ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第五回 「福祉の街」を垣間見た

日雇い労働者が消えていく

 白鬚橋に向かう途中、私たちは上野公共職業安定所の玉姫労働出張所に立ち寄った。山谷に暮らす人々が仕事にありつくために必要な、通称「段ボール手帳」を入手するためだ。その目的を告げると、受付窓口の男性職員は型通りといった感じの説明をした。
「手帳を作ることはできますが、まずは上野か足立区のハローワークに行って仕事を探してみて下さい。そしてハローワークカードを作ってからまた相談に来て下さい」
 どうやらすんなりとは交付されないようだ。
 同出張所には「段ボール手帳」と「白手帳」と呼ばれる手帳があり、いずれかの交付を受けなければ仕事を紹介してもらえない。段ボール手帳の正式名称は「求職受付票」で、白手帳は「雇用保険被保険者手帳」。両者の違いは失業手当(通称・あぶれ手当て)が支給されるか否かで、最初に段ボール手帳を取得した後、住民票など必要書類を用意できれば白手帳にグレードアップするという仕組みだ。
 荒木によると、この段ボール手帳を入手すれば、輪番制で毎月2回程度、公園清掃の仕事が回ってくる。場所は代々木公園、日比谷公園、芝公園などで、午前7時に同出張所近くからバスが出発し、それぞれの現場へ向かう。
「仕事的には緩いです。竹ぼうきでゴミを集め、ちり取りでビニール袋に入れるだけ。午前に15分を2回、午後に15分を1回とかで終わります。場所によって時間や回数は異なりますが、代々木の場合、午後は集合写真を撮って終わりですからね。楽だから人気なんです。80歳のおじいちゃんでもできる仕事なんです。メディアに以前、『こんな仕事でいいのか』と叩かれたことがありました」
 日当は8千円で、弁当付き。茶封筒に入った現金が支給され、明細書も存在しないという。生活保護受給者が仕事をする場合、働いた分の給与は受給額から差し引かれなければならないが、この就労形態だと生活保護費と日当の両方を受け取ることが可能なため、自己申告しなければ不正受給になりかねない。
 このほか城北労働・福祉センターでも仕事を紹介しているが、土木や建設関係は高齢者の体が追いつかないため、募集をしても集まらない。残っている仕事といえば同じく、公園や道路の清掃だけだという。
 つまり、山谷には現在、かつてのような日雇い労働者はほとんどいない。「手配師」と呼ばれる、仕事を斡旋する業者の姿もこの街からは消えてしまった。生活保護受給者も高齢化が進み、いずれはいなくなる。山谷最大の簡易宿泊所、パレスハウスで告げられた「宿泊者70人」という現状が、寂れゆく街の実態を物語っているように思われた。一方で一部の簡易宿泊所は、外国人観光客や若い日本の旅行者の受け入れに積極的だ。東京オリンピックを迎える2020年には、そんな若者たちの活気で溢れるのだろうか。
 目の前を流れる隅田川の川面は、空から照りつける日差しで、キラキラと輝いていた。見上げると抜けるような青空が広がる。12月上旬だというのに、この日の気温は20度近くまで上がり、小春日和となった。
 白鬚橋で行われた昼の炊き出しは、足立区にある韓国系のプロテスタント教団が主催だった。集まった男たちはざっと70人ほど。1人だけ女性が交じっていた。貸し出された小さな三脚椅子に座りながら、教団のメンバーが演奏するギターに合わせ、賛美歌を歌う。続いて聖書の朗読が始まるが、皆、飯にありつくために仕方なく口を動かしているだけで、けだるい空気が流れていた。そして最後に、牧師による説教を聞く。全部で約1時間。終わると、順番に並んで食事を受け取る。この日のメニューはカレースープのぶっかけ飯だった。

カレースープ
修道院で出される味噌汁もそうだったが、炊き出しのメニューにはなぜか出汁巻き卵が添えられている。
(撮影:水谷竹秀)

 私たちは川のほとりにある階段に座った。
「サバが生臭い」
 隣で荒木がそう文句を言いながら、カレースープに入っていた焼きサバをむしゃむしゃと食べる。具材は他に玉ねぎ、キャベツ、じゃがいも、にんじんなどだ。これにバナナ、お菓子、なぜか帽子も手渡され、食後のコーヒーも提供される。
 私がどんぶりを持っている姿を見て、荒木は冗談っぽく言った。
「水谷さんもすっかり山谷の人になっちゃったねえ」

隅田川のほとり
隅田川沿いの炊き出しは、寒さがいっそう身にしみる。

 食べ終わった人は、屋外での無料散髪サービスも受けられる。荒木もその列に並び、バリカンとハサミを持った教団のメンバーにさっぱりしてもらった。
 この日、荒木と一緒に山谷を散策した私は結局、暴動当時の目撃者を見つけることはできなかった。
 その翌日。荒木から「段ボール手帳を簡単に入手できる裏技がある」と聞かされたので、再び修道院で落ち合うことになった。しかし、炊き出しの時間になっても荒木は姿を現さない。電話を掛けてもアナウンスが流れるだけで、その日はつながらなかった。何か不吉な予感がした。
 荒木から電話が掛かってきたのはその翌晩のことだった。修道院で待っていたと伝えると、荒木は間髪入れずに即答した。
「いやあ、昨日は大変だったんですよ。頭を10針も縫ってしまいまして……」
 電話を切って居酒屋で待ち合わせた。
 店に現れた荒木の額には、ホチキスの針のようなもので縫い付けた痕が残っていた。酔っぱらった勢いで誰かと喧嘩でもしたのだろうか。
「飲んでいたスナックの2階から転倒し、1階にダイブして頭を打ったらしいんです。救急車で運ばれたみたいでして。あんまり覚えていないんです」
 カウンター席で荒木は、グラスに入ったビールを飲みながら語った。その手には青い色をした、ハルシオンの錠剤が見える。それをビールで流し込み、1時間ほどすると、荒木はふらふらした足取りで簡易宿泊所へ帰っていった。その後ろ姿を眺めながら私は、山谷に生きる男たちの日常を少しでも垣間見たような気がした。「ほていや」に戻ると、どっと疲れが出た。

〈次回の更新は、2019年1月15日を予定しています。〉

プロフィール

ヤマ王とドヤ王 水谷竹秀プロフィール画像

水谷竹秀(みずたに・たけひで)

ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。他の著書に『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)、『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)。

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初出:P+D MAGAZINE(2018/12/19)

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