自由を目指した黒人奴隷の少女の物語に注目!アメリカのベストセラーランキングも紹介|ブックレビューfromNY【第11回】
地下鉄道の“乗客”を襲う脅威
本コラムの筆者が選んだ今月の1冊は、コルソン・ホワイトヘッドの“The Underground Railroad”だ。ベストセラー・リストに入って7週目になる。最初の週は4位、そして次の週から3週間連続で1位の座を守り、5週目に2位、6週目3位、7週目は4位に入っている。読者からの支持でロングセラーに育ってきた作品だ。
《地下鉄道》(Underground Railroad)は、かつてアメリカで実際に存在した黒人奴隷解放を目的にした市民組織ネットワークの名だ。ご存知のとおり、南北戦争以前のアメリカは、奴隷制度が認められていた南部の諸州と、奴隷が廃止されていた北部の諸州が共存していた。《地下鉄道》は、当時南部から奴隷が逃亡することを手助けし、ネットワークの連携によって多数の黒人奴隷が北部諸州やカナダに逃れた。この組織がもっとも頻繁に活動していたのは1810年から1850年頃と言われている。
ただ、《地下》《鉄道》と言っても文字通り地下鉄が走っていたわけではなく、《秘密》や《アングラ》という意味での象徴的な《地下》で、逃亡奴隷の移動の手段は、普通の鉄道を使うことも稀にはあったが、通常は歩いたり荷車で移動したりだった。そして《地下鉄道》組織に参加した市民たちはそれぞれの役割があり、その役割を鉄道用語で表していた。例えば、《車掌》は奴隷たちを誘導した案内人、《駅》は奴隷たちのための隠れ家、《乗客》は逃亡中の奴隷のこと…など。
アメリカ合衆国議会は、奴隷主の財産保護を目的とし、逃亡した黒人奴隷を所有者に返すことを規定した「逃亡奴隷法」を1793年と1850年に制定している。特に1850年の法律は、逃亡者を他州へ追跡する権限を奴隷主に与え、連邦保安官に逃亡奴隷の逮捕を命じ、逃亡奴隷に援助や隠れ家を与えた人たちには重い罰金を科した。そのため、奴隷制が廃止されている州に逃亡した奴隷も、そこで法的に自由になることが不可能となり、《地下鉄道》の活動は打撃を受けた。逃亡奴隷は、合衆国法の権限が届かないカナダや英国領土に亡命するしか自由を得る方法がなくなってきた。
小説“The Underground Railroad”の著者コルソン・ホワイトヘッドは、子供時代に《地下鉄道》の話を聞き、逃亡奴隷を乗せて自由に向かって疾走する《地下鉄》を思い描き、後にそれが文字通りの《鉄道》ではないと知った時、ちょっと狼狽したという)[2] 。そして、ホワイトヘッドはこの最新小説のなかで、逃亡奴隷を乗せた本物の汽車を地下の鉄道路線上に走らせた。黒人奴隷史で特筆される市民組織ネットワーク《地下鉄道》は、小説のなかでは単なる象徴ではなく、実際に疾走する汽車として描かれている。
コルソン・ホワイトヘッドは1969年ニューヨーク市生まれ、マンハッタンで育った。マンハッタンのエリート私立校トリニティー校からハーバード大学に進み、1991年に卒業後、“The Village Voice”誌に就職、その頃に小説を書き始めた。1999年に処女作 “Intuitionist”を出版して以来、最新作の“The Underground Railroad”を含めて6作のフィクション、2作のノンフィクションを出版、エッセイやショート・ストーリーを雑誌(「ニューヨークタイムズ・マガジン」や「ニューヨーカー」など)に載せている。
自由を目指した黒人奴隷の少女
主人公の黒人奴隷少女コラの祖母アジャリーは、子供の時に祖国アフリカで奴隷狩りに遭って奴隷船でアメリカに運ばれてきた。ジョージアの木綿プランテーションの持ち主ランダルに買われ、3回結婚して生涯をランダル・プランテーションで奴隷として過ごした。アジャリーの娘マベルはコラを産んだが、コラがまだ幼子だった時にコラを置き去りにしてプランテーションから逃亡、奴隷捕獲人(Slave catcher)に捕らえられることもなく行方知れずになっていた。生まれる前に父親が病死、幼くして母親がいなくなったコラは意志や独立心の強い少女に育っていった。しかし、そうした性格は他の奴隷や主人との軋轢を生みやすく、過酷な日々を過ごした。
新入りの若い奴隷シーザーは、コラに《地下鉄道》の話をし、一緒に逃げようと誘う。最初は断ったコラだったが、ランダル・プランテーションが息子の代になり、比較的寛大だった父親と違い、残酷な新しい主人から迫害を受けたコラは、ついにシーザーと一緒にプランテーションから逃げ出した。
コラとシーザーを追いかけてきた奴隷少女ラヴィも加わり、3人は《地下鉄道》の駅に案内してくれるというフレッチャーの家を目指した。しかし、フレッチャーの家の近くまで来た時に4人の白人ハンターと遭遇してしまい、明らかに逃亡奴隷の3人はハンターたちと争いになった。ラヴィははぐれてしまい、コラとシーザーだけがやっとの思いでフレッチャーの家に到着した。フレッチャーの案内で2人は《地下鉄道》の駅に到着、汽車に乗った。コラの自由を目指した州から州への旅が始まった。
[2]“Colson Whitehead’s ‘Underground Railroad’ Is A Literal Train To Freedom”
http://www.npr.org/2016/08/08/489168232/colson-whiteheads-underground-railroad-is-a-literal-train-to-freedom2
サウスカロライナ州
最初の停車駅はサウスカロライナだった。ここは奴隷州だったが、自由黒人も多く、他州からの逃亡黒人奴隷に対しても比較的寛大だった。コラはベッシー・カーペンターという偽名で、白人のアンダーソン家の子守として穏やかな日々を過ごし始めた。州政府は逃亡奴隷のために寄宿舎を用意し、宿泊者に仕事の世話もした。コラは女性用寄宿舎に身を寄せ、そこからアンダーソン家へ通勤、夜は学校にも通った。一方のシーザーはクリスチャン・マークソンという偽名で男性用寄宿舎に住み、工場で働き始めていた。しかし、「逃亡奴隷法」がある限り、2人の安全は保障されなかった。奴隷主の依頼を受けた奴隷捕獲人には逃亡奴隷を連れ去る権利があり、サウスカロライナ州はこれを拒むことはできなかった。
奴隷捕獲人のリッジウェイはコラの母親マベルを捕獲できなかった過去があるため、娘のコラを捕らえることに執着していた。サウスカロライナの《駅長》サムは、コラとシーザーが到着して以来、何かと2人の相談に乗っていたが、ある日、リッジウェイがサウスカロライナに来ていることを察知し、コラに、サムの家の地下にある駅にすぐ来るように指示、シーザーにも危険を知らせに出かけた。コラは地下の駅に隠れたが、サムもシーザーを待つうちに、サムの家が火事になってしまう。駅に取り残されていたコラは、たまたま来た汽車に乗って北上、ノースカロライナに運ばれていった。
ノースカロライナ州
ノースカロライナの駅でコラを見つけた《駅長》マーティン・ウェルズは途方に暮れた。同州では、逃亡黒人狩りが激しくなり、逃亡幇助の市民たちもリンチで殺されてしまう悲惨な状況だった。そのため地下鉄道駅を閉鎖していたのだが、そこへ予定外のコラが到着してしまったのだ。コラを荷車の底に隠して駅から自宅へ運び、屋根裏の隠し部屋に匿った。もし見つかればコラだけでなく、マーティンも妻のエセルもリンチで殺されかねない。
元々ノースカロライナも他の南部の州と同様、黒人奴隷を労働力として必要としていた。しかし黒人人口の比率が高くなるにつれ、黒人が将来自由を求めることを恐れる白人が多くなった。そうした州では、黒人奴隷より、ヨーロッパの貧しい国からの移民を安い労働力として使うことを選択し、そのかわり奴隷に対してだけでなく、自由黒人や有色人種に対しても厳しい法律を次々と制定した。そうした差別的な社会では、黒人や有色人種に対するリンチが日常行われるようになっていた。コラはウェルズ夫妻の家から一歩も外に出られなかった。おまけに夫妻は通いの女中のフィオナ(アイルランドからの移民の娘)からもコラを隠さなければならなかったので、フィオナが家にいる昼間は、コラは隠し部屋で息をひそめていなければならなかった。
ついにコラが隠れていることに気付いたフィオナは、雇い主のウェルズ夫妻を裏切り、当局に密告した。コラとウェルズ夫妻が家から引きずり出されてリンチされそうになった時、奴隷捕獲人のリッジウェイがコラを捕らえ、リンチに集まった群衆から連れ去った。
テネシー州
リッジウェイとその部下2人に捕らえられたコラは、荷馬車に鎖でつながれてテネシー州を旅していた。あたりは落雷で大きな山火事があった直後で、すべてが黒く焼け焦げていた。おまけに近くでは疫病の黄熱が蔓延していた。ここでコラは、ピストルを持った若い黒人をリーダーにした3人組の男にリッジウェイから救出された。
インディアナ州
コラを救出したロイヤル、レッド、ジャスティンの3人組は《地下鉄道》ネットワークのメンバーで、コラと一緒にテネシーの駅から《地下鉄道》に乗り、インディアナに向かった。インディアナのバレンタイン農場は《地下鉄道》ネットワークの根拠地になっていた。農場主ジョン・バレンタインの妻グロリアは元奴隷で、バレンタイン夫妻は奴隷制度に反対していた。バレンタイン農場では黒人は生き生きと働き、農場は発展していた。コラはここで働き、農場内の学校にも通い始めた。コラはこのまま農場でずっと暮らしたいと願った。
バレンタイン農場では合衆国中から著名な奴隷制度廃止論者をゲスト・スピーカーとして招き、定期的に奴隷制度反対の集会を開いていた。そのようなバレンタイン農場の積極的な運動と農場そのものの成功は、周囲の白人農民に強い危機感を抱かせていた。ある夜、ついに周囲の白人農民たちはバレンタイン農場の集会を襲撃した。その混乱のなかで、コラは再び奴隷捕獲人のリッジウェイに捕まりそうになった。
北部
辛くもリッジウェイの手を逃れコラは、バレンタイン農場の古い小屋の地下にある廃駅から手動車で北へ向かった。トンネルはやがて旋回しながら地上へと続いた。
地上に出ると近くに道路があり、家族や家財道具を乗せた幌馬車が何台も通り過ぎて行った。そのなかの1台の御者は、首筋に奴隷の印である馬蹄型の焼印の跡がある年取った黒人だった。この親切な黒人とともに、コラはカリフォルニアを目指して旅をすることにしたのだった。
《自由と民主主義の国》アメリカの暗い過去と現在
この小説では、文字通りの《地下鉄道》が主人公のコラを乗せてアメリカ各地を走る。《地下鉄道》そのものはフィクションだが、小説で描かれている19世紀アメリカの奴隷制度と社会的背景、木綿プランテーションの内情、南部各州やアメリカ合衆国の逃亡奴隷に対する政策や法律などは史実に基づいている。
現在のアメリカ合衆国に目を向けると、ノースカロライナ州シャーロット市では2016年9月20日に警察が黒人男性を射殺、その後、激しい抗議行動が起きる事態になった。同州知事は21日シャーロット市に非常事態を宣言して州兵を投入した。《白人警官による黒人の射殺と黒人による抗議行動》というシチュエーションは、今日のアメリカでも珍しいことではない。
植民地として始まり、独立戦争を経て自由と民主主義を目指す独立国家としての輝かしい歴史を歩んできたアメリカ合衆国だが、その裏には黒人奴隷制度という《負の遺産》がある。その暗い過去が現在に至っても影を落とし、ことあるごとに 《白人対黒人》の対立を生み出している。アメリカの人種問題の実情を報道などで見聞きしている日本の読者は、主人公コラやその他の黒人奴隷にまつわる奴隷制度の恐怖のストーリーを読む時、アメリカの黒人たちが、いかに過酷な時代を経験し、それゆえ過去の遺恨が決して拭い去られていないことを身に染みて感じることだろう。
佐藤則男のプロフィール
早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。
1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。
佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!
初出:P+D MAGAZINE(2016/10/18)
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