【先取りベストセラーランキング】白肌に生まれた黒人姉妹の運命が絡み合う ブックレビューfromNY<第58回>

肌の白い黒人の町マラード[3]

日本では黒人は肌が黒いという先入観があると思うが、アメリカ合衆国では、黒人が奴隷だった時代からの長い歴史の中で、白人と黒人の血は混ざり合い、様々な色合いの肌を持つ子供が生まれてきた。1964年の公民権法の制定までは、アメリカには黒人に対する人種差別が公的に存在し、少しでも黒人の血が混じっていれば、肌の色に関係なく、白人ではなく黒人として分類され[4]、差別された。ブリット・ベネットの最新小説The Vanishing Halfは、肌の白い黒人が集まって住んでいる田舎町に生まれ育った双子の姉妹とその次の世代の物語だ。

住民たちがマラードと呼んでいたルイジアナ州の田舎町は、奇妙なところだった。19世紀、そこにアルフォンス・デクィアという名の奴隷がいた。彼は父が奴隷主の白人、母が黒人奴隷で、彼自身は息子でありながら奴隷として父親に所有されていた。しかし父の死後、自由の身になり、父からの遺産として広大な土地を相続した。アルフォンスは父親似で肌が白かったが、肌が白くとも白人社会には決して受け入れてもらえず、しかし黒人たちからは、肌が白いがゆえに仲間外れにされてきた。1848年、アルフォンスは相続した土地に、自分のように肌の白い黒人たちが安らかに住むことができる町を作り、マラードと名付けた。この町は《場所(place)》というより、むしろ彼の《思い(idea)》そのものだった[5]。事実、マラードは地図に地名として載ることはなく、1980年の国勢調査の結果、翌年にはマラードと呼ばれていた地域はパルメット村の一部に組み込まれ、その名は完全に消滅した。

1950年代、この町には《ヴィニュの双子》と呼ばれた白い肌の美しい双子姉妹デジレとステラが母アデル・ヴィニュと暮らしていた。父レオン・ヴィニュは、姉妹がまだ幼い時、白人からリンチを受けて殺された。町の創設者のアルフォンス・デクィアの直系の子孫にあたる母は、町の創設者の子孫という特権的な家で育ったにもかかわらず、働き手の夫を早くに失い、経済的に苦しい生活を送っていた。そして、16歳になった娘2人に、高校を中退し、自分と一緒に資産家であるデュポン家の清掃の仕事をするように頼んだ。……いったんはそれに従った《ヴィニュの双子》は、清掃の仕事を始めて数か月後のある夜、マラードから姿を消した。

黒人と結婚した姉

この小説は、1968年のある日、双子の一人、姉のデジレが7~8歳の肌が真っ黒な女の子を連れてマラードに戻ってきたところから始まる。14年前と少しも変わらずクリームのように白い肌で、ほっそりしたデジレが、色の黒い女の子を連れて戻ってきたとき、町の住民はだれもが、この子がデジレの子供とは信じられなかった。この町を出たがっていたデジレのことをよく覚えていた住民たちは、すぐまた町を出ていくだろうと思っていたが、結局彼女はそのまま母の家にとどまり、コーヒーショップでウェイトレスとして働きながら、年取った母の世話をし、娘を育てた。

1954年、16歳で家出した《ヴィニュの双子》は、ニューオリンズに行き、クリーニング店で一緒に働いた。デジレとステラは、外見はそっくりだったが、性格は正反対だった。落ち着きがなく、自分中心で勉強があまり好きではなく、でもスター的なカリスマ性を持つデジレは、幼い頃から小さな田舎町に飽き足らず、外の世界に出たいと思っていた。一方、ステラは落ち着いて控えめ、勉強が非常に良くできた。特に数学が得意で、将来は大学で勉強したいと密かに思っていた。2人は小さい頃からいつも一緒でお互いに補い合い、2人で1人のように育った。一緒に家出した後、ニューオリンズでもいつも2人は一緒だった。……しかしある日、ステラはデジレに何も言わずに姿を消し、以来、何の連絡もなかったのである。

ニューオリンズで一人ぼっちになったデジレは、1956年春、連邦政府の指紋鑑定部門が職員募集を行っていることを、パン屋の窓に貼ってあるチラシを見て知った。6か月間ステラからの連絡を待ちながらみじめな思いでニューオリンズにとどまっていたデジレは、思い切って応募し、採用された。ワシントンDCに移り住んだデジレは、指紋鑑定の訓練を受けた後、専門家として働き始めた。指紋鑑定部署には刑事や検事が出入りしていた。そして、デジレは肌が真っ黒の黒人検事サム・ウィンストンと知り合い、結婚した。一人娘のジュードを授かったが、知り合った頃は優しかった夫のサムから、次第に家庭内暴力を受けるようになっていたデジレは、1968年のある日、ジュードを連れて故郷の町に戻った。

白人に成りすました妹

デジレが夫から逃れて故郷に戻った頃、ステラは白人の夫ブレイク・サンダースと娘ケネディと共にカリフォルニア州ブレントウッド市の高級住宅地で白人として暮らしていた。

まだ姉妹が一緒にニューオリンズで暮らしていた1955年、デパートで白人の秘書を募集していることを知ったステラは、応募してみようと考えた。白人として押し通すことができる自信はあった。デジレも、秘書の仕事は、タイプや計算が得意なステラにぴったりだと後押ししてくれた。ステラはダメ元で面接に出かけ、思いもかけず採用された。そして、上司のミスター・サンダース(マーケティング部門で一番若いアソシエート)から秘書としての能力を高く評価された。しかし、次第にステラは自分の中の2つの人格――デジレと一緒にいるときの今まで通りの自分と、《ミス・ヴィニュ》と呼ばれ、仕事をこなす白人女性としての自分――のはざまで苦しむようになった。そして、上司のサンダースが自分に対し、上司と部下以上の感情を持っていることがわかったとき、ステラは過去を捨て、白人として生きる決意をした。

ある日ステラは、デジレに何の相談もなく、部屋から姿を消した。父親が病気になったためニューオリンズのデパートを辞めて故郷に戻るサンダースについてボストンへ行き、やがて2人は結婚した。その後、ブレイクの仕事でカリフォルニア州に引っ越し、そこで一人娘ケネディが生まれたのだった。

双子姉妹とその娘たちの絡み合う運命

デジレの娘ジュード・ウィンストンはもともと口数の少ない静かな子だった。ある朝突然、ワシントンDCの家から、この肌の白い住民ばかりの田舎町に連れてこられたとき、ジュードは早く自分の家に戻りたいと思った。しかし、母が暴力をふるう父のもとに戻るつもりがないことを知り、ますます無口になった。学校では肌の白い同級生に囲まれ、《コールタール》《アスファルト》《コーヒー》などと呼ばれて仲間外れにされ、いじめられた。走ることが好きだったジュードは、高校に入って陸上競技チームに入ったが、チームでもいつも孤独で、一人黙々と走っていた。そして、カリフォルニア州の400メートルのチャンピオンシップ・レースで金メダルを取ったことがきっかけで、UCLA[6]から奨学金を受けることになったジュードは、1978年、母や祖母、町の知り合いたちに見送られて、長距離バスに乗ってロサンゼルスに旅立った。

ジュードはUCLAの寄宿舎のルームメートに誘われて参加したパーティで、リース・カーターと知り合い、親しくなった。リースはトランスジェンダーの男性で、女性として生まれ、家出してロサンゼルスに来て、男性として生きていた。ジュードとリースは恋人になり、同棲を始めた。学業のかたわら、ケータリング会社のアルバイトで生計を立てていたジュードは、ある日、ビバリーヒルズの邸宅でのパーティで、遅れてきた招待客の女性が、母のデジレとそっくりだったことに仰天する。思わず赤ワインのボトルを真っ白な絨毯の上に落としてしまい、その場でケータリング会社を首になってしまった。

一方、ケネディ・サンダースは裕福な家の一人娘として、何不自由なく育った。ケネディにとって、美しい母ステラは謎だらけだった。物心ついたころから母に「どこから来たのか?」とか、母の両親や家族のことを聞いても、はぐらかされたり、その時々で少しずつ違う、はっきりしない答えが返ってきたりするばかりだった。母への不信感を心の奥底に抱えながらケネディは育った。高校中退の母は、ケネディが幼い頃は専業主婦だったが、夫ブレイクの勧めもあって高校卒業の資格を取ってからは学問に目覚め、大学に進学して統計学を勉強した。ケネディが南カルフォルニア大学に入学した頃には、夫の反対を押し切ってサンタ・モニカ大学で非常勤講師として統計学を教えていた。そんなある日、父の会社関係のパーティに父と共に出席したケネディは、ケータリング会社の若い黒人女性とおしゃべりをし、彼女がUCLAの学生であることを知った。その直後、遅れてパーティに到着したケネディの母ステラを見て、この黒人女性は、赤ワインのボトルを真っ白な絨毯の上に落としてしまった。

母と違って勉強嫌いなケネディは、母への反発もあり、女優になりたいと言いだして大学へ行かなくなった。1982年11月、ロサンゼルスの場末の劇場で上演されたミュージカル・コメディで初めて主演を果たし、たまたま観客として来場していたジュードと再会した。ジュードは、恋人リースの友達バリーが女装してコーラスラインのダンサーとして出演するというので、リースと一緒に観劇に来ていたのだ。

その後、ジュードはミネソタ大学の医学部に入学が決まり、リースとミネソタ州に移り住んだ。そして、ビバリーヒルズのパーティで見かけた母にそっくりな女性は、母が長年探している叔母のステラに違いないと思い、再会したいという思いを募らせていった。ケネディは相変わらず売れない女優を続け、両親を心配させていた。双子姉妹とその娘たち、デジレ、ステラ、ジュード、ケネディはそれぞれ離れた場所に住み、全く異なった人生を歩んでいたが、物語が進むにつれ、4人の距離はどんどん縮まり、運命は複雑に絡み合っていく……。

アメリカだけでなく、世界中でBLM(Black Lives Matter=黒人の命は大事だ)運動が大きなうねりとなっている時期に発売された黒人作家によるベストセラーということで、典型的な《白人に差別される黒人》をテーマにした小説という先入観でこの作品を読み始めた。ところがその予想は裏切られ、主人公や彼女たちを取り巻く人たちは、黒人の中の《社会的少数者》ともいえる肌の白い黒人だった。見た目は白人であるにもかかわらず、法律的には白人とは認められず、かといって黒人からは、肌が白いという理由で仲間外れにされてきた黒人たちが自分たちだけのコミュニティで助け合って暮らしていた。そして皮肉なことに、その肌の白い黒人の町では、肌の黒い黒人は差別やいじめの対象になっていた。人種問題がいかに複雑で、単純な図式に当てはめることができないかを思い知らせる設定である。

この小説では、双子姉妹の娘たちの時代になると、《社会的少数者》とか《社会的弱者》と呼ばれる人たちが多数登場する。ジュードの恋人であるトランスジェンダーの男性リースや、その友達バリーと仲間たち。黒人のバリーは、昼間は男性高校教師だが、夜はウェスト・ハリウッドのクラブや場末の劇場で歌い、踊るときは白人女性に扮し、ビアンカという女性名になる。バリー/ビアンカが《ガールズ》と呼んでいる仲間たちはすべて女装の男性だ。ケネディは、売れない女優として場末の劇場で、ビアンカと共演する。……娘のために母ステラが必死で守ろうとした《黒人であるという秘密》は、ダイバーシティ(社会的多様性)の時代を生きるケネディにとっては、《秘密》である必要のないことだった。ケネディにとっては、母から受け継いだ自分のアイデンティティをありのままに知ることこそが一番大切だったのである。
 

著者について[7]

ブリット・ベネットは南カリフォルニアで生まれ育った。スタンフォード大学卒、ミシガン大学で修士号(MFA)。2014年の処女作The Mothersはニューヨーク・タイムズのベストセラーになった。今回紹介した最新小説は2作目の作品で、6月21日にベストセラー初登場で1位にランクされて以来、ベストセラー・リスト12週目になる。

[3]小説上の架空の町
[4]One-drop Rule=祖先に一人でも黒人がいれば(1滴でも黒人の血が入っていれば)、黒人として分類されるという社会的、法律的な原則。この原則は20世紀のアメリカ合衆国で歴史的に顕著だった。
[5]p.5
[6]UCLA=University of California, Los Angeles カリフォルニア大学ロサンゼルス校
[7]https://britbennett.com/about

佐藤則男のプロフィール

早稲田大学卒。米コロンビア大学経営大学院卒(MBA取得)。1971年、朝日新聞英字紙Asahi Evening News入社。その後、TDK本社およびニューヨーク勤務。1983年、国際連合予算局に勤務し、のちに国連事務総長となるコフィ・アナン氏の下で働く。 1985年、ニューヨーク州法人Strategic Planners International, Inc.を設立し、日米企業の国際ビジネス・コンサルティングを長く手掛ける。この間もジャーナリズム活動を続け、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ズビグニュー・ブレジンスキー元大統領補佐官らと親交を結ぶ。『文藝春秋』『SAPIO』などに寄稿し、9.11テロ、イラク戦争ほかアメリカ情勢、世界情勢をリポート。著書に『ニューヨークからのメール』『なぜヒラリー・クリントンを大統領にしないのか?』など。 佐藤則男ブログ、「New Yorkからの緊急リポート」もチェック!

初出:P+D MAGAZINE(2020/09/11)

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