ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第五回 「福祉の街」を垣間見た

大阪のあいりん地区、横浜の寿町と並んで、東京三大ドヤ街と呼ばれる東京・山谷。戦後日本の高度経済成長を支えた労働者たちが住み着いていたかつての山谷には、「ヤマ王」と「ドヤ王」と呼ばれた伝説の男たちがいた。
昭和37年に山谷で起きた暴動の目撃者を探し始めた著者。そこで出会ったのは当時の目撃者ではなかったが、思いもよらぬ出会いの流れに身を任せてみると…

「山谷最大」宿泊施設の今

 (なみだ)(ばし)交差点から南にわずか数十メートル。吉野通り沿いに、老朽化が一際目立つ簡易宿泊施設が建つ。くすんだコンクリートの4階建てで、屋号を「パレスハウス」という。正面側の窓ガラスは中からベニヤ板が張られ、側面の窓ガラスはプラスチック製のような板で1枚1枚覆われているため、中はまるで見えない。両隣には、マンションを改装したような高層の簡易宿泊所が鎮座しているため、その間に挟まれたパレスハウスは小さく見えるが、近寄りがたい雰囲気を放っている。

パレスハウス
両隣に建つこぎれいな簡易宿泊施設とは異なり、独特の雰囲気を放っている「パレスハウス」。
(撮影:水谷竹秀)

 入り口には、「空室アリ2100円 1000円相室」と書かれた白い立て看板が見える。ドアも開いたままだ。私は中に入り、受付の窓口にいた、マスク姿のお婆さんに話し掛けた。取材である旨を伝えると、いきなりの訪問にやはり警戒したのか、そっけない態度で応対してきた。
「私たちはここに来てまだ間もないから山谷のこと、そしてパレスハウスのことは知りません。ちょっと今忙しいから」
 お婆さんはそう言って自転車でどこかへ出掛けた。窓口にはもう1人、頭の薄いお爺さんがいて、何やら探し物をしているようだったので、だめもとで聞いてみた。自転車で出掛けた女性の夫らしく、別の簡易宿泊施設からパレスハウスに管理人として移ってきたのだという。
「昔は日雇い労働者がたくさんいて活気があったんだけど、今はさっぱり。ここパレスハウスには今、宿泊者が70人ぐらいしかいないんじゃないかな」
「ここで一晩泊まれますか?」と私が尋ねると、
「忙しいからまた今度にして」
 とかわされ、窓口をピシャリと閉められた。たとえ取り合ってくれたとしても、一泊だけの宿泊は難しいかもしれない。パレスハウスは生活保護受給者を対象にしているからだ。山谷に点在する簡易宿泊施設をとりまとめる「城北旅館組合」には2018年12月現在、134軒が加盟している。このうち9割は生活保護受給者が対象だ。別名「福祉宿」と呼ばれ、一般の旅行者や観光客の受け入れには消極的である。なぜなら短期滞在の場合、部屋の掃除をしなければならず、人員不足からそこまで管理が行き届かないためだ。だから、たとえ空室があったとしても、入り口の窓に「満室」の札が掛けられているのがこの街の常識である。

満室の札
福祉宿には「満室」の札が掛けられている場合が多い。
(撮影:水谷竹秀)

 それにしても、このパレスハウスの滞在者が70人というのには驚いた。ここは「ヤマ王」こと()(やま)(じん)()(すけ)が出資者を募って設立した株式会社「山谷大衆旅館」が経営する簡易宿泊施設で、昭和37(1962)年に運営が始まった。「蚕棚」と呼ばれる二段式ベッドの部屋で、収容規模は約700人と、当時の山谷では最大を誇る簡易宿泊施設だったのだ。
 日雇い労働者が最も多かったのは東京オリンピックが開催される直前の昭和30年代半ばから後半にかけてで、その数は1万5千人に上った。以降はオイルショックなどの影響で日本経済が低迷し、宿泊施設に暮らしていた労働者の数は1万人に減少した。さらにバブル崩壊で労働需要は急減し、建設現場では作業の機械化も進んだため、労働者の減少傾向に拍車が掛かった。現在では約4千人まで減り、その9割が生活保護受給者である。高齢化も進み、平均年齢は66.1歳になった。当時は約700人も収容していた山谷最大の宿泊施設に、現在は70人しかいないという現状が、あたかもバブル崩壊後に衰退した日本社会を反映する縮図のようだった。
 そのパレスハウスに宿泊していた日雇い労働者の若者が発端となった暴動が、昭和37年11月に起きた。舞台は、帰山仁之助が経営する「あさひ食堂」で、酔っぱらった若者が女性店員の態度に腹を立て、お茶を引っかけた。これを見た男性店員と喧嘩となり、警察に連行された。ところが、最初に若者が引っ張られたために「不公平だ」と労働者たちの怒りが爆発した。食堂を取り囲んだ群集は約1500人に膨れ上がり、投石で食堂はめちゃくちゃに破壊された。翌日の新聞各紙では大きく報じられ、マンモス交番以外の場所が標的にされた暴動となった。後に複数の労働者が器物損壊の罪で起訴され、裁判沙汰にもなっている。経営者の帰山仁之助と、日雇い労働者や彼らを支援する活動家との対立の構図が表出した事件でもあり、暴動当時の山谷を理解する上では、重要な出来事の一つに位置づけられている。仁之助の息子、哲男さん(67)もこの事件の話になると過敏に反応するため、私は慎重に取材を進めることにした。

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