おすすめ「日常系」小説4選 | 読めばきっと毎日が輝き出す
アニメや漫画を中心に人気を集める「日常系」ジャンル。実は、小説こそが「日常」の宝庫だということをご存知ですか? この記事では、そんな日常系ジャンルの背景や、日常系小説のオススメ作品などを解説します。
「日常系」というジャンルをご存知でしょうか。
「日常系」はその名の通り「日常」を題材にした作品ジャンルであり、作品の雰囲気(空気)を味わうことから時に「空気系」とも呼ばれています。
そんな「どこにでもある日常」を、ユーモアとほのぼの感を織り交ぜて表現した作品を総称したのが「日常系」という言葉。この「日常系」は作品独自の設定を新たに把握する必要がなく、すぐにその世界観に浸ることができるという点も、その魅力の1つです。特に、漫画やアニメを中心に人気を博している「日常系」ですが、その代表作として、あずまきよひこ氏の人気漫画『よつばと!』や、京都アニメーション制作のアニメ『らき☆すた』『けいおん!』といった作品名を耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
さて、「日常系小説」という言葉はあまり耳にすることはありませんが、小説の中にもありふれた日常の愛おしさを実感する瞬間を描いた作品はたくさんあります。
今回はそんな「日常」を題材とした小説についてご紹介します。
ノストラダムスの後で……。21世紀に、「日常系」が人気な理由。
かねてからTVアニメや漫画の世界において大半を占めていたのは、不思議な出来事が起こるファンタジーや、未来世界を描くSF、不可解な謎の真相を暴くミステリーといったジャンルです。少年少女の関係が世界の行く末に直接関わる「セカイ系」作品が人気を集めた90年代後半において、多くの人は「つまらない日常から脱出したい」という願望を持っていました。
しかし、アメリカで同時多発テロが発生した2000年代初頭からは、主人公とその家族や友人、恋人との日常を描いた作品が人気を集めるように。日常を脅かす大きな事件や災害の報道を目の当たりにした人々は無意識のうちに、「今自分たちが置かれている状況も、いつまで続くか分からない」という危うさを実感し始めたのです。
とりわけ、2011年に東日本大震災が発生すると、〈終末〉はもはや、20世紀末に一大ブームとなったノストラダムスの大予言のごとく、日常の外部から突然降りかかってくる災禍というよりも、私たちの日常の中に内在しているものとなりました。この、「透明な終末観」は、「非日常を楽しむための余力」を私たちから奪い、〈終末〉に向けて先細りしていく未来に対して、どこか諦めにも似た雰囲気を生み出します。
そんな時代だからこそ、エンターテイメントの世界では「変わらない日常」がありがたがれることとなったのです。
〈小説〉と〈日常〉の切っても切れない関係
そんな「日常系」は万人受けしやすい一方で、題材がごく普通の生活に限定されるために「これといった中身が無いからつまらない」と揶揄されることも少なくありません。ただ、胸躍るようなめくるめく展開はあらずとも、私たちが暮らす毎日とほぼ地続きのものをテーマとした「日常系」は、いつでも変わらぬ安心感を与え続けています。
また、〈日常生活〉と〈小説〉との関係は、想像以上に歴史が長いもの。例えば菊池寛は、「小説家たらんとする青年に与う」という随筆の中で、「小説を書くということは、紙に向って、筆を動かすことではなく、日常生活の中に、自分を見ることだ。すなわち、日常生活が小説を書くための修業なのだ。」と述べています。
ここで菊池寛が言っているのは、作品執筆に必要なインスピレーションは、日常生活の中での自己との対話にこそ隠されているということ。小説の創作そのものと日常生活は決して無関係ではないのです。
以下のセクションでは実際に、「日常」の輝きを描いた名作小説を、読者の感想とともに紹介していきます。
江國香織『きらきらひかる』:不安定で奇妙な三角関係が織りなす、純粋な恋愛小説。
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4101339112
あらすじ・作品紹介
2004年に第130回直木賞を受賞し、多くの作品が映像化されている作家、江國香織。「きらきらひかる」は1組の夫婦と同性愛者である夫の恋人という、3人の関係性を描いた作品です。
お見合いを経て10日前に結婚した夫婦、笑子と睦月。実は笑子はアルコール依存症、睦月は同性愛者で、恋人がいるという秘密がありました。2人は戸惑いながらも、やがてお互いのことを認めたうえで結婚したのです。
笑子は睦月の恋人、紺と「同じ人を愛する者同士」の友情を育み、3人はこのまま暮らしていくと思われたはずが、次第に睦月との子どもを望む周囲からの声に笑子は追い詰められていきます。
お互いに世間から受け入れがたい秘密を抱えている笑子と睦月ですが、お互いを愛している点においてはどの夫婦とも変わりありません。ときに睦月の恋人である紺を交えながら、笑子は3人で「ずっとこのままいられますように」と願うのでした。
うーん、と言って睦月は腕組みをした。
「僕はいいよ。これといって願いごともないんだ。このまんまで十分だから」
私は立ちあがり、持っていたグラスをまず地面においた。
「笑子?!」
ちょっとおびえた顔の睦月を無視して、さっきのたんざくを探す。願いごとを書かずにつるした、最後の一枚だ。それは水色の折り紙で、木の上の方についていた。
「連名にしよう」
私は言い、サインペンで二人分の名前を書いた。睦月は腑におちない顔をしている。
「あのね、ずっとこのままでいられますようにって、このたんざくにはそう願ったの。でも書いちゃうと効き目が減るような気がしてね、それで白紙の––」「きらきらひかる」より
「愛」はきれいなものばかりではない、時折恥ずかしくてかっこ悪いものです。しかし、この作品は、明確な正解がない「愛」を真っ直ぐに描いています。
登場人物たちも、残酷なまでに純粋です。睦月の優しさに笑子は傷つきながら、情緒不安定になった笑子は睦月を傷つけながらも毎日を過ごしています。相手を想うがあまり、意図しない形で傷つけてしまう……それでも、相手が好きだから、愛おしいから離れずにいるのです。
『きらきらひかる』をおすすめする読者のコメント
初めて読んだのは高校生のときでしたが、「こんな恋愛関係もありなんだ」と驚いたのと同時に、きれいな文章と作品が持つ空気感に惹かれたのを覚えています。大切な人ができたときに、改めて読みたいです。
(20代 女性 大学生) |
大きな事件が起きるわけでもない、ゆるやかな夫婦生活がテーマ。疲れた時に読むとほっとします。
(30代 女性 主婦) |
川上弘美『センセイの鞄』:恩師、「センセイ」とのやわらかな日々。
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4167631032
あらすじ・作品紹介
幻想と日常が絡み合う作品を得意とし、その独特な世界観が多くの読者を獲得している川上弘美。ドラマや舞台化もされた作品、『センセイの鞄』は主人公と高校の恩師との淡い恋愛関係を描いています。
主人公、月子は行きつけの居酒屋で高校生の頃に古文を教わっていたセンセイと偶然にも再会します。「センセイ」、「ツキコさん」と呼び合う2人は、たまたま居合わせた時にだけ酒を酌み交わすように。
そんな矢先、月子は高校の同級生だった小島から旅行に誘われます。小島への違和感を抱いたツキコは深酔いし、センセイの家で目を覚ましてすぐ想いを告げるのでした。
「落ちつきなさい、ツキコさん」センセイが軽い調子で言った。
「じゅうぶん落ちついています」
「もう家に帰って寝なさい」
「家になんか帰りません」
「ききわけのないことを言うんじゃありません」
「ききわけなんかぜんぜんないです。だってわたしセンセイが好きなんだもの」
言ったとたんに、腹のあたりがかあっと熱くなった。
失敗した。大人は、人を困惑させる言葉を口にしてはいけない。次の朝に笑ってあいさつしあえなくなるような言葉を、平気で口に出してはいけない。
しかしもう言ってしまった。なぜならば、わたしは大人ではないのだから。小島孝のようには、一生なれない。センセイが好きなんだもん。『センセイの鞄』より
月子とセンセイは当初、付かず離れずの距離を保っていました。しかし、月子は自分のなかでセンセイの存在が大きくなっていることに気がつくのです。
月子が積極的にアプローチしてくる小島よりも、30以上も歳が離れているセンセイに惹かれたのは、「人との間のとりかたが似ていた」からに他なりません。居酒屋のカウンターで向かい合うのではなく、隣に座って肩を寄せ合う2人。冷奴や湯豆腐を箸で崩しながら、ちびちびとそれぞれが飲みたいペースで飲む様子には心温まることでしょう。
センセイと久々の再会を果たすも、相手が誰か思い出せなかった月子。しかし、センセイと過ごす時間が多くなるにつれ、「本当に一緒にいたいのは誰か」を意識していきます。
センセイも月子をキノコ狩りや旅行に誘いつつ、本心をなかなか明らかにしない飄々としたキャラクターとして描かれています。つかみどころのない性格で月子をやきもきさせるかと思えば、月子がデートに誘われたことを知ると深刻な表情を見せるなど、センセイの謎めいたキャラクターそのものも魅力です。
ただまったりと飲むだけだった序盤から、月子の心の動きとともに急激に展開が変化していく様子に注目しながら読みたい1冊です。
『センセイの鞄』をおすすめする読者のコメント
ゆったりと流れる時間を丁寧に描いた作品なので、読むたびに癒されます。ツキコさんとセンセイの飲むお酒やおつまみも魅力的でした。
(20代 男性 会社員) |
どこか冷静なツキコさんが、センセイの前では子どもっぽくなってしまうところが可愛かったです。年の離れた2人が、「死」や「終わり」を意識している場面には、読んでいて思わず涙が出ました。
(40代 女性 主婦) |
吉本ばなな『キッチン』:生活感に満ちた台所は、「生きていこう」と立ち上がる場所。
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4041800080
あらすじ・作品紹介
著作が様々な言語に翻訳されており、世界中にもファンが多い吉本ばなな。代表作の1つであり、商業誌デビューを飾った『キッチン』は、喪失感を抱えた主人公の再生をテーマとしています。
同居していた祖母が亡くなり、天涯孤独の身となったみかげ。ある日、みかげは祖母が行きつけにしていた花屋で働く大学生の雄一とその母(実際は女装をしている父)の家で居候することになります。
冒頭で「いつか死ぬ時がきたら、台所で息絶えたい」と考えてすらいたみかげは、雄一たち親子と出会い、ともに生活をするうちに祖母の死を少しずつ受け入れていきます。
私は、彼がお茶を入れている後ろへ回りこんで台所をよく見た。板ばりの床にひかれた感じのいいマット、雄一のはいているスリッパの質の良さーー必要最低限のよく使いこまれた台所用品がきちんと並んでかかっている。シルバーストーンのフライパンと、ドイツ製皮むきは家にもあった。横着な祖母が、楽してするする皮がむけると喜んだものだ。
小さな蛍光灯に照らされて、しんと出番を待つ食器類、光るグラス。ちょっと見ると全くバラバラでも、妙に品のいいものばかりだった。特別に作るもののための……たとえばどんぶりとか、グラタン皿とか、巨大な皿とか、ふたつきのビールジョッキとかがあるのも、何だかよかった。小さな冷蔵庫も、雄一がいいと言うので開けてみたら、きちんと整っていて、入れっぱなしのものがなかった。
うんうんうなずきながら、見て回った。いい台所だった。私は、この台所をひとめでとても愛した。
「キッチン」より
大切な何かを失っても、残された自分は食事をして生きていかなければいけない……この作品では生きるうえで必要な「食事」を作るキッチンを印象的に登場させながら、みかげが「負けはしない。力は抜かない。」と決意する姿が描かれています。
当初みかげは祖母の死を「びっくりした」と淡々と語りますが、バスで見かけた孫とおばあさんのやり取りを見て思わず涙を流します。そこで初めて、どんなに願ってももうこれまでの毎日が戻ることがないことを実感するのです。わんわん泣いた後、ふと聞こえてきた厨房のにぎやかな音に明るい気持ちになり、「神様、どうか生きてゆけますように。」と願うところからわかるように、みかげは祖母の死を「悲しい」と感じられる心を取り戻します。
「死」という永遠の別れがもたらす痛みや寂しさは、生きている以上誰しもが避けて通れません。それでも残された者として生きようとするみかげには多くの支えがありました。それに気づいたみかげと同様に、読めば周りの人たちが愛おしく思えるような優しい雰囲気に満ちた作品です。
『キッチン』をおすすめする読者のコメント
感受性豊かなみかげの心理描写が、読んでいてすごく良かったです。文章そのものはさらりとしているのに、読んだ後に忘れられないくらい、余韻が残る作品です。
(30代 男性 会社員) |
雄一とえり子さんといった、優しい登場人物たちの言葉が響く1冊です。「本当にひとり立ちしたい人は、なにかを育てるといいのよね。子供とか鉢植えとか。そうすると自分の限界がわかるのよ。そこからが始まりなのよ」というえり子さんの言葉に特にぐっときました。
(40代 女性 自営業) |
太宰治「女生徒」:朝起きてから寝るまでのありふれた1日を覗き見る。
出典:https://www.amazon.co.jp/dp/4041099153
あらすじ・作品紹介
日本の文学史を語るうえでなくてはならない存在である太宰治は、少女の日常を題材に短編小説を創作しています。この「女生徒」は、どこにでもいるような14歳の女の子の、朝起きてから寝るまでを主人公の独白体で綴った作品です。
この主人公は朝起きた時の厭世的な気分を「いろいろ醜い後悔ばっかり」と身悶えし、小さな白い薔薇の花を刺繍した新しい下着を着ては「上衣を着ちゃうと、この刺繍見えなくなる。誰にもわからない。得意である」と思い、朝食に食べたキウリに夏を感じています。1つ1つの出来事に対する思いは、まるで年頃の女の子のTwitterを覗いたかのよう。
そして学校からの帰り道に見た夕空に思いを馳せる場面からは、主人公の持つ豊かな感受性が滲み出ています。
「この空は美しい。このお空には、私うまれてはじめて頭をさげたいのです。私は、今神様を信じます。これは、この空の色はなんという色なのかしら。薔薇。火事。虹。天使の翼。大伽藍。いいえ、そんなんじゃない。もっと、もっと神々しい」
「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました。(中略)美しく生きたいと思いました」
「女生徒」より
14歳という思春期の少女が抱く心の揺れを繊細に表現したこの作品は川端康成からも絶賛され、太宰の代表作の1つにもなりました。
それにしても、これを書いた当時の太宰は30歳を迎えています。そんな太宰はどうして14歳の女の子の心情をありありと描くことができたのでしょうか。その理由は、作品の基として女性の日記が送られてきたことにあります。太宰は有明淑(ありあけしず)という女性から「小説の題材にしてほしい」と送られた日記を元に、この「女生徒」を書いたのです。
きらきらと胸をときめかせる瞬間、自己嫌悪に陥る暗い気持ち、失った父への思い……「女生徒」は、繊細な少女の一喜一憂が太宰の繊細な文章で生き生きと描かれた作品です。多感な少女の持つ心の揺れは、かつて女生徒だった人も共感する箇所が多くあることでしょう。
「女生徒」が題材としているのは、ごく平凡な少女の1日です。しかし、そんな題材を、これほどまでに面白く描いた作品は他にありません。私たちの生きる毎日を退屈に思う人こそ、この「女生徒」を読めばそんな毎日も視点を変えるだけで生き生きと輝き出すことを知るのではないでしょうか。
「女生徒」をおすすめする読者のコメント
自信の無さを実感したり、持ち物に得意げになる様子は、自分を見ているようでドキッとしました。大人になっても今のような気持ちを忘れずに読んでいきたいです。
(10代 女性 学生) |
周りのことに思い悩む、瑞々しい感性を持っていた学生時代を思い出しました。
(50代 女性 主婦) |
変わらない日常が題材だからこそ、読者の心をあたためる。
「日常系小説」は、人との触れ合いや生活など、ありふれたものを丁寧に描いています。確かに「日常系小説」は胸躍るような出来事や、予想もできないような急展開を描いた小説ではありませんが、逆に今の日常が「いつなくなるかも分からない」と考えると、愛おしく感じられるもの。
また、「日常系小説」は読むたびに抱く感想が変わります。大切な人を失ったとき、家族が増えたとき……「日常系小説」は自分の人生を振り返る1つのきっかけにもなるのです。
〈今〉を生きる私たちだからこそ、「日常系小説」を読む楽しみがあるのかもしれません。
初出:P+D MAGAZINE(2016/11/16)