に飼われる犬になることで、その望みを、全き形でかなえることができたんですわ! なんて美しい物語なんでしょう。涼子、とっても感動しました」
「ええっと。あの……」
「ですけど、涼子、ほんの少しだけ不満がありますの。いいえ、おっしゃらないで……どんな名作にだって、欠点はありますわ。この作品の場合、最後の場面が物足りないんです。というのも、この犬が最後、鎖に繋がれているかどうか、書かれていませんでしょう? それって、とっても大切なことだと思うんです。もちろん鎖に繋がれているべきですわ。それも重い鉄の鎖に。そうでなければ、犬になった青年の悦びは、完全なものにはなりません。涼子、自分もドMだから、すごくよくわかるんです。この小説は、最後に犬になった青年を繋ぐ、重い鎖の描写で終わるべきですわ」
「いや、ぼくのイメージでは……」
「いいえ、いいえ」
涼子は繰り返した。
「春日先輩も、心の奥底では、この犬は鎖に繋がれているべきだと、お考えのはずです。でも、まだその本当のお気持ちに気づいていないだけなんですわ。もちろん、自分がMだってことを認めるのに抵抗があるのは、よくわかります。でも、涼子、自分の気持ちを正面から見つめることが大切だと思いますの。そもそも、SMというものは……」
「いや、この話はSMなんかには関係がなくて」
「そんなはずありませんわ、春日先輩。だって涼子、この犬にされた青年の気持ちが、とってもよくわかりますの。鎖に繋がれる。その鎖が、青年にとっては誇らしいものなんです。Mにとって自分を繋ぐ鎖がある……その鎖が自分の愛するSの手に握られているということは、幸福であると同時に、誇りの根源なんです」
「そんな奴隷の鎖自慢のような話をされても……」
「奴隷の鎖自慢。まさに、それです! もちろん、この言葉は普通、ブラック企業に勤めるサラリーマンの残業自慢のような意味で使われますけど、涼子、それは間違った使い方だと常々思っていたんですの。正統なSMでこの言葉を使えば……」
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「まあまあ、涼子。そのあたりでやめなさい」
真琴さんは、そう言いながら片手のてのひらで、涼子の口をそっとふさいだ。春日くんがあまりに驚いたようなので、少しばかり気の毒になったのだ。それに、レストランの中であまりSM、SMと連呼されるのも、具合が悪い。涼子のやわらかな声は、とてもよく響くのである。
「それより、ほら……ここの段落。『雨が降っていた』で始まって、『雨は止んでいた』で終わる、この段落だけどね、どう思う?」
「魔法使いが登場する場面ですね。暗い雰囲気があって、とってもお上手と感じましたわ」
「どこかで読んだことはない?」
「それはダメだよ」と、春日くんが口を挟む。
「新宮さんが読んだことがあるって言ったんだから、新宮さん自身で思い出さなくちゃ。他人の記憶まで使ったら反則だ」
どういうことです? と尋ねる涼子に、真琴さんと春日くんが交互に、いきさつを説明してやった。
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春日くんは、なんだか納得いかなそうな顔つきのまま、首をひねりながら帰って行った。涼子のSM風解釈に毒気を抜かれたという感じ。
真琴さんはニヤニヤ笑いながら、その後ろ姿を見送ると、涼子に声をかけた。
「さ、わたしの部屋に行くよ」
「はい、お姉さま」
涼子は、自分の腕を真琴さんの腕に絡ませ、ぴたりと寄り添ってきた。その耳元に、そっと囁いてやる。
「鎖について、あとで話があるからね……」
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真琴さんは今、パジャマに着替えてベッドに腰かけている。膝の上には、裸になった涼子が横座りになっている。
十一月にもなれば、さすがに夜は冷える。だが、部屋の中は、エアコンの暖房に加え灯油ファンヒーターまで動員しているので、むやみに暖かい。裸にした涼子に風邪などひかせてはならないからだ。
真琴さんは、涼子の頬に何度かキスをしてやって
「どう? 涼子。もっとたくさんキスをしてほしい? それともわたしのキスはいや?」
「たくさん……してほしいです。涼子、お姉さまにしていただくキス、大好きですわ」
「そう? 今夜はね、涼子のお返事次第では、たくさんたくさんキスしてあげようと思ってるの。それだけじゃないんだよ? 涼子の好きなようにご奉仕させてあげてもいいの」
「涼子の好きなように……って、目隠しもなしで、手も縛らないで、ご奉仕してもよろしいんですか」
「そうだよ」
真琴さんと涼子のSM遊びには大まかなルールがあって、最初の一時間は拘束の時間、つまり真琴さんが涼子を拘束して、さまざまなやり方で涼子を辱めることになっている。今夜は真琴さん自身の腕で涼子を抱きすくめ、拘束しているというわけなのだ。
次の一時間は、ご奉仕の時間。もちろん涼子が真琴さんに性的なご奉仕をするわけだが、そのご奉仕が上手すぎるというので、この半年ほどは涼子に目隠しをしたり、手首を縛ったりしている。そのほうがたどたどしい感じがして、真琴さん好みなのだ。真琴さんはあまり激しい快楽は求めていないのである。
「それでね、涼子」
真琴さんは涼子の髪をなでながら、言葉を継いでいく。
「わたしの質問に上手に答えてほしいの。ほら、床になにかあるでしょう? 右にあるのは、なにかしら」
「鎖……です」
「誰が持ってきた、どんな鎖?」
「涼子の持ってきた、鉄の鎖です」
「そうそう。このあいだは、あれで遊んだね。楽しかった?」
涼子は小さくうなずいた。
「いい子、いい子。じゃあ、今度は左を見て。あれはなんでしょう」
「あれも……鎖です」
「どんな?」
「あの……紙でできた鎖。お姉さまが作ったっておっしゃる……」
「そう。昨日、紙テープを買ってきて、手作りしたんだよ。五色も色を使ってあるから、とってもきれいね」
「でも、なんだか幼稚園のお遊戯会で使う……あっ」
真琴さんが、乳首を軽くひねってやると、涼子は小さな叫び声をあげた。
「余計なことは言わなくていいの。わたしの質問にだけ、答えなさい」
「ごめんなさい、お姉さま」
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「それでね、涼子。学園祭のコスプレで使う鎖だけど……」
ミス研は学園祭で、部員たちの書いた小説やら評論を載せた『濃夢』という雑誌を販売する。しかし、ただそれだけではあまりに芸がないというので、売り子を務める部員がコスプレをすることになっている。去年、真琴さんと涼子は若い王子と女奴隷のコスプレをしたのだが、今年は真琴さんがシャーロック・ホームズ、涼子は『四つの署名』で活躍する探偵犬のトビーに扮することにしているのだ。
その際、ホームズの真琴さんがトビーの涼子を鎖で繋ぐことにしたい、というのが、涼子の希望なのである。
「そこにある鉄の鎖と紙の鎖、どっちがいいと思う? 涼子の意見を聞きたいの」
「もちろん涼子は、鉄の……」
真琴さんは、涼子の口をてのひらで押さえた。
「慌てないで、涼子。わたしの言うことを全部聞いてから、答えてね」
「は、い……」
「わたしはね、こう思うの。鉄の鎖をつけてるとね、わたしか涼子のどっちかが転んだりしたとき、とっても危ないと思うんだ。それだけじゃないよ? 階段から足を踏みはずすとか、なにかに鎖の端が絡まるとか……そんなことがあったら、涼子の首が折れてしまうかも。ああ、想像するだけで震えちゃう」
「まさか、そんな……」
「黙って」
実際、一月ほど前に涼子がコスプレで鎖を使いたいと言ったときから、真琴さんはずっとその空想に悩まされてきたのだ。一見、リアリストに見える真琴さんだが、実はかなり空想に囚われる性である。むしろ妄想と言ったほうが適切か。
そんな妄想家だからこそ、涼子をSM遊びのパートナーにすることができたとも言えるだろう。普通の人間なら、この地方きっての資産家の箱入り娘を、いくら本人がMだと自称したところで、実際に自分のM奴隷に調教してしまおうとは考えもしないはずだ。しかし、真琴さんはそうした関係を想像し、空想し、妄想した挙句――涼子自身がかなり積極的だったとはいえ――現実のものとしてしまったのである。
それだけに、真琴さんは自分の空想を重視している。特に悪いほうの空想については、用心しすぎることはないと感じている。
「涼子? わたしがどんなに涼子のことを大切に思っているか、わかってほしいの。この部屋で調教するときだって、すごく気をつけているんだよ。でも、外に出たらどんな事故が起きるかわからないし……ね? その点、紙の鎖だったら、危ないときにはすぐにちぎれるし、ぐるぐる巻きになったって、首が締まることはないでしょう? ああ、それからね……鉄の鎖だと、実際に学園祭で売り子に立ったとき、引いちゃうお客さんもいると思うんだ。その点、わたしの作った紙の鎖だったら、涼子が今言ったように、幼稚園のお遊戯っぽいから、冗談だって思ってくれるだろうしね」
「でも、涼子のお姉さまへの忠誠は、冗談なんかじゃありません」
「ああ、うれしい」
真琴さんは、涼子の頬に、また何度かキスをしてやった。
「涼子のその気持ち、とてもうれしいよ。でも、それは二人だけが知っていればいいことだと思うの。もちろん、それを尊重してくれる人たちに知ってもらうのも、いいことだよ。でもね、みんなに知ってもらう必要は、ないんじゃないかな」
涼子は、小さくうなずいた。
「じゃあ、答えて。コスプレのときに使う鎖は、どっちがいい? 鉄の鎖? それとも、わたしが丹精して作った紙の鎖?」
「紙の……鎖です」
「いい子だね、涼子。大好き」
真琴さんは、涼子をぎゅっと抱きしめ、その頬に、唇に、何度もキスをしてやった。涼子は、キスを受けながら切れ切れに
「お姉さま。あの……あの……本当に今夜は、涼子の好きなようにご奉仕……ご奉仕していいんですの?」
「そうだよ、涼子。聞き分けのいい子に、ご褒美だよ」
そう答えながら、真琴さんはふと、心の片隅に不安がよぎるのを感じた。今夜の涼子は、なんだか聞き分けがよすぎるのではないか?
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翌日、ミス研の部室でのこと。
真琴さんは、印刷所から届いた『濃夢』を箱から取り出し、十冊ずつ小分けする作業に没頭していた。他の部員は皆、販売会場となる会議室――そこにはミス研の活動成果を示すいくつかの展示もする予定だった――のほうに出ていて、部室には真琴さんしかいない。
そこに、涼子がなんだか大きな袋を提げてやってきた。
「ごきげんよう、お姉さま」
「また会議だったの?」
「ええ。あら、涼子も手伝いますわ。でもちょっと待ってくださいね。これを……」
と言って、袋の中をガサゴソとあさっている。
「それ、なに?」
「ワンちゃんの着ぐるみですわ。ほら、涼子がコスプレするトビーの……」
「え? もう用意できてたじゃないか」
学園祭でのコスプレの衣装は、ネットで涼子が注文したのだが、真琴さんのホームズ、涼子のトピー、どちらもとっくに届いていて、ちゃんと二人で試着も済ませているのである。
「でも、あれはちょっと似合わない感じがして。だから、別のを探してみましたの。それで……とりあえずお姉さまにも見ていただこうと思って。どうしましょう? 今、誰もいませんし、ここで着替えて……」
「いや、それはやめておいたほうがいいよ。みんな、もうすぐ帰って来そうだし。今夜、またわたしの部屋においで」
「じゃ、そうします。あっ、それから、お姉さま? 例の盗難事件ですけど……」
「盗難事件?」
「ほら、昨日、申し上げたじゃありませんか。マンガ研究会で色紙が盗まれて、囲碁部では湯呑が盗まれたって」
「ああ、あれね。でも盗難と決まったわけじゃ……」
「それが、今度は演劇部でカツラがなくなったんですって。やっぱりこれは、連続盗難事件の可能性大ですわ。それで涼子、ちょっと聞き込みに行ってきたんです。マンガ研究会と囲碁部と演劇部に……」
「また余計なことをして」
――と言った真琴さんを完全に無視して、涼子は少し早口になってしゃべり続ける。よほど興奮しているのか――
「もちろん、これは聞き込みですって、わざわざ宣言したわけじゃありませんのよ。さりげないおしゃべりっていう感じで……物がなくなった場所は、けっこういろいろでしたわ。部室から消えたっていうケースもあれば、模擬店の場所に運んだものがなくなったケースもあって、統一性がないんです。それから、最大の疑問は動機。これですわ。湯呑なんか盗んで、いったいなんにするんでしょう。別に特に高価なものでもなかったようですし……」
「ただの偶然じゃないのか」
「そうでしょうか。あの……これ、涼子のロッカーにうまく入りません」
さっきから涼子は、しゃべりながらロッカーに着ぐるみの袋を押し込もうとして、袋をガサガサ言わせている。涼子のロッカーの中には、既に真琴さんと涼子、二人分のコスプレ衣装が入れてあるのだ。その後ろ姿に真琴さんは――
「無理してロッカーに押し込むことはないよ。だって、このあとわたしの部屋に行って、試着してみるんだろ? むしろ、今入っているのも出しちゃって、まとめてテーブルの上にでも置いておくといい。わたしも、もう一度試着してみたいから」
「わかりました、お姉さま。そうします」
涼子はまた、紙袋をガサゴソいわせていたが、突然、頓狂な叫び声をあげた。
「あら?」
「ん? どうした?」
「あらあらあら?」
「だから、どうした?」
「お姉さま、鎖がありませんわ」
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真琴さんが手作りした、例の紙テープ製の鎖が消えていたのである。鎖は、涼子のロッカーの中、シャーロック・ホームズの衣装の入った袋の上に、つぶれないように置いていたはずだ。それがどこかに消え失せている。
ロッカーには、ナンバー式の小さな南京錠がかかっていた。そのナンバーは、涼子と真琴さんしか知らない。もっとも、チャチな三桁のナンバー錠だから、数分の時間さえあれば誰でも開けられそうではある。
「やっぱり!」と、涼子がよく響く声で言った。
「連続盗難事件ですわ!」
「さあ、どうだろう?」と、真琴さんは少し疑わし気な声で答えた。
そのとき、ノックの音がした。
「どうぞ」という真琴さんの声が終わらないうちに、春日くんの顔がぬっとのぞく。
「連続盗難事件とか言ってたみたいだけど……」
「ええ、そうなんです」と涼子。
「演劇部で、カツラがなくなったってね」
「知ってます。涼子、たった今、聞き込みに行ってきたところなんです」
「それも聞いたよ。ミス研の女探偵まで出張ってきたくらいだから、やっぱり盗まれたんだろうって、騒いでた」
「なんだ、涼子。さりげなくって言ってたけど、バレてるじゃないか」
真琴さんが笑うと、涼子は少し頬を染めて――
「あの……あの……涼子、まだ修業が足りないのかもしれません」
「でも、探偵さんには、がんばってもらわなくちゃね」と、春日くんは励ますように言った。
「実は、わが文芸部もやられたかもしれない。聖風文学のバックナンバーが、ちょうど十冊、ごっそり棚からなくなったんだ」
「まあ、文芸部でも?」と涼子。
「実は、うちもたった今、発覚したところなんだ」と真琴さん。
「鎖がなくなっちゃったんだよ」
「えっ」と、春日くんは、心底驚いたような声を出した。そして、しばらく黙ったまま、真琴さんと涼子の顔を見つめ、なんだか当たり前すぎるようなことを言った。
「じゃあ、やっぱり本当に連続盗難事件が起こっているのか。驚いたなあ」
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「とにかくだね、この三人で、状況をまとめてみようじゃないか」
春日くんは、いつの間にかミス研の部室の奥まで入ってきて、どっかり椅子に座り込んでいる。真琴さんと気が合うだけあって、物怖じしない性格なのである。
「盗まれたものは……と、囲碁部では湯呑が五個。マンガ研究会では色紙が一枚。演劇部ではカツラが一つ。で、君たちのミス研では鎖が一本。わが文芸部では雑誌が十冊」
「数も別に揃っていませんわねえ」と涼子。
「だいたい、どれも盗まれても困るようなものでもなさそうだね」
そう言った真琴さんに、春日くんは抗議するように
「そんなことはない。うちの聖風文学は貴重品だ」
「以前ざっと読んだが、大したものはなかったみたいだけど」
「相変わらず君は失礼だな。でも、まあ、今はいいや。作品の質云々よりだね、部の歴史という意味で重要なんだ。なによりの問題はだな……保管責任者がぼくってことだ。あれが戻ってこないということになると、ぼくが責任を取らなくちゃならないんだよ。でも、どうやって責任を取ればいい?」
「そんなこと、わたしに聞かれてもわからない」
「君のところの……その鎖っていうのは、大切なものじゃないのか?」
「それほどでもないかな? 紙で作ったコスプレ用の鎖なんだよ。子供用のパーティグッズで、ペーパーチェーンっていう奴? 作ろうと思えば、またすぐ作れるし」
「でも、お姉さま、お忙しいでしょう? 涼子が代わりに作ってもいいんですけど、涼子もとっても忙しくて……あの……あの……」
涼子は、さっきからなんだかもじもじしている。
「どうした?」
「もしよかったら、あの鎖の代わりに、涼子の買ってきた鉄の鎖を使っても……もちろん涼子、危なくないよう、とっても気をつけますわ。それに、ほら……階段だとか危険なところでは繋がないでおいて、販売会場でだけ、繋ぐようにしてもいいわけですし」
「そうだね。あとでよく相談しよう。それより今は、盗難事件だろ?」
「そうでした」と、涼子は口調を変えて――
「文芸部の聖風文学も大切なものみたいですけど、演劇部のカツラもすごく大切なものだったみたいです。なんでも学園祭でやるお芝居の、準主役の人が使うはずのものらしいですわ」
「ん? そうなのか?」と、春日くんは敏感に反応した。
「それに、さっきお姉さまにも申し上げたんですけど、問題は動機です。まず、お金が絡んでいないということは、間違いありません。たとえば文芸部さんの雑誌にしても、それは文芸部の人にとっては貴重なものだとしても、それを売ってお金になるというようなものではないでしょう?」
「たしかに。だから、ぼくは何か心情的な……ルサンチマンとでもいうのか……そんなものが動機となっているような気がする」
「盗まれた品物が、なにかのメッセージになっているとか……そんなことはないでしょうか、お姉さま」
「わたしは……ないと思う」
「そうか? 色紙、湯呑、かつら。それに、うちの雑誌。鎖……待てよ?」
「なにか思いつきましたの? 春日先輩」
「うん。ちょっと待って……これを並べかえて……カツラはウィッグともいうよね。そして、うちで盗まれた聖風文学は、バックナンバー。いわば古い本。古本……ちょっと、なにか書くものはないか?」
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真琴さんがボールペンとレポート用紙を差し出すと、春日くんは、右肩上がりの癖のある字で――
「古本 鎖 色紙 湯呑 ウィッグ」と書いた。
「ほら、新宮さん。これを見て」
「それが?」
「ひらがなにして、最初の文字だけを続けてみろよ。『ふるほん』の『ふ』、『くさり』の『く』、『しきし』の『し』、『ゆのみ』の『ゆ』、『ういっぐ』の『う』。ふくしゆう。……復讐だよ、復讐。だれかが、ぼくらに復讐をしようとしているんだ。これは、その警告なんだよ」
「ああ、本当に」と、涼子も声が大きくなった。
「そうかもしれませんわ! お姉さま? お姉さまはどうお思いになります?」
「わたし? わたしはね、その考えは、完全に間違ってると思うよ」
「どうして」と春日くん。
「なぜですの?」と涼子。
「それはね、この五つの盗難事件は、連続したものではないからさ。これは……もし本当に盗難だとしてもね……続き物じゃないんだ。不連続盗難事件なんだよ。わたしは、そのことを知ってるんだ」
涼子と春日くんは、ほぼ同時に「えっ……」と声を上げて、真琴さんの顔を見つめた。二人とも、幽霊でも見るような顔をしていた。その表情が不思議なくらいよく似ていたので、真琴さんはなんだかおかしくなった。
二人から答え合わせを迫られたらどうしよう、今はまだ、そうする気分になれないのだけれど……。しかし、真琴さんのそんな心配は杞憂に終わった。ちょうどそのとき、会議室のほうに行っていた部員たちが、どやどやと一斉に戻ってきたのだ。
真琴さんは彼らに、連続盗難事件とやらの概要を話してやった。(込み入った話を簡潔にまとめるのは、真琴さんの最も得意とするところなのである。)さすがにミステリー研究会の面々だけあって、議論百出、瞬く間に時間が過ぎていく。春日くんは、心当たりのある場所をもう一度探してみると言って、途中で部室を出て行った。
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その夜。真琴さんの部屋でのこと。
昨夜と同じように、部屋の中は暖かくしてある。しかし、真琴さんはまだ涼子を裸にしてはいない。今夜は、その前に涼子に話すことがあるのだ。
だが、先に口を開いたのは、涼子のほうだった。
「あの……お姉さま?」
涼子は、ベッドに腰かけた真琴さんの足元に、お行儀よくひざまずいている。
「涼子、お姉さまに告白したいことがありますの」
「ちょっと待って」
真琴さんは、少しだけ厳しい口調で言った。
「涼子の話したいことは、予想がついてるよ。でも、今夜はわたのほうが先に、そのことについてお前に聞きたいの」
「でも、お姉さま?」
「いいえ、ダメ。先にわたしに質問させなさい」
「はい」と、涼子はか細い声で答えた。
「あの紙の鎖を盗んだのは、涼子でしょう? いったいどこに隠したの? くしゃくしゃに丸めて、袋の下に押し込んじゃった?」
「いいえ……お姉さまに作っていただいたもの、そんなふうにはできません。あの……実は、お姉さまのロッカーの中に隠したんです。あのとき、自分のロッカーに荷物を入れるふりをして、こっそりお姉さまのロッカーも開けて、そちらにそっと移したんですわ」
「うん。その点は感心ね」
「あの……涼子が盗んだって、どうしておわかりになりましたの?」
「だって、密室殺人の一番単純な手口と同じじゃないか。発見者すなわち犯人のパターンだろ? 誰でもすぐにわかるよ」
「涼子もそう思ったんです。すぐにお姉さまに見破られるって。それで、その場で白状して、叱っていただこうと思いましたの。でも、なぜかそうならなくて、ずるずると長引いて、あとに引けなくなってしまったんです。お姉さま、すぐにはおわかりになりませんでしたの?」
「また、そんな挑発的なことを言って。生意気だなあ」
「ごめんなさい」
「すぐにわかったよ。でも、あのとき、ちょうど春日くんが来ちゃったから、言い出せなくなったんだ。それに春日くんもなんだか張り切ってたみたいだしね。ぼくたちに対する復讐だ、なんて言っちゃって。涼子もそれに乗っかって、鎖がなくなったのを、ほかの事件の中に紛れ込ませようとしてたじゃないか」
「ええ。でも、お姉さまが連続盗難事件じゃない、不連続盗難事件だっておっしゃったときに、涼子、ああバレてるってわかったんです。お姉さまのあの台詞、とっても決まってましたわ」
「おまけに、わたしにバレてないと思っているうちは、鉄の鎖をコスプレに使わせようと画策までして。恐ろしい子」
「そんな……お姉さま。涼子、もしお姉さまが許してくださるなら……って、はかない希望を抱いただけです。でも、お姉さま。今夜はお姉さまの気の済むまで、涼子を叱ってくださってもかまいません。ね? ね? だから……」
ひざまずいたまま、涼子はじりじりと上半身を伸ばして、真琴さんにすがりつこうとする。真琴さんは、身体を素早くずらしてそれをかわした。
15
「ダメよ、涼子。今夜は、いつもとは違う、ずっとずっと厳しい罰をあげるんだから。それに耐えられたら、ご奉仕を許してあげる」
「どんな罰ですの?」
「あの鉄の鎖が大好きみたいだから、あれで繋いであげる。でも、いつもとは違うんだ。わたしは、シャーロック・ホームズになるわ。涼子は、犬のトビー。でも、着ぐるみは着せてあげない。裸で犬の耳だけつけなさい」
「それで……四つん這いで床を這いまわるんですのね?」
「そう。でも、それもいつもとは違うの。膝をついてはダメ。だって、本当の犬は、膝なんてつかないでしょう? どう? とってもぶざまな姿になるでしょうね。上手に這えなかったら、スパンキングの罰をあげる。それも、わたしの手では叩いてあげない。鎖を使って、叩いてあげる。きっと痛いでしょうねえ」
「ああ」
涼子の顔がうっとりと火照った。
「メス犬プレイですね。涼子、ずっとあこがれていましたわ」
「プレイなんて言ってはダメ。真剣にやるんだから」
「はい……」と、涼子は小さな声で返事をした。
16
三時間後、真琴さんと涼子は、ベッドの上、厚めの毛布の中でしっかりと抱き合っていた。既にシャワーも使っていて、もう着替えてもいいのだが、なんとなく名残惜しくてまたベッドに潜り込んでしまったのだ。
しかし、そろそろ起きて涼子を送って行かなければならない。それがわかっているのに、なんだか気怠かった。
涼子の首筋には、幾筋か、首輪の擦れた跡が赤くなって残っている。
「かわいそう」
真琴さんは、そこにそって口づけしてやった。
「お姉さま、素敵でしたわ」
涼子は真琴さんの胸に顔を埋め、ぎゅっと両腕に力を込めて抱きついてきた。
「毎晩こんなふうにしていただけるなら、涼子、もう決してお姉さまに反抗したりいたしませんわ」
「え? 毎晩は、無理だよ」
「じゃあ、少しでもたくさん」
「ところで、涼子」
「はい?」
「SMをやったんだから、推理が働いたんじゃない? 鎖の犯人はお前だったわけだけど、ほかの犯人の見当はつかないの? ほら、たとえば春日くんのところの雑誌を盗んだ犯人とか……それともやっぱり盗難事件なんかじゃなくて、単に物を紛失したってだけなのかな」
「ああ、あれは、たぶんわかりましたわ」と、涼子は眠そうな声で言った。
「本当に? 犯人は?」
「文芸部の雑誌を盗んだのは、春日先輩だと思います。涼子と同じ発想です。ほかの事件の中に紛れ込ませて、自分の動機を隠そうとしたんですわ。涼子、お姉さまに叱られているときに、もう気がついてしまいましたの」
そうか。だから、不連続盗難事件だと言ったとき、春日くんも涼子と同じような表情をしていたのか。でも……
「その動機は? どうして自分の部の雑誌を隠す必要があるんだ?」
「ほら、あの賭けですわ、お姉さま。春日先輩の作品の中の一段落……なんでしたっけ? 雨が降っていたで始まるとか、終わるとかいう段落が、ほかの作品にもあったって、お姉さまがおっしゃったんでしょう?……それで、じゃあ、その作品を見つけ出したら、ご飯をおごってあげるって春日先輩が言いだして……。そのあとたぶん、春日先輩は、昔の文芸部の部誌に載っている作品に同じようなところがあるのを、思い出したんですわ。だから、その部誌を隠してしまったんです。ほら、今日、お姉さまも、あの雑誌には大した作品は載ってなかったなんて、悪口をおっしゃっていましたね。ということは、お姉さまも、その本を読んだことがあるんでしょう」
たしかに、真琴さんは一時期、文芸部に入り浸って、聖風文学のバックナンバーを読みふけったことがある。それも春日くんと親しくなった理由の一つだ。
「そんな作品、あったかなあ」
しばらく考えているうちに、ようやく思い出した。それはエッセイ風の、特にオチもない、短い文章だったような気がする。情景描写ばかりで平板な作品だった。春日くんの寓話風な話とは、まるで作風が違う。ただ、たしかに「雨が降っていた」で始まり、「雨が止んでいた」で終わっていたような……いや、あれは最後も「雨が降っていた」ではなかったか。
思い出してみれば、ほとんど似ているところはなさそうだ。
「だから、お姉さま? 文芸部の部誌は、学園祭が始まるときには、きっと戻ってくると思います。あの賭けの期限は、学園祭が始まるまで、だったでしょう?」
「なるほどね」
「それから、もう一つ心配なのは、演劇部のカツラですけど、あれもひょっとしたら春日先輩がやったのかもしれません。だって、あれが大切なものだって涼子が言ったら、春日先輩、ぎょっとしたような顔をなさっていましたもの。でも、だとしたら、春日先輩はきっとさりげなく、カツラを戻してしまうと思います」
(後日談になるが、この涼子の予想は当たっていた。)
「盗作だって言われたような気がして、春日くん、気にしちゃったのかな。そんなに気にすることなんて、なさそうだけどね。実際は、ほとんど似たところはなかったんだから」
「気にしているんじゃなくて、お姉さまに勝ちたかったんですわ。春日先輩って、とってもプライドが高そうですもの」
「あの春日くんが?」
「ええ」と、涼子はうなずいた。
「プライドが高くなければ、あんなふうにお姉さまに太刀打ちできません。涼子、今回の件で、初めて知りましたわ。プライドがすごく高いMの人もいるんだってこと」
「春日くんはMには見えないなあ」
「Mです、間違いありません」と、涼子は断言した。そして、真琴さんの背中に回した腕に、さらに力を込めた。
「でも、お姉さまのMは、涼子だけですわ」
「まあ、春日くんがMかどうかなんてことは、どうでもいいけど」と、真琴さん。
「そのくらいプライドが高いなら、いつか、本当にいい作品が書けるのかもね」
◆おまけ 一言後書き◆
冒頭にある短い物語のあらすじは、以前私が別の筆名で書いてある本に載せた「カナリア」という作品と同工異曲です。(日本中で一人くらいは、お気づきの方がいるかもしれません。)そのまま引用しようかとも考えたのですが、なんだか版権の問題が生じそうだ――実はよくわからないし、出版契約書も紛失してしまっている――という気がしたので、カナリアを犬に変えるなどして、別の作品としました。
なお、「どえむ探偵シリーズ」は、ここでいったん休止します。(いつかまた再開したいものです。)次回からは、別のタイプのものをお届けする予定です。
2020年3月20日
美咲凌介(みさきりょうすけ)
1961年生まれ。福岡大学人文学部文化学科卒業。在学中、文芸部に所属し、小説や寓話の執筆を始める。1998年に「第四回フランス書院文庫新人賞」受賞。SMを題材とした代表作に『美少女とM奴隷女教師』『Sの放課後・Mの教室』(フランス書院)など。他に別名義で教育関連書、エッセイ集、寓話集など著書多数。
初出:P+D MAGAZINE(2020/03/29)