ヤマ王とドヤ王 東京山谷をつくった男たち 第七回 「越年越冬闘争」の現場からⅡ
それぞれの日常
路上生活者や簡易宿泊所に暮らす日雇い労働者、生活保護受給者たちにとって、越年越冬闘争は非日常である。できたての温かい食事や布団のある寝床が用意されているため、たった1週間ではあるが、生活面での心配がなくなるからだ。だが、終了と同時にそれぞれの日常が、また始まる。
越年越冬闘争実行委員会の中心メンバーの1人、向井宏一郎さんは、参加者たちへの支援について、こんな話をしていた。
「今後の寝場所とメシについては原則、自分たちで何とかしないといけません。でも俺たちにも少しはできる支援があります」
そして次のような支援策3本柱を提示した。
①野宿者で、炊き出しや廃棄食材で食いつなぐ生活に戻る人は、週1回の共同炊事で応援していく。
②仕事を探したい仲間については、日雇いの仕事と飯場での長期の仕事と大きく2通りある。見つけやすく、比較的安定しているのは飯場。日払いは自由が利きやすいために勧めているが、求人数は少なく、見つけるのが難しい。
③生活保護は、どんなに若くても制度的に受給可能。役所に行って手続きを行う際に、俺たちみんなで応援する。
特に生活保護について、向井さんは次のような説明を加えた。
「生保は悪質な団体が運営する施設の問題がある。野宿生活から生保を受けると、施設に放り込まれた後、管理下に置かれ、生活保護費のピンハネや暴力沙汰などが起きることもある。それでも入りたい事情の人もいるだろうし、それは嫌だという人は相談に応じます。これまで、何百人もの仲間について生活保護の申請に協力してきた。施設に入らず生保を受けられるような実績も積んできた。しかし、悪い形で生保を切った人もいる。ドヤとの信頼関係が大事なのに、宿泊費を支払わない、アパートの敷金や礼金合わせて約30万円を出させた挙げ句に退去する人もいる。そういうことを何度となく繰り返す人は応援できない。自分のケツは自分で持てというのが俺たちの考えです」
支援といってもできること、できないことがあるだろう。ましてや、生活保護を受給しながら、不当な行為をはたらく人間に対しては、支援をする必要がないという考え方は正論だ。実行委員会は、様々な困難を抱えている人々に出会う中で、それがどれほど本人に責任があるように見えても、冷淡な態度は取らない。だが、具体的な支援をするか否かについては、最低限守るべき基準があると考えているようだ。
私が出会った野宿者や日雇い労働者たちも、日常の生活に戻り、自分の力で何とか生き抜いていた。
平日午後9時。浅草寺の界隈に並ぶ居酒屋は、仕事終わりとみられるサラリーマンや若者たちで賑わっていた。その近くにある商店街は対照的で、すでに営業を終えてシャッターが下り、静まり返っていた。中の歩道では10人ほどの路上生活者たちが段ボールやビニールシートを敷き、寝床を用意していた。その中にまぎれていた、がたいの大きい石川さんは、私に気付くと笑顔を見せた。そして段ボールを敷く手を止め、遠慮がちに言った。
「こんばんは。お恥ずかしいところを」
ニット帽をかぶり、ベージュ色のコートを着ている石川さんは、越年越冬闘争の時と同じく小ぎれいな格好で、やはり路上生活者には見えない。
石川さんは、商店街に入り込む風を防止するため、段ボールを箱形に組み、自分の周りに並べていた。それが終わると小走りに路地の奥へと進み、毛布を手にしてやってきた。寝床が完成したところで、他の路上生活者を気遣ってか、その場を離れて歩き出した。見つけたのは、近くにあるカフェの屋外に設置されたベンチ。客ではないからとためらったが、石川さんは「大丈夫だよ」と言うので、私たちはそこに並んで座った。ガラス張りの洒落たカフェの店内は薄暗く、テーブルの上でキャンドルの炎が揺らめいていた。壁には抽象画が飾られ、中にいた数人の客は、私たちをまるで気にもしていないようだった。
石川さんたち路上生活者は、毎晩9時に商店街に現れる。店は午後7時までに営業を終えるが、暗黙の了解で皆、その2時間後にしか来ないのだという。
「寝床を用意してから1時間ぐらいは、人通りがあるので寝られないんです。スケボーに乗る音や、観光客がスーツケースを引きずる音でね。酔っ払いも通るから」
路上生活をした者にしか見えない景色がある。
石川さんが段ボールを手に入れるのは家具量販店などだが、商店街は日中、営業しているため、その保管場所も考えなければならない。
「雨の日は段ボールを外に出すと濡れてぼろぼろになる。だから私はビルとビルの隙間に入れます。室外機のところにシートをかぶせ、そこにさりげなく置いている人もいます」
ところが、隠しておいた段ボールがなくなることもある。他の路上生活者やビルのオーナー、あるいはガスや水道の検針をする業者に持っていかれるのだ。このため、保管場所を管理する人にあらかじめお願いする路上生活者もいるという。
「一升瓶やたばこワンカートンを持っていく人もいます。私はそこまでではありませんが、たばこ1箱か2箱ならあります。お店の下働きの人、清掃人、あるいはガードマンなど、その場所を管理している人を見極めてお願いします。ダメなときもあるし、いいよって言ってくれるときもあるし。ただし、『雨が降ったら片付けてね』と言われます。だから梅雨と秋雨の時は大変です。いったん雨に濡れるとダメになっちゃうから」
段ボールがない時は、コンクリートの冷たさが伝わらないように工夫しなければならない。
「ウレタンシートか発泡スチロールを下に敷いて、熱を逃がさないようにします。その上にブルーシートと毛布を敷き、寝袋で寝るのが今は主流ですね」
朝は午前4時に起床する。その2時間後には、商店街が開店の準備を始めるためだ。目覚めるとまず、近くの公衆便所へ行き、真水で顔を洗う。ひげ剃りと歯磨きも欠かさない。
「今の時期は冷たいですけど慣れですよ。パッて1回顔に掛ければ目が覚める」
そう言って石川さんは両手で顔に水を掛ける仕草をした。
「駅のほうに行けばお湯が出る所はあります。でも時間が制限されているので。仕事がない時は、センター(城北・労働福祉センターの略)の温かいお湯が使えますから」
そう話す石川さんの膝の上には、いつの間にか白い軍手が載っていた。手袋代わりに使っているそうだ。
ノートを取る私の手は、夜気でかじかんでいた。鼻水も勝手に出てくる。そんな私を、石川さんは気遣ってくれた。
「寒いですか? 大丈夫ですか?」
石川さんは慣れているのか、余裕の表情だ。
「寒い夜はホッカイロと毛布をかぶって、布団カバーをかければ大丈夫です。気温が1度か2度までは。氷点下になると凍死の危険性がありますからね」
石川さんは笑った。
私たちはベンチから立ち上がり、近くのコンビニまで向かった。私はたばこを1箱買った。受け取った石川さんは、丁寧にお礼を言い、商店街のほうへ歩いて行った。
〈次回の更新は、2019年4月15日ごろを予定しています。〉
プロフィール
水谷竹秀(みずたに・たけひで)
ノンフィクションライター。1975年三重県生まれ。上智大学外国語学部卒業。カメラマンや新聞記者を経てフリーに。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮邦人」』で第9回開高健ノンフィクション賞受賞。他の著書に『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)、『だから、居場所が欲しかった。 バンコク、コールセンターで働く日本人』(集英社)。
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初出:P+D MAGAZINE(2019/03/12)