吉川トリコ「じぶんごととする」 2. 酒とお菓子と女と私
酒の飲み方をだれかに教わったおぼえはない。蕎麦屋は昼から日本酒をキメにいく場所だとか、ワイングラスはくるくる回すとか、チャミスルはショットでくいくいやるとか、ぜんぶどこかで見聞きしたことを見よう見まねで身につけてきた。
いちばん最初はビールだった。ビールしか知らなかったから、ビールさえ飲んでおけば、そんじゃまあとりあえずビールで! とばかりに若いころはビール一辺倒。
どうしてビールだったのか、考えられる理由はいくつかある。ほんとうによくないことだと思うが、飲み会で最初の一杯を選ぶときに、わざわざ巨峰サワーだのウーロンカシスだのといった飲み物を頼んで足並みを乱す者に対するほんのりとした軽蔑がまずあった。ほんとうに最悪だと思う。言い訳するわけではないけれど、とにかく一秒でも早くビールが飲みたくてしかたなかったのだ。
それと関連し、甘くアルコール度数の低い口当たりのいい飲み物は「女の飲み物」だとして毛嫌いしていたようなところがある。とんでもないミソジニー、とんでもないマッチョ思考である。甘い酒を注文する女子に対し、「わー、かわいいね(笑)」などと言ってマウントを取ろうとする「サバサバ系」女子のふるまいを、知らず知らずのうちにトレースしていたのだろう。
そのころの私は、とにかく「つまらない女の子」だと思われることを恐れていた。私が青春時代を過ごした九〇年代がそういう時代だったのか、私がそういう性分だったのか、「つまらない女の子」ではないことを証明しなければ、といつも肩肘を張っていたようなところがあって、「男なみに」ビールを飲むことがその証だとでもいうようにがぶがぶビールを飲んでいた。
女の子はそれぞれみんな、べらぼうに最高で面白いもので、「つまらない女の子」なんて屏風の虎みたいなものだと気づいてからはずいぶんと楽になった。最近はバーに行くと「デザート的な甘い酒を」とリクエストすることが多い(そしてだいたいグラスホッパーに行きつく)。こんなおばさんに、「わー、かわいいね(笑)」なんて言ってくれる人はもういない。
それからもう一つ、実はこれがいちばん大きいのではないかと思うのが、村上春樹の影響である。木村衣有子さんの『BOOKSのんべえ お酒で味わう日本文学32選』によると、【『風の歌を聴け』に頻出するお酒は、ビール。「25メートル・プール一杯分ばかりのビール」という名高いフレーズのとおり、とりあえずビール、とにかくビール、ビール漬けの夏休み小説である】とのこと。
十代のある時期、私はめちゃくちゃ春樹にかぶれていた。当時、短大の創作ゼミの課題で書いた短編にも、日曜日のブランチにサンドウィッチを作ってビールといっしょに食べる「やれやれ」なかんじの主人公が出てくる。『ノルウェイの森』の緑のようなあけすけでコケティッシュな(男に都合のいい)女の子になりたいと憧れていたのだが、映画版で緑そのものってかんじの水原希子が緑を演じているのを観て、なんだかしらけきったような気持ちになってしまったことをよくおぼえている。あの熱狂っていったいなんだったんだろうと夢から醒めたような心地でいまは思う(し、同じようなことを語る同年代の女性たちの話をよく耳にする)。
私小説ってわけでもないけれど、そのころの空気をそのまま書いた短編が『こんな大人になるなんて』に収録された「1996年のヒッピー」である。「その一年で私が消費したビールの量は、50mプールに換算すると何杯分に相当するだろう」という書き出しの一文に、春樹かぶれの名残がある。25mではなく50mとしてあるあたり、春樹に対する酒量マウントだろうか。若さってすごい。
『こんな大人になるなんて』
吉川トリコ
徳間文庫
十八、十九のころは酒飲みの男の子たちに女一人で混ざりこんで、毎日のように大量のビールを飲んでいた。アルコール耐性はそこそこだったけど、胃袋と膀胱の許容量という点ではとうてい男子にかなわず、私だけしょっちゅうトイレに駆け込んでいた。当時はまだいろいろとゆるかった時代で、未成年でも余裕で居酒屋に入れた時代だったのだ。
こんな不良娘がいたら、親は気が気じゃなかっただろう。もしいま自分に未成年の娘がいて毎晩のように飲み歩いていたりしたら、軟禁してでも外出を禁止する。この年になってこんな形で親の気持ちがわかるようになるなんて、私も大人になったものである。